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過去のインタビュー
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(続き)
――ソウル・フラワーのおふたりは、当時、野望的な気持ちがあったとすれば、今はどんな形に変わってますか。

中川 じゃがたらとかボ・ガンボスが出たときに変わるんかなとは思ったけどね。ああいうバンドがメジャーと契約……特にじゃがたらがメジャーと契約して、変わっていくんかなと思ったけどね。今や子どもがギター弾いてバンドやってるっていうたら、親は安心するんとちゃう?(笑)

加藤 ホントそうなんだよ。昔、ギターとでかいバイク買ったら、もう勘当みたいなことあったの、エレキギター買ったら。あとシンナー吸って……そりゃよくないけど、今でも。

古市 シンナーとギター、一緒の扱いだったからね。

加藤 シンナーと同じぐらい悪いものだった。

奥野 シンナーでも、ラバー・セメントぐらいの悪さがあったんだよ(笑)。

加藤 ところが、いまエレキギター抱えてたら、昔だったらソロバン持って塾行くように、お母さん安心だもん。あっ、ギターやってんの?…って感じで。

――ライブハウス、健全な場所ですからね。

中川 でも、音楽が面白くなくなってるってことはないと思うけどね。やっぱりメディアとかレコード会社とかが面白くなくなってるんよ。今でもいっぱいおもろい音楽は世界中にあるし。

加藤 表面的に発信してる部分がくたびれてたり、もう興味がなかったりして、いいかげんなもの出していくから、音楽界全体がね……。

奥野 いま売れてるものと売れないものの差がすごいはっきり分かれてて、売れてるもんは家のおばあちゃんでも知ってるぐらいのもので、おれらみたいなのは高校生も知らなかったりとか、そのすごい差がイメージであるわけで。

中川 ナンでもカンでも出すやん、レコード会社が。1、2枚出して売れなかったらポイやんか。以前よりひどいな、それは。

加藤 でも、ソウル・フラワーを高校生とか聴くようになったら、奥ちゃんは悪いことばっかりしてしょうがねえなだろうな。

中川 それが問題なんですわ。

奥野 何でやねんな、何で話がそこに(笑)。

――ニュー・アルバムを作りました、と。ホントに魂を込めて作るわけじゃないですか、ロック・ミュージックの。今はどういう人たちに向けて、それを作ってる感じがあるんですか。

加藤 多分自分に作ってる。自分が一番いいと思うものを作ってる。昔はマーケティング・リサーチとかして、あるときには伊藤銀次さん(音楽プロデューサー)とやったときに、茶髪の連中とか暴走族の連中がステッカー貼るぐらいな勢いでつくんなきゃダメだと思って。必要だと思ったの。やっぱりバンドを継続する上にはヒットがないと、絶対みんなバンド失速していくから。それも方法論としては絶対的なんだけどね、バンドでメシを食っていくということ、イコール売れていくということがないと、絶対食っていけないんだよ。

中川 ヒット曲文化やしね、日本は完全に。

加藤 やっぱ芸能だからね。そういうこともあったんだけど、やっぱりうまくいかないんだよ。

――それを極端に感じたタイミングとかありますか。僕らファン側からしたら『ユニバーサル・インベーダー』が出たときに、これは革命的に変わるって感じが沸騰したんですよ。だけど、あの作品でさえそこまでできなかった感じがあって。

中川 いや、無理ちゃう? おれはハナからちょっとあきらめてるところがあって(笑)。

古市 でも、あれ1位になったでしょ、オリコンで。

奥野 なんない、10位。

加藤 すごい。おれらなんか最高でも40位ぐらいだよね。

奥野 でも、あれが例えば300万枚とか売れてたとしたら……。

加藤 おまえまた悪いことばっかしてしょうがなかった。

古市 300万枚は売れないだろ。

――2回離婚してるってことですよね、あれが300万枚売れたら。

加藤 2回どころじゃないよ、ブラジル人とも結婚してるはずだよね。

中川 ハハハハハ……。

古市 でも、あれが50万枚ぐらい売れてれば面白いもんね。

――そのころの気持ちとそんなに変わらず、そのころもそういう気持ちでやってらっしゃった…?

