- 家紋 竹に飛び雀
- 兜 飯綱権現の前立、白頭巾など
- 鎧 鎧に陣羽織など古風を好む
戦国時代の最強の毘沙門天
生き馬の目を抜く戦国時代。寝返りや陰謀がはびこり、血気盛んな武将たちが天下獲りに躍起になっていたとき、上杉謙信は最大のライバル、武田信玄のピンチを救い、敵に塩を送っている。私欲が渦巻く乱世ではかなり異色の「義」に厚い武将だった。
15歳(14歳説も)で初陣を飾り、その一生は戦に明け暮れたが、卓越した戦術家で戦の勝率は戦国武将のなかでもトップクラスを誇る。「天下布武」をスローガンに掲げ、破竹の勢いで勢力を広げていた織田信長と交わした「手取川の戦い」でも謙信が勝利を収めている。超人的な強さを誇り、「軍神」をはじめ、「越後の虎」「越後の龍」などさまざまな異名がついたが、謙信は天下争奪には興味がなく、「世の秩序を正すため」という大義のもと、私利私欲の戦いは行わなかったといわれる。
信玄と12年間のうちに5回も戦った「川中島の戦い」も信玄が信濃に勢力を広げ、北信濃を領有する村上義清が謙信に助けを求めたことが発端だったという。激戦となった第4次の戦いでは、謙信自身が信玄の本陣へ攻め込み、馬上から信玄に斬りつけている。信玄は軍配で太刀を防ぎ、九死に一生を得た。謙信にとって信玄は宿敵だが、実力は互いに認め合い、信玄の訃報には謙信も男泣きをしたという。
謙信は仏門に深く帰依し、自らを毘沙門天の化身と信じた。「毘」の一字を染め抜いた軍旗を翻し、白布で頭を包んだ僧衣姿で陣頭を仕切った姿はカリスマ的な魅力を放つ。北条氏によって領土を追われ、越後に逃げてきた関東管領の上杉憲政(のりまさ)のために、北条氏の居城、小田原城を攻めようと、関東には13回出陣している。14回目の関東遠征の準備中に突然病に倒れ、謙信は帰らぬ人となった。ストイックなまでに不条理を嫌った謙信の原点は、7歳から14歳までの少年期を過ごした、春日山城下の林泉寺といわれる。高い学識と仏心はこのとき培われた。謙信が遺した「義」の心は上杉景勝や直江兼続へと受け継がれていく。

ゆかりの地春日山城跡[かすがやまじょうあと]
謙信が居城した山城
標高約180m、一度も敵に攻められたことがない難攻不落の山城。自然の起伏を活かした土塁や空堀の遺構が数多く見られ、本丸跡や屋敷跡が残るほか、謙信が出陣前に戦勝を祈願した毘沙門堂などが復元されている。
DATA
住所 新潟県上越市中屋敷、大豆
TEL 025-526-6910(上越市役所観光企画課)
営業時間 常時開放
定休日 無休
料金 無料
P 30(無料)
交通 (電車)JR信越本線直江津駅より頸城自動車(バス)春日山下経由高田中央病院行きで約17分、「春日山下」下車、徒歩約20分で謙信公銅像前。本丸跡までは徒歩約30分 (車)北陸自動車道上越ICより約5km
URL http://www.city.joetsu.niigata.jp/kankou/index.html

春日山神社の参道脇の春日山城跡途中にある

頸城平野や日本海を一望
ゆかりの地松代の棚田(星峠)[まつだいのたなだ(ほしとうげ)]
ドラマの冒頭に注目!
大河ドラマ「天地人」にも登場する星峠の棚田をはじめ、松代エリアには魅力的な棚田がたくさん。松代支所地域振興課では棚田マップを作り、駐車場や看板を整備。但し、田んぼに入ることは厳禁なので要注意。
DATA
住所 新潟県十日町市松代地区
TEL 025-597-2220(十日町市松代支所地域振興課)
営業時間 常時開放
料金 無料
P (棚田ごとに異なる)
交通 (電車)北越急行ほくほく線松代駅より棚田ごとに異なる (車)関越自動車道六日町ICより国道253号線経由約32km(北越急行ほくほく線松代駅)
URL http://www.tokamachishikankou.jp/

四季折々に魅力ある田園風景に心癒される
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