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週刊 トップリーグ男前列伝 鈴木康太(クボタスピアーズ) 「ラグビーとは? 出会いです!」

鈴木康太(クボタスピアーズ)

Text●村上晃一 Photo●岡本寿

野球にサッカー、格闘技などスポーツジャンルは数あれど、トップリーグの会場に集う女性の美人度の高さは群を抜いている(ぴあ編集部経験調べ)。それはなぜか? ド迫力のタックルに醍醐味と言えるトライ、そしてノーサイドの精神……。理由はいくつもあるが、トップリーガーにハートを兼ね備えたイケメンが多いこともトップリーグの会場に美人が集まる要因のひとつだろう。
そこで、トップリーグ全14チームから毎週ひとりずつイケメン戦士をピックアップし、彼らの男前な素顔を探っていく。

壮絶な生い立ちが鈴木を強く、優しくした

機動力が高まったと評判のクボタスピアーズでFWの中心である。190p、108sの巨漢ながらボールを持ってのスピードある突破が魅力だ。もちろん、仲間のためボール獲得にも身を削る。たたずまいに落ち着きのある好漢である。千葉県船橋市にあるクボタスピアーズのクラブハウス。取材の最初に行われた10の質問にも淀みなくハキハキと答えた。

プロフィールを見ると、愛媛県生まれながら、三重県の日生学園第二高校、東京の国士舘大学とある。高校、大学と全国的には無名だったこともあって、これまでに専門誌などでも個人取材は受けていない。まずは、少年時代のことから尋ね始めた取材者は最初の答えに言葉を失うことになった。

鈴木康太(クボタスピアーズ)

「小学校までは愛媛県にいて、それから大阪に出ました。両親が亡くなったんです。母(啓子)は病気(癌)で亡くなり、後を追うように3カ月後に父(英雄)が急逝しました。僕は中学1年生で5歳下の妹(良佳)がいました。施設に入るか親戚のところに行くかという話になって、父の姉にあたるおばさんのところで暮らすことになったんです。ここから人生が一気に変わりましたね。『ひとりで生きていかなきゃいけない』。それを強く思って生きてきました」

小学生の頃は空手を習っていた。幸せな家族だったと想像できるが、突然の悲劇が中学1年生に襲いかかった。自分が頑張るしかない。小学生の妹を抱えた責任感が、ギリギリの線で彼を曲がった方向に進ませなかった。大阪の中学に通い、バスケットボール部に所属した。親戚と言えども世話になる以上、気を使う。ストレスがたまってコンクリートの壁に思いをぶつける日々。いつまでも親戚に迷惑はかけられないと、全寮制の日生学園第二高校に進学を決めた。一刻も早く妹を養えるようになりたい。高校を出たら働こうと思っていた。しかし、そこで運命の出会いが待っていた。

「環境も変わるし、高校では違うスポーツをしたいと思っていました。空手をしていたこともあって、格闘技系が好きでした。『柔道かラグビー、どっちにしようかな?』って思っていたら、学校の見学会で『ラグビーやらへんか』って声をかけられた。ラグビー部の谷口典央監督(現・日生学園第一高校ラグビー部監督)でした」

15人という大人数で試合をするラグビーの指導者は常に人材難に直面しているものだ。身長180pを優に超える鈴木を見逃すはずがなかった。谷口監督によれば、鈴木はラグビーセンスがあり、1年生からレギュラーとして活躍、2年生でオール三重にも選抜されていたという。競技生活は順調そのもの。ただし、ラグビー外の時間は辛いことも多かった。夏休みなどで学校が長期休暇に入ると寮も閉鎖される。帰る場所のない鈴木は、学校の先生や友達の家を泊まり歩いた。

「ホームレス中学生って本があったでしょう。『同じだな』って思いました。友達の家に行ったり、どこにも泊まるところがない時は、マンションの屋上で寝たこともあります。だから、今でも友達のお母さんとは仲が良いですよ(笑)。友達がいなくても遊びに行けるくらいです」

卒業後は働いて妹と一緒に暮らしたいという気持ちが強かった。複数の大学チームから誘いの声がかかったが経済的な理由ですべて断った。ところが、1チームだけ学費免除を申し出たところがあった。国士舘大学である。ここなら体育の教員免許もとれる。将来を考えればこれ以上ないありがたい話だった。鈴木は上京することを決めた。