中川 おれの場合は、もう個人的に、こいつ(奥野)とは考え違うかもしれんけど、自分が歌ってて自分が歌詞を書いてる以上、そんなにバカ売れすることはないやろ…と思ってやってる(笑)。だれに向けてやってるかっていったら、それはもうすべての人間に向けてやってるよ、ずっと。

奥野 でも、おれは彼の才能は売れるべきもんやと思ってたから……。

中川 もう過去形やろ、それも。

奥野 いやいや……(笑)。おれは夢はコレクターズが持ってた夢みたいなの持ってたし。

中川 持ってたな、持ってた持ってた。

奥野 メジャーというものに行くのも、すごいおれは夢見てた。

中川 だって、ニューエスト・モデルがメジャーと契約するとき、そのときに4人のメンバーでミーティングをしたわけよ。1988年10月ごろ。おれがレコード屋さんでバイトしてたら、いっぱい来るわけ、レコード会社の邦楽担当が。で、メンバー集めて、ここらでおれもええレコード作りたいし、メジャー移籍も考えてるんやけどどない思う? って言うたら、ドラマーとベーシストは「行きたくない」って言ってね。

加藤 それは何でなの、何で行きたくないって。

中川 ベースのヤツは変なこと言うたよな。これからおれはハゲていくと思うから……ほんまに、マジメな顔して。ハゲていくと思うから、あんまりハゲてお客さんがたくさんおるところで音楽をやりたくないって、マジメな顔して言うねん(笑)。これは日本のロック史でも珍しいセリフやと思うんやけど(笑)。ドラムのヤツは、今はトラックの運ちゃんとかやっとんのやけど、ほんとにパンク・ロックが好きでバーッとドラム叩けたら楽しいだけで、メジャーとかそんなん何も興味ないと。あんまりそういうのやりたくないと。奥野だけ違ったんや、売れたいって。世界中に子どもを作りたいって(笑)

古市 そのベースのヤツはやめたの?

奥野 まあね、後々に。

古市 別に新しいメンバーを入れてメジャー・デビューしたの?

奥野 いやいや、そのメンバーでデビューして。

中川 『ユニバーサル・インベーダー』を作ってやめたな。あの過酷なレコーディングが終わって。

――当時の話でいえば、ソウル・フラワーは、インディーズでやっていた「ソウルフラワー・レーベル」ごとメジャー・デビューしたんですよね。ニューエスト・モデルだけじゃなくて、メスカリン・ドライヴも一緒にいて、レーベルの活動ごとデビューするという。

中川 ほんと“パンク”という感じやったね。メジャーと契約するのがカッコ悪いことやと思って、おれは。ちょっと「メジャーでパンク」はカッコ悪いやろ…みたいな。

――イギリスのロックが好きだった、僕らファンの間では、レーベルごとメジャーに行ってレーベルで活動するなんて、やっぱりヤツらは違うという話になったりとかするんですよ。

中川 「ラフトレード」って、あれもともとインディーやった? スミスとかいた・・・。名古屋の原爆オナニーズでもいいけど、そういうのがあるべき姿や…みたいな感じに思ってたから。それがミーティングで奥野が売れたいと。あ、そうなんか…みたいな。

加藤 芸能寄りだったんだねぇ。

――それを芸能寄りというのも(笑)。

中川 彼は今や紅白歌合戦やから、結構夢を達成してると思うね。

奥野 ちょっとちゃうな(笑)。

――そういうポリシーの感じはすごく似てるんですよ。

加藤 でも、僕らはね、やっぱり世代的なものがあると思うんだ。ナンだカンだ言っても、中川君と僕は6つぐらい違う。

中川 そうなの?

加藤 だからね、僕なんかの時代には、パンクが出てきたとき高校生なんだけど、そのインディーズがパンクで…というような、そんな図式なんてわかんないんだよ。デビューするには、それこそヤマハのコンテストとか、そういうものからメジャーへ入っていく……。

――「イーストウエスト」とか、コンテストがたくさんありましたね。

加藤 「イーストウエスト」とか、さんざん出たしね。そういう時代を生きてると、インディーズだ、メジャーだっていうところがまずわかんない。

古市 まず“インディー”って言葉がなかった、日本に。

加藤 そうなるってことは、やっぱり芸能にあこがれるしかないし、スターになるために音楽をやるっていうひとつの図式しかないんだよ。ただ、その図式の中でモッズが出てきたらカッコイイだろうな…とか思うわけ。黒柳徹子の隣で、おれがユニオンジャックのジャケット着ながら、中森明菜の前にインタビュー受けて……最後にガーンとやったら