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ポポ伊藤の
『今週のひとこと』 リターンズ or Die!

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2006年10月26日更新 プレゼント
「スーパーエッシャー展」ご招待
Bunkamuraザ・ミュージアムにて「スーパーエッシャー展 ある特異な版画家の軌跡」が開催される。3ヶ月以上の展示はできず、そして展示した後は作品の保護のため展示した月数に応じた年数を暗い収蔵庫で保管しなくてはならない紙の作品群だけに、これほどの規模のエッシャー展が今後行われることは難しいとされる。それだけに、充実した内容となった本展は、エッシャーの人生に触れることができる、絶好のチャンスだ。
2006年10月26日更新 今週のひとこと
自他ともに認める甘えん坊体質の私は、日頃から人様に“大事にされたい”という欲求を抱えて生きている。極度の人見知りである反面、知らない街でたまたま入った喫茶店のマスターにすら“大事にされる”ことを望んでやまない。優しさをチラつかせられると誰にでも抱かれてしまうような、そんな軽い男であるのだ。
そんなプロの目から見ても、今回の「スーパーエッシャー展」で展示される紙の作品群の扱われ方は、理想的であると言わざるをえない。作品の保護のため“3ヶ月以上の展示はできず、その後は展示した月数に応じた年数を暗い収蔵庫で保管しなくてはならない”というのだから、その保護ぶりたるや垂涎モノだ。
仕事という観点からすれば、大橋巨泉のセミリタイヤもかくやという程の大胆なサイクルである。ただ巨泉氏と決定的に違うのは、彼の場合自らが好んでやっているモノであるのに対し、エッシャーの作品郡は周囲が保護しようとしてとった措置であるという点だ。まさに“大事にされる”という行為の真骨頂。ただただ溜め息がもれるばかりである。「今度生まれ変わってくる時は、私はエッシャーの作品になりたい」と輪廻転生すらも無視した願望を口にしながら処刑台に上がってしまいかねない勢いだ。
しかし、これは周囲がその存在価値を認めているからこそ起こりうる現象であるということを理解しなければならない。私のように“大事にされたい”という欲求を抱えている者だけでなく、社会に対し「報われない」「分かってもらえない」などと嘆き、ふて腐れている若者達にも聞いてもらいたい。今はまだ周囲に対し自分達の存在価値をアピールする時期なのだ。だから努力の手を休めるべきではない。続けることが大事なのだ。さあ立ち上がれ若人よ!
と声高に叫んでみたものの、私自身先週このコーナーを休んでいるので説得力のかけらもない。というか、自分に対する戒めの意味の方が強いという噂もあるので、まあ気にしないで頂きたい。


2006年10月19日更新 今週のひとこと

担当者、語学留学に行くといってきかないため今週はお休みさせていただきます。

※当時、人気アイドルグループの某メンバーが、急にこんなことを言って休業だか引退だかしていた。
上記は、これにシンパシーを感じた筆者が、休載の為に用いた言い訳。
しかし、某メンバーは、半年後ぐらいにサラっと復帰。英語で記者会見を開いたとか。
このコーナーも復活なんてことがある場合は、全文英語でお送りするとかしないとか。



