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ポポ伊藤の
『今週のひとこと』 リターンズ or Die!

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2006年9月28日更新 プレゼント
「リトル・マーメイド プラチナ・エディション」DVD発売記念
「アリエル ケイタイチェア」プレゼント

※DVD発売記念のプレゼントですが、この回は、DVDの内容というよりプレゼント自体の形状に何かを感じて展開しておりますので、ストーリー紹介は省略させていただきます。だってメンドクサイから。

(C) Disney.
2006年9月28日更新 今週のひとこと
「アリエル ケイタイチェア」を見るにつけ、感心せざるをえない私がいる。
想像してみて欲しい、こんな物が家に置いてあるならば、帰宅するなり携帯をここに置きたくなる衝動にかられはしまいか? 何と言うかそれぐらいの座りの良さを感じるのだ。
そもそも携帯をはじめ、財布、鍵などといった小物類を何も考えず部屋のその辺にポンと置いてしまい、イザという時に所在が分からなくなることがしばしばある私のような人間にとって、定位置に置きたくなるという衝動は非常に重要なことである。
ただまあ携帯の場合は、失くしたとしても鳴らせば見つけられるからいいじゃないかという向きもあるだろう。しかし、コレに慣れてしまうと財布や鍵を失くした際にも“鳴らそう”として、思わず携帯を手にとってしまうことがある。出した拳を引っ込めるのも何なので、センター問い合わせなどしてみるものの、いくらサービスが発達した現代であっても、財布のありかをメールで知らせてくれる機能はない。してまた、こういう探し物というものは、必要としている時には見つからず、別にもうどーでもいいような時に限って見つかるというのがセオリーだ。
「結局、恋ってそんなものよね」という締めにも使えそうだが、何なら『恋』というボタンでコールをしたならば、運命の人が着メロのノリで歌いだしたりとか、マナーモードよろしく震えだしたりしてくれれば、簡単に運命を探せるのにとすら思ってしまう。ただ困ったことに、歌ったり、震えだしたりする相手が、必ずしも自分の好みであるとは限らない。そんな時、人はその運命を素直に受け入れることができないだろう。せっかく出会えたというのにそれでは悲しすぎる。利便性を追求するあまり、“大切な部分”が失われてしまう良い例だ。
それに対し、何の予備知識も無くたまたま知り合い、その中で相手の内面的な良さに触れ、いつの間にか運命を感じることになる方が同じ“出会い”でもその充実感は格段に違ってくる。そう考えると運命とは、“示される”ものではなく、“感じる”ものであると思うのだ。とはいえ、楽して見つけたいと思うのが人間の性というもの。携帯電話の普及によって“出会い系”が身近なものになった時代背景には、そんな人間の性が潜んでいるのかもしれないというのが私の見解だ。ええ、無理やりですけど何か問題でも?


