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Interview

週刊 トップリーグ男前列伝 飯島陽一(三洋電機ワイルドナイツ) 「三洋でチャレンジしたい」

飯島陽一(三洋電機ワイルドナイツ)

Text●ぴあ編集部 Photo●大崎聡

野球にサッカー、格闘技などスポーツジャンルは数あれど、トップリーグの会場に集う女性の美人度の高さは群を抜いている(ぴあ編集部経験調べ)。それはなぜか? ド迫力のタックルに醍醐味と言えるトライ、そしてノーサイドの精神……。理由はいくつもあるが、トップリーガーにハートを兼ね備えたイケメンが多いこともトップリーグの会場に美人が集まる要因のひとつだろう。
そこで、トップリーグ全14チームから毎週ひとりずつイケメン戦士をピックアップし、彼らの男前な素顔を探っていく。

どこまでもマイペースだったフランカーの変化

インタビュー終了後、飯島陽一の第一声は「今日はすみませんでした」だった。
端正なマスクに申し訳なさそうな色を滲ませ、188cm、102kgの屈強な身体を窮屈に曲げ、ペコリと頭を下げる。筆者は15年以上にわたり、何百人ものアスリートにインタビューしてきたが、取材後にいきなり詫びられたのは初めてだ。
「人見知り」「マイペース」「面倒くさがり屋」と性格を自己分析する飯島はインタビューで気の利いたことが言えなかったことを謝っていたのだ。もちろん、飯島は適当な受け答えをしていない。饒舌ではないが、ひとつひとつの質問に慎重かつ真摯に答えていた。謝る必要などどこにもないにもかかわらず、飯島は頭を下げずにいられなかった。彼の人の良さを見事に表したエピソードと言えよう。

飯島とラグビーの出会いは高校一年の時と遅い。3歳まで、母親の母国・ハンガリーで育った。その後、家族3人で帰国し、新潟で暮らしたが、5歳の時、父親の実家・長野に移り住んだ。ちなみにハンガリーの思い出は「全く覚えていない」と言う。

飯島陽一(三洋電機ワイルドナイツ)

小学校時代は野球部に入り、中学では父親の勧めで剣道部に入部する。しかし、飯島少年は剣道の面白さを理解しないまま、1年半で退部し、スポーツとは無縁の中学生活を送るのだった。この時の飯島は後にラグビーで身を立てるとは、想像すらしていなかった。それどころか、ラグビーというスポーツの存在すら知らなかったのだ。

決して積極的ではない性格の飯島が、ラグビー部に入ったのも自らの意思ではない。

「『高校に入ったら、体格を生かしてバレーボールかラグビーをやれ』と父親に言われていたんです。バレーの選択肢もあったんですが、岡谷(工業高校)はバレー部が強豪で経験者ばかりが入部していたので、初心者が9割くらいを占めているラグビー部を選んだんです」

岡谷工業高はバレーボール、自転車、ラグビーで全国大会の常連だが、特にバレーの実績がズバ抜けていた。春高バレー3連覇や高校3冠など、輝かしい成績のもと、優秀な人材が集まってきた。バレーボール未経験の飯島が、消去法でラグビーをチョイスしたのも頷ける。ラグビーとの出会いも一風変わっていれば、ラグビーとの付き合いの深め方も独特である。

「監督がいい人で、1年から3年まで『平等にやろう』という方針があったのも良かった。僕に対しては先輩たちの扱いもやさしかったし、理不尽なことを言われた思い出もありません。もし、理不尽なことを言われたら? 僕は落ち込んでしまうタイプなので、ラグビーを嫌いになっていたかも……。敵を抜いた時の喜びをどっかで味わったとは思いますが、スポーツならではの仲間意識が心地好かったですね」

飯島陽一(三洋電機ワイルドナイツ)

CTBからNo.8へポジションを移したラグビービギナーは、その後高校日本代表にまで名を連ねるようになる。大学でもラグビーを続けることになるが、この時もまだラグビーと一生の付き合いになるという予感すらなかった。

「父親がお土産の見本を作る仕事をしているんですが、その父親の姿を見ていて、高校卒業後は安定した職場で働こうと思っていたんです。でも、父親に『まだ早い』って言われて……。それにラグビーでいくつかの大学から話が来ていたみたいです。各大学の監督と親が話をしていて、大東文化大学に決まりました。『これだけの人がラグビーで期待してくれるなら、ラグビーを続けようかな』と思いました。でも、進路について僕の意思は尊重されていません」

大学時代も飯島のマイペースぶりは発揮される。

「午前中は寝ていて、昼からラグビーの練習をして、夜はずっとゲームばかりしている」 生活を送り、大学卒業は2年半ほど遅れてしまったのだ。それでも、本人は「3・4年生になってからは相当がんばったんですよ。でも、間に合いませんでした」と悪びれた様子はない。

大学卒業後、三洋電機入りするのも両親の決断だった。高校、大学と持ち前のフィジカルとセンスで、プレーしてきた飯島は社会人の強豪でカルチャーショックを受けることになる。

「高校から大学に上がった時よりも、大学から三洋電機に入った時の方がレベルの差のギャップが大きかったです。『えらいところに来てしまった』と思いました。まず、先輩方はみんなラグビーに対する意識が高い。当時、コーチだった飯島均監督に徹底的にしごいてもらいました。すべての面で一段も二段も上げてもらった。気持ちも体力も、筋力もありませんでしたから」

飯島陽一(三洋電機ワイルドナイツ)

ラグビーと本気で向き合うようになった飯島は1年目から出場機会を得て、その後、スタメンとリザーブメンバーの役割を両立している。フランカーとロック、時にはNo.8とチーム状況に合わせ、いくつかのポジションもこなす。さらに今季に入って、精神面での成長を自覚するようになる。

「正直、昨年までは精神面でへこんでしまう時があったんです。例えば、一昨年、ダニエル・ヒーナンが加入した時のことです。僕のポジションには外国人選手が多いですし、彼らを認めたくない部分がどっかにあったのかもしれません。でも、ヒーナンと話すようになって、学ぶことは多いし、『ヒーナンがケガをしたら、僕がその分までがんばる』と思うようになりました。今までは甘えがあったんです。フル出場するためにはスキルが足りなかっただけ。ロックとしては身長が低いし、フランカーにしては体力不足。そして何よりも『チームで勝とう』という意識が足りなかったですね」

自己主張が苦手で、目立つことを嫌い、悪い意味でもマイペースだった飯島は変わった。

「三洋電機でレギュラーを取るのと、他のチームでレギュラーを取るのでは意味が違うと思うんです。だからこそ、三洋電機でチャレンジしていきたいし、勝ちたいんです」

そこには正真正銘のラガーマンの顔があった。

男前が10の質問に答える

好きな食べ物:プリン
趣味:庭いじり、ゲーム
長所:マイペース
短所:面倒くさがり屋
好きな動物:犬

理想の女性像:嫁
尊敬する人:飯島均監督、父親
ラグビーとは:自分の支え
座右の銘:マイペース・イズ・ベスト
今後の目標:一人前のプレーヤーになる

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PROFILE

いいじま・よういち
1983年9月6日、ハンガリー生まれ。ポジションLO/FL。岡谷工業高校でラグビーを始め、高校日本代表にも選ばれる。大東文化大学へ進み、'06年に三洋電機入り。1年目から出場機会を得て、シーズン終盤にはLOのレギュラーに定着。以後、スタメン、途中出場を問わず、コンスタントに試合に出る。'08年11月、日本代表合宿に参加する。
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