2006年10月12日更新 プレゼント
「椿山課長の七日間」特別試写会ご招待
勤務先のデパートで脳溢血のため突然死した椿山課長(西田敏行)。やり残した仕事や家族、家のローン……あまりに未練がありすぎてこれじゃ死んでも死にきれない!天国と地獄の中間地点にある“中陰役所”で、3日間だけ現世に戻ることを許された椿山は、正体がバレないように生前の姿とは似ても似つかない絶世の美女(伊東美咲)となってよみがえった。 「あの世」から「この世」に舞い戻った椿山は、家族の秘密と親子の深い愛情、そして秘められた想いを初めて知る――。
2006年10月12日更新 今週のひとこと
例えば昼休みに食べ過ぎで突然死してしまったとしても、やもめ暮らしの私のことだ、家族や家のローンにおいての心配はない。仕事にしても、思い当たるのはこの『ひとこと』ぐらいであって、さして困りはしないだろう。そういう意味でこの世に何の未練も無い私は、あっさりと“死”というものを受け入れてしまいそうだ。
何なら、長年待ち続けた彼からのプロポーズを受けた女のごとき従順な面持ちで、涙すら浮かべながら「ずっと待ってたんだからね」と言わんばかりのウェルカム態勢である。
加えて、死への途中段階において『椿山課長の七日間』よろしく“伊東美咲になれる権”の行使ができるとなれば尚更だ。むしろそこに重きをおきたいとすら思う。「伊東美咲になれなきゃ死んでも死にきれない」と。
いや、正直なところ3日間であっても“交際したい”というのが本音だが、それだと趣旨が異なってきてしまう。ここは一つ、涙を飲んで“伊東美咲になれる権”行使で手を打とうではないか。
そして、伊東美咲になってこの世に舞い戻った暁には、これまで散々私を無下にしてきた女性達の前に現れ、美貌という観点から彼女達を打ち負かした挙句、彼氏がいようものなら奪い取ってやる所存である。何だかストーカーになった方がよっぽど潔いいのではないかと思う程に器の小ささを遺憾なく発揮しているが、なんだかんだで総合的に見て、この後の行き先が天国であったとしても、この3日間で確実に地獄に変更されそうな勢いである。30年間積み重ねてきたものをたった3日で棒にふる。人間とは、かくも愚かな生き物なのだ。
とにかく、これではあまりにもしょっぱすぎるので、その美貌を仕事に活かしてみようと思う。前述のとおり『ひとこと』ぐらいではあるが、例えば伊東美咲が「ポッキーのCMにおける新垣結衣は、我々が青春時代に異性に対して抱いていた甘酸っぱさを思い出させてくれるなどと神妙な面持ちで書いていたら何だかシュールだ。まあ画が見えていない読者には何ら伝わるものではないが。
しかし、こちとらもお客様商売。そうなった際にはペンネームをポポ伊藤からポポ伊東に変えるぐらいのサービス精神は持ち合わせている。今後、この変名を目にした場合は「ああ、そーいうことか」とほくそ笑んでいただければこれ幸いと思うのだ。

※この時は、実際に署名を“ポポ伊東”にしていたのだが、あまり気付いている人はいなかった…


2006年10月5日更新 プレゼント
「記憶の棘」ストーリーブック プレゼント
愛する夫ショーンを突然失った美しい未亡人アナ(ニコール・キッドマン)。10年経ち、喪失の悲しみから何とか抜け出したアナは、何年も待ち続けてくれたジョゼフと婚約する。しかしそんなアナの前にある日、見知らぬ10歳の少年が現れこう告げた─「僕はショーン、君の夫だ」。亡くなった夫の生まれかわりだと主張する少年の前に揺れ動くアナの心。果たして少年は本当にショーンの生まれ変わりなのか――。
2006年10月5日更新 今週のひとこと
齢30にもなって、嵐やKAT-TUNが女の子達にキャーキャー騒がれているのを見るにつけ、「俺もいつかは同じステージで」と半ば本気で決意を固めてみたり、長澤まさみと交際できる可能性について、真剣に思考を巡らせてみたりなど、現実の中に虚構を求めがちな私のことを人はこう呼ぶ。「ピーターパンシンドローム代表」「現実見てない人」と。
ご指摘はもっともであるのだが、現実を押しのけてまで残る“心のわだかまり”というものが、いわゆる“人間味”というヤツではないかと思う私だ。例えば、『記憶の棘』ニコール・キッドマンを見ていただきたい。
愛する夫を失った悲しみから抜け出すのに、何年も待ち続けてくれた優しい大人の婚約者と、百歩譲って亡き夫の生まれ変わりだとしても、傍から見ればただの10歳の少年。現実問題として、どちらを選べば幸せになれるのかということは、火を見るよりも明らかだ。迷う余地など微塵もない。にもかかわらず、心が揺れ動いているのは、「生まれ変わって私に逢いに来てくれたのね」というある種の感動というか、つまるところ「愛だろ。愛」といった部分に引っかかっているからではないだろうか。
またしても映画を観たわけでもないのに勝手な解釈で話を進めてしまっているが、ここまで来たらしょうがない。山本リンダもかくやという勢いでどうにも止まらないのである。
こんな状況であるならば、現実を見ないという事に対し情状酌量の余地もありはしまいか? そんな人間味溢れるニコール・キッドマンに対し、貴方は「現実を見なさい」などというミもフタもない一言が言えるであろうか?
いや、言ってあげた方がいいな、今回の場合は。状況が状況だからね。うん、仕方ない。
そして、こんな虚構の中に現実を求めて熱弁を振るう私のことを人はこう呼ぶ。「オトナ気ない」と。


文:ポポ伊藤

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