2006年9月21日更新 プレゼント
「スパイスティー チャイ」プレゼント
英国王室御用達、トワイニング紅茶より、4種のスパイス(シナモン、カルダモン、クローブ、ジンジャー)と紅茶の風味が調和した本格チャイが好評発売中です。
チャイとは、インドで日常的に飲まれる、「煮出し式ミルクティー(インド式ミルクティー)」で、近年ではエスニックレストランや、カフェ、更には飲料の枠をこえ、プレミアムアイスクリームのフレーバーとしても人気が高まっています。
2006年9月21日更新 今週のひとこと
気を抜くと、一週間連続で立ち食いの天ぷらうどんを夕食としてしまうような“偏り”気味の私であるからして、スパイスティーなどという絶妙なバランスを保っているものを見ると、畏敬の念を抱かずにはいられない。
『煮出し式ミルクティー』などという甘く柔らかな下地に、相反するかのごとく加えられるスパイス。まるで「甘いだけではダメなのよ」とでも言いたげな、「女の子はね ― シュガー&スパイス。優しいだけじゃだめなんだよ」といった恋愛の方程式を示してくれているようでもある。とはいえ、楽しく過ごしているデート中に脈略もなくキレだしたところで、人はそれを「情緒不安定」と呼ぶのであって、スパイスには成り得ない。その辺のさじ加減が難しいのである。
そして、実はこのシュガー&スパイスは、恋愛関係のみならず、対人関係全般においても通用するものであるのだ。
例えば、“モー娘。メンバー全員のフルネームを漢字で書ける”ぐらいしか人に誇れるところのない私でさえも、無駄に歳をとってくると仕事上で指導をしなければならない後輩というものが出来てくる。その後輩達が文字通り“甘いこと”をやらかすようであれば厳重に注意をしなければならない。だが如何せん、最近の若者はキレるとすぐに刺したり、燃やしたりするらしいので、まるで思春期の娘に嫌われないように及び腰になってしまう父親のごとき心境で甘やかしてしまう一方だ。ここでも私の偏りグセは健在である。
してまた、持ち前のうっかりさ加減でもって、誤った指示を出そうものなら、普段は笑顔で応対してくれる後輩達も、鬼のような形相で私の誤りを指摘してくる。ひどい時には説教までしてくるのだから逞しい。
その後輩達の見事なまでのシュガー&スパイスっぷりに思わず「抱かれてもいい」とすら思ってしまう私だ。無論、相手が男であってもである。
ここにおいて、ようやく“男でもなく女でもない”絶妙な精神面的バランスを手に入れることができたわけだが、そんな夜も私は天ぷらうどんをすすっていた。絶妙なバランス感覚を保つとは、かくも難しいものであるということだ。


2006年9月14日更新 プレゼント
「地下鉄(メトロ)に乗って」 試写会ご招待
“稀代のストーリー・テラー”と讃えられる直木賞作家、浅田次郎の10年以上前の傑作、「地下鉄(メトロ)に乗って」が待望の映画化。
小さな下着メーカーの営業マン、真次。毎日が同じように過ぎて行く一日の仕事を終え、携帯の留守電を聞くと、父が倒れたというメッセージが弟から届いていた。入院がニュースになるほどの巨大企業を一代で立ち上げた父とは、高校卒業と同時に縁を切って以来、もう長らく会っていない。が、真次はその伝言を消去し、家路に着こうとする。だがいつもの地下鉄を降りて、駅の階段を上ると、そこはオリンピックに沸く昭和39年の東京だった―。
平成に生きる主人公たちが昭和に出会い気付くこと。それは「昔は良かった」というメッセージではなく、大切な人を理解することの難しさ、そして赦すことの大切さ。本作はそんな忘れかけた何かを伝えようとしている。
2006年9月14日更新 今週のひとこと
昨年から首都圏の鉄道において、その導入が急速に広まりつつある『女性専用車両』
ラッシュ時の痴漢行為を防ぐためのものであり、被害者となる女性を守るためには必要な制度であると思う。だが、例えば遅刻ギリギリの状況で、駆け込み乗車をしようとした車両がたまたま女性車両だった場合、当然のごとく駅員に止められるわけで、その瞬間「いいじゃん。乗せてよ」と懇願しそうになる自分もいる。「駆け込んでまで触らないから」と、「そこまで困っちゃいないから」と、「こう見えて結構モテるんだぜ俺」と。問題はそういうことではないのだが、結局のところ“イザという時”自分本位でものを考える自分に反省することもしばしばだ。
で、素直に隣の普通(?)車両に乗るのだが、そこは当然のごとく男だらけ。ちょっぴり湿度も高めだ。そして“「触っちゃダメ!」と注意され、こっちの車両に追いやられた男達”という私の勝手な色眼鏡のせいか、雰囲気も重苦しく感じる。こんな抑圧された状況下では「男でもいいや」という輩がでてきてもおかしくない。そう思うと内心ヒヤヒヤだ。してまた、次の駅で女の子が一人で乗り込んでこようものなら、却って普段よりも危険なんじゃないかと気がきではなくなる。そして、そんないらぬ心配をすると同時に「待てよ。あっちが“触っちゃダメ”車両なら、こっちなら触ってもいいんじゃないか!?」という間違った解釈が一瞬頭をよぎるのだ。
言わずもがな、どの車両であっても“触ること自体がダメ”なわけで、ここでも“被害者となる女性を守るため”という本題を忘れ、自分本位に妄想を膨らませてしまったことに対し深く反省をしなければならない。人間とは、かくも弱き生き物なのだ。
よく考えれば、これだけ世間で非難されていながらも『酒気帯び運転』が後を絶たないのは、法律整備の裏にある“被害者となる歩行者を守るため”という意図を見失っているからではないだろうか?
とまあ風刺を交えてごまかそうとする試みは失敗に終わりそうだが、いつもの地下鉄を降りて、駅の階段を上ると、そこはオリンピックに沸く昭和39年の東京だった―。という状況を体験できるのであれば、私は自分のバカさ加減を理解することの難しさ、そして赦すことの大切さを気付きたいと思っている。あっ! いまお尻触られた。


