- 家紋 梅鉢紋
- 兜 笠型の異型兜など
- 鎧 朱塗りで肩に魚の鱗など
謎の多いイタズラ好きなかぶき者
派手なパフォーマンスと痛快なエピソードを数多く残し、破天荒に生きた傾奇者。傾奇者とは奇矯な振る舞いを好む者のこと。前田慶次は戦国武将のなかでもとびきりの人気者だが、その一生はナゾに包まれている。何が史実でどこから伝説なのか、今は知るよしもないが、前田利家の兄、利久の養子となり、前田家を継ぐはずが、織田信長のひと声で前田家の家督が利家に決まり、城を追われる。この間の記録はなく、のちに和解した叔父、利家の家臣となるが、ソリが合わず、利家を水風呂に入れて前田家を出奔した逸話が残る。猿の渾名がある豊臣秀吉の前でも 臆せず猿まねをするなど、徹底した傾奇ぶりに、秀吉が「天下御免の傾奇者」とお墨付きを与えたほど。武勇に優れ、文学にも通じ、多くの武将が家臣にと嘱望したが、条件のよい話も断り、唯一志願したのは直江兼続の主君、上杉景勝だったという。関ヶ原の戦いで西軍の敗報が入ってきたとき、上杉軍率いる兼続は出羽・長谷堂城をめぐり、最上義光と激戦を交わしていた。景勝は兼続に撤退を命じたが、伊達政宗の援軍を得た最上軍の猛攻に難航した。そのとき危険を顧みず、朱槍を持って敵陣へ乗り込み、体を張って上杉軍の撤退を助けたのが慶次だった。景勝が米沢へ減封となると、慶次も追って米沢で余生を過ごす。行動こそ突飛だが、人として大切なものを知る慶次は、兼続とはタイプは違うが、「義」に生きた武将だった。
ゆかりの地仙台城跡[せんだいじょうあと]
初代仙台藩主政宗の居城
1601(慶長6)年、政宗が築城した山城で、別名・青葉城。現在は焼失し、修復工事で蘇った石垣と再建された脇櫓が残るのみ。城跡一帯は青葉山公園として整備され、政宗の騎馬像や青葉城資料展示館、仙台城見聞館などがある。
DATA
住所 宮城県仙台市青葉区川内1
TEL 022-214-8259(仙台市観光交流課)
営業園時間 常時開放(青葉城資料展示館は9:00〜17:00、11/4〜3/31は9:00〜16:00、仙台城見聞館は9:00〜17:00)
休館日 無休(青葉城資料展示館はメンテナンス休あり)
料金 無料(青葉城資料展示館は大人700円、中高校生500円、小学生300円
P 150(400円/1時間)
交通 (電車)JR東北新幹線ほか仙台駅より市営バス仙台城跡方面行きで約25分、「仙台城跡南」下車徒歩約3分、または循環バスるーぷる仙台で約20分、「仙台城跡」下車すぐ
(車)東北自動車道仙台宮城ICより仙台西道路経由約6km
URL http://www.city.sendai.jp

アジサイ寺としても知られ、シーズンには一面アジサイで埋め尽くされる

1980年代に建立した慶次供養塔
この人が“彼”を演じてました!
戦国武将人気ランキング(『戦国武将ぴあ』調べ)