「妹のことは、おばさんが『20歳になるまでは私が面倒を見る』と言ってくれました。だから、大学では教員免許をとることと、ラグビーに没頭しました。練習はきつかったですね。チームも2部の中位で微妙でした(笑)。4年間やって、もうラグビーはやめようと思いました。ラグビー部を引退するまで就職活動をしていなかったので、仕事を探しながら、クラブチームでプレーし始めたんです。これが楽しかった。自由で、解放された気がしました。ラグビーの楽しさを思い出して、続けたくなってきたんですよね」

鈴木康太(クボタスピアーズ)

日本有数の歴史を誇るエーコン・クラブ入りが、彼の人生を大きく変えることになった。山下浩監督(同志社大学OB)は鈴木の才能を高く評価し、自ら学生時代に留学したニュージーランドのカンタベリー大学クラブを紹介してくれたのだ。

「『お前もったいないよ、今からトップリーグのチームに入るのは無理だから、とりあえずニュージーランド行ってこい』と言ってくれて。10月に来日したオールブラックスのSHアンドリュー・エリスとも一緒にプレーしました。その山下さんがクボタに話をつないでくださった。だから、本気でラグビーを続けようと決意したのは、エーコンでプレーした頃なんです。クラブラグビー、最高です!」

2004年夏、クボタの荻窪宏樹監督(当時)が鈴木のプレーぶりを確認して採用を決めてくれた。卒業から約3カ月、新卒者としては異例の採用だった。ラグビーが縁で出会った人々が、鈴木の才能を認め、手を差しのべ、最終的には夢にも思わなかったトップリーガーへの道が開けたのである。クボタ入りしてからは夢中でラグビーに取り組んだ。

「入社した時はラグビーのスキルがゼロの状態で、これまで自分がやってきたことと、全然違うことをやっているという印象でした。無知でしたね。だから、ゼロからすべてを吸収していくのが楽しくて仕方なかったし、今も楽しいです」

今季からはバイスキャプテン(副将)としてチームを引っ張る。高校はキャプテン、大学はバイスと、常に周囲から頼られるリーダータイプではある。しかし、リーダーとしての役割を考え抜いたのは今回が初めてだった。

「キャプテン、バイスといってもいろんなタイプがいるでしょう。自分に何ができるかを考えました。いまのクボタは若いチームだから、上からガツンと言われるとシュンとする選手が多い。それを慰めようと思ったんです。落ち着かせて、気持ちを上げてやろうという意味です。だから、慰め役、励まし役です。『大丈夫や、頑張れ』って」

鈴木康太(クボタスピアーズ)

両親を早くに亡くしてしまったからこそ、自分を支えてくれる人たちの尊さがわかる。家族がいて、ラグビーがあって、サポートしてくれる人がいて、それが当たり前のようにあることが、どれだけ幸せか。

「大阪に住んでいた頃の近所のおばさんや、高校の国語の先生が試合を見に来てくれたり、谷口先生がときどき『元気にしてるか?』って顔を出してくれたり。みんなに応援してもらえるのが、すごく嬉しいんです。だから、みんな(選手達)にも分かってほしい。応援されていることのありがたさを。それを感じてもらうようにするのが、僕の役目でしょうね」

チームメートを語る目は優しい。強く生きなければいけなかったからだろう。鈴木の言葉は一つひとつ腹が据わっている。引退後は指導者を目指し、いずれは大学院にも通うつもりだ。

「高校も弱かったし、大学も2部だったから、そういうところに行って何か伝えられたらいいなって思っています」

今は東京でひとり暮らし。妹は結婚して自立した。鈴木康太はクボタスピアーズの一員としてチームの成績を上げることに集中する。「トップ4に入ると何かが変わる気がします」。11節終了時点で8位と目標達成には苦しい状況だが、トップリーグのあとは日本選手権もある。スピアーズの背番号4は諦めずに走る。感謝の想いを胸に抱きながら。

男前が10の質問に答える

好きな食べ物:うどん
趣味:買い物
長所:マイペース
短所:大雑把なところがある
好きな動物:ネコ

理想の女性像:家庭的な人
尊敬する人:二ツ森修元国士舘大学監督
ラグビーとは:出会い
座右の銘:成せば成る
今後の目標:トップリーグ全試合出場

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PROFILE

すずき・こうた
1981年4月9日、愛媛県生まれ。190cm、108kg。ポジション・ロック、No8。日生学園第二高校入学後ラグビーを始め、2年時には三重県選抜に選出される。国士舘大に進み、ラグビー部引退後はエーコン・クラブでプレー。卒業後はニュージーランド留学を経て、クボタ入り。
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