2006年9月7日更新 プレゼント
「お野菜が好き」プレゼント
グラフ社より、野菜のレシピを、赤、黄、紫、緑、白の野菜のカラー別に紹介した料理ブック、「お野菜が好き」が好評発売中です。
掲載されている料理はどれも、野菜の持つ自然なうまみや食感を生かした美味しいレシピばかり。 そのうえ、少ない材料で誰でも手軽に作れるのを特徴とした本書には、今注目の野菜ソムリエCanacoによる、野菜の選び方や保存のしかた、野菜の持つ美容や健康のメリットなどがわかりやすく解説されています。
野菜好きの方にはもちろん、野菜の苦手な方にもおすすめしたい、野菜の魅力いっぱいのカラフルレシピです。
2006年9月7日更新 今週のひとこと
野菜嫌いの子供を持つ親達の間で長きにわたり“対応策”として君臨してきた調理方法の一つに“認識できない程にみじん切りにしてハンバーグに混ぜる”というものがある。
だが、どう贔屓目に見ても、これを以って「克服しました」と言い切るにはあまりにも乱暴すぎやしないだろうか!? いくらハンバーグを食べられたからと言って、次にその野菜を丸々つきつけられたところで結局食べられやしないのだ。
問題は本人が“野菜を食べている”という事実に向き合っていないという点にある。
このある種“ごまかしの調理方法”によって“都合の悪いことは見て見ぬ振りをしてやり過ごす”といった日本人の悪しき特性が育まれているような気がしてならない。なんなら“現実と向き合わない”代表格であるニートの育成にすら繋がっているのではないかというのが私の見解だ。それが証拠にニートという単語を初めて耳にした時、何となく“挽肉的なモノ”を想像しなかっただろうか?
まあそれはさておき、こんな事を言っている私とて幼少時代は立派な偏食家であった。しかし、裸一貫から自営業をはじめ、家族4人を養い、どんな困難にも正面からぶつかってきた父親が、そんな“ごまかしの調理方法”を良しとするはずもなく、嫌いなものであってもそのまま口に詰め込まれてきた。そんな厳しい教育方針と、苦痛を受けることを喜びとする天性のマゾヒズムも相まって、今では食べ物の好き嫌いがないどころか、自分にとって不都合な事であってもちゃんと向き合える大人になれたという自負はある。そういう意味では父親には感謝しなければならない。
そんな感謝の念を抱きつつ、最近帰省した際に父親の食生活を観察していたところ、どう見ても筋金入りの偏食家であるご様子。そんなはずはないだろうと母親に探りを入れてみたところ「昔から食べられるものの方が少なくて苦労している」とのこと。この時点で『“ごまかし”の調理方法におけるニート育成説』は脆くも崩れ去るわけだが、その代わり“自分の事を棚に上げて”というか“いけしゃあしゃあ”のパワーというものをまざまざと見せ付けられることとなったのだ。つーかトマト残してんじゃねーよ親父ぃ。


文:ポポ伊藤

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