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週刊 トップリーグ男前列伝 藤戸恭平(NECグリーンロケッツ) 「ラグビーは人間関係の縮図です」

藤戸恭平(NECグリーンロケッツ)

Text●村上晃一 Photo●岡本寿

野球にサッカー、格闘技などスポーツジャンルは数あれど、トップリーグの会場に集う女性の美人度の高さは群を抜いている(ぴあ編集部経験調べ)。それはなぜか? ド迫力のタックルに醍醐味と言えるトライ、そしてノーサイドの精神……。理由はいくつもあるが、トップリーガーにハートを兼ね備えたイケメンが多いこともトップリーグの会場に美人が集まる要因のひとつだろう。
そこで、トップリーグ全14チームから毎週ひとりずつイケメン戦士をピックアップし、彼らの男前な素顔を探っていく。

人を惹きつける根っからの陽性キャラ

藤戸恭平は人懐っこい笑顔で現場に登場した。千葉県我孫子市のNEC我孫子事業場内グラウンド。夕暮れの光を利用した撮影で、カメラマンの要望に応えてさまざまなポーズをとる。シャツとパンツはおしゃれだが、サンダル履き。室内での撮影と思いこんでいたらしい。デジタル画像を見せられると、「お〜っ、これ、奇跡の一枚じゃないですか〜」と無邪気に喜んだ。

藤戸恭平(NECグリーンロケッツ)

5歳で兄・陽介にくっついて佐賀ジュニアラグビースクールに通い始めたのが楕円球の世界に入るキッカケだった。すでに小学4年生の時に、佐賀工業高に入って強豪大学、社会人のトップチームに入ることも決めていたと言う。

「4年生の時、僕の学年を担当した指導員の先生がすごく良かったんです。楽しくやっている間に、その学年がいつの間にか強くなった。チームの結束も固く、毎週楽しくて病みつきになりました。たまに僕らと同じグラウンドで佐賀工業が試合をするのも見ていたし、当時の小城博監督の奥さんと僕の母が知り合いだったこともあって、小さな時から先生のことも知っていました。最初はただのおじさんだと思っていたんですけどね(笑)」

数年後、実際に佐賀工業高に入ってみると、練習の厳しさは想像を超えていた。同期が数名部を去ったが、藤戸は耐え抜き、全国大会にも出場。攻守にバランスのとれたスクラムハーフとして高校日本代表にも選出された。

「暑い日に練習していても寒くなる(笑)。人間って暑いのを通り越すと寒くなるんですね。でも、あのおかげで今があります。中学の時、友達から『お前は体が小さいから(ラグビーは)無理だ』と言われた。悔しくて、泣いて帰ったことがあります。見返したくて、高校3年間はラグビーに集中しました。辞める気なんて、まったくなかったですね」

以降は、U-19日本代表、7人制日本代表、日本A代表など、あらゆる代表に名を連ねた。NECグリーンロケッツでは、先輩の日本代表SH辻高志と激しいレギュラー争いを続けてきたが、昨季限りで辻が引退。チーム最年長SHとなった藤戸にかかる期待は大きい。しかし、今季は持病の腰の痛みやふくらはぎのケガなどで出場機会が少なくなっている。

「劣勢の時にチームの雰囲気を盛り上げるのには自信があります。それが今できないのが申し訳ないし悔しい。今まで辻さんをガムシャラに追いかけてきたのですが、最年長になってチーム全体を見られるようになった。若い頃は先輩方に信頼されようとしていましたが、今は信頼される側にならなければいけないという自覚が芽生えています。後輩たちが躊躇なくプレーできるようにゲームを組み立てていきたい。それは若い時にはなかった感覚ですね」

藤戸恭平(NECグリーンロケッツ)

ラグビーでも周囲を生かそうとする藤戸はグラウンド外でもサービス精神旺盛。結婚式の二次会の司会を頼まれることも多い。趣味の「絵画とギター」は玄人はだしで、友人の結婚式のウェルカムボードに似顔絵を描いたり、チームのTシャツのデザインを手がけたりもする。

「僕はいつも兄貴にくっついていました。その兄貴が子供の頃に絵画教室に通っていて、僕も遊びで絵を描いていた。思い返せば、遊びの中でボールを描く時の陰のつけ方とかを学んでいたし、兄が本格的に美術系の学校を目指して先生に習っている時も、後ろで話を聞いていたんですよ。兄はそのまま美術の道を進んで、玩具メーカーのデザイナーになっています。僕も時々無性に絵が描きたくなるので、かっこいい建物とかデジカメで撮りためておいて、気が向くと描くようにしています」

母・明子はゴスペルの先生。弟(栄吉)は、マーチングバンドのドラムでアメリカに留学し、プロのアメリカンフットボールのチームに帯同してツアーを回ったこともある。「兄弟それぞれ得意分野が違うので、比較しないで尊敬し合える。それはとても良かったです」

藤戸は、なんにでも熱中するタイプ。部屋にこもって絵を描き、ギターを奏でながら長時間過ごすことも多い。NECグリーンロケッツの夏の恒例行事「あびこラグビーフェスタ」のテーマ曲も藤戸が作詞・作曲した。

「いろんなミュージシャンの曲を弾くようになって、基本的なコード進行を覚えました。頭に浮かんだメロディーにコードを当てはめ、あとは詩人になりきっています(笑)。ギターは部屋でよく練習します。年輩の人の前で弾くこともあると思って、小田和正さんとか、中島みゆきさんの歌も、楽譜を見ないで弾けるように練習しています。何か弾いてくれと頼まれた時に、『できません』と言う寒い自分が嫌なんです」

常に聴衆を意識しているところが面白い。大ファンであるゆずの曲は一番の得意。根っからのエンターテイナーである藤戸は企画好きでもある。あびこラグビーフェスタ名物「森の妖精」は、天使のような衣装で歌い踊り、子供たちに人気を博している。

「年に一度、我孫子の森に舞い降りる妖精という設定です。これは、心の澄んだ人にしか見えません。フェスタで人々が騒いでいるから、『なんだろう』って舞い降りて来るんです。佐藤平(LO)と一緒にニュージーランドに留学した時に、僕がギター、佐藤がオカリナでユニットを組もうということになった。それがどんどん広がって。一回やったら、ちびっ子に大人気で辞められなくなっちゃったんです」

藤戸恭平(NECグリーンロケッツ)

グループ企業のNECネッツエスアイに勤務。職場の人たちが大応援団で見に来てくれるのがプレーする励みだ。腰の痛みもあって、あと何年プレーできるか分からないが、力を振り絞ってこれまで自分を支えてくれた人たちに恩返ししたいと考えている。それもラグビーを心底愛しているからだ。

「ラグビーは人間関係の縮図です。ラグビーをやると相手の気持ちを考えるようになる。痛みも分かるし、優しくもなれる。空気の読めない発言をしてしまう人は、ラグビーをやった方がいいですよ(笑)。誰かのために何かをする、そういうことを教えられます。僕のために戦ってくれる選手がいる。感謝の気持ちが芽生える。そしてチームができあがっていく。試合後に、『サンキュー』『ナイス』と言い合うのが最高の瞬間です。僕が病みつきになっているのは、そこだと思います」

中学を卒業する時、担任の先生から生徒各々に思いを託す言葉を贈ってもらった。藤戸が手渡された紙にはこう書いてあった。

『辛いかね、苦しいかね、もう辞めたいかね、私はそこを笑って通ったことがある』

藤戸が大事にしている言葉だ。苦しい戦いを続けるチームの力になりたいが、身体が思うように動かない今は我慢の時だ。藤戸恭平は明るい笑顔でラグビーと向き合い、戦い続ける。

男前が10の質問に答える

好きな食べ物:フルーツ
趣味:絵画を描く、ギターを弾く
長所:リーダーシップがある
短所:テキトーなところがある
好きな動物:サル

理想の女性像:自然体の人
尊敬する人:兄弟
ラグビーとは:相手の気持ちがわかるスポーツ
座右の銘:辛いかね、苦しいかね、もう辞めたいかね、私はそこを笑って通ったことがある
今後の目標:復活した姿を見せ、チームに貢献する

特集「大解剖!ジャパンラグビートップリーグ2009-2010」へ

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PROFILE

ふじと・きょうへい
1980年5月11日、佐賀県生まれ。175cm、75kg。ポジションSH。5歳の時、佐賀ジュニアラグビースクールに入り、小中学と在籍する。その後、佐賀工、日本体育大と古豪に進む。'03年にNECへ入社。センスあふれるパスでチームをリードする。日本A、7人制、U-19、高校と各代表に名を連ねた。
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