- 家紋 寄り九曜または大一 大万 大吉
- 兜 総髪に天頂脇立兜など
- 鎧 乱髪形兜二枚胴具足など
“正義”を貫いた悲劇の武将
豊臣秀吉に見出され、行政官僚として秀吉を支えた石田三成。大名と秀吉を繋ぐパイプ役をこなし、太閤検地や刀狩りを普及させ、有事には、大部隊への支援を執り行なった。その凄腕ぶりは「我に異ならぬ才を持つのは三成だけ」と秀吉を唸らせた。漢字を組み合わせた三成の旗印には、「万民がひとりのために、ひとりが万民のために尽くせば、泰平の世が訪れる」そんな三成の理想が込められている。忠誠心が厚く、無欲で、正義感にあふれる人柄は人々に信頼され、小姓時代から親しかった大谷吉継(よしつぐ)は、三成が敗北するのを予感しながらも、関ヶ原の戦いでは三成側につき、壮絶な最期を迎えている。「三成に過ぎたるもの」と謳われた軍師、島左近もまた、禄高が4万石のところ、半分近くを自分に与えるという三成に意気を感じて、参謀になり、関ヶ原の戦いでは勇壮果敢に戦い、東軍武将たちを震え上がらせた。
一方で、冷酷で小賢しく、ダーティーなイメージも三成にはつきまとう。
まじめすぎる性格が災いして人情に欠けるところがあり、敵を作りやすく、福島正則や加藤清正など、武断派の武将たちとは対立したという。また、秀吉の有能な秘書官ゆえに、秀吉の負の部分を背負い込むことも少なくなかった。晩年の秀吉が実子、秀頼に跡を継がせるため、甥、秀次に謀反の疑いをかけ、妻子、側室総勢39人が京都三条河原で処刑された事件も、三成は助命を嘆願したにもかかわらず、秀吉の命令を受け、刑罰を実施するという損な役回りを担った。そして、豊臣家を滅ぼして天下を掌握した徳川幕府にとっては、三成を悪役にする必要があり、誹謗中傷により、実像が歪められていく。
秀吉の死後、実権を掌中に収めつつあった徳川家康にとって、豊臣家への忠義を貫いた三成は目障りな存在だった。19万4千石に過ぎない三成が、250万石の家康に戦いを挑んだ関ヶ原の合戦。敗れた三成は母の故郷、古橋まで逃亡するが追手につかまり、京都六条河原で最期を迎えた。

ゆかりの地北国街道の宿 紗蔵[ほっこくかいどうのやど さくら]
にしん問屋の商家を再生
城下町の佇まいを残す北国街道沿い、江戸末期建築の商家を活かした宿。蔵の部屋も2室あり、風情ある客室でくつろぎたい。観光スポット黒壁スクエアは徒歩約10分。旬の野菜や豆腐を使ったヘルシーな料理もうれしい。
DATA
住所 滋賀県長浜市朝日町35-2
TEL 0749-63-3911
IN15:00 OUT10:00
定休日 不定休
料金 1泊2食付中学生以上1万2980円〜(休前日も同じ)
P 5(宿泊客は無料)
交通 JR北陸本線長浜駅より徒歩約8分 (車)北陸自動車道長浜ICより約5km
URL http://www.nagahama-sakura.jp/

雪見障子や虫籠窓など手の込んだ造り

夏はホタルが見られる十一川に面し、川のせせらぎが心地よい
この人が“彼”を演じてました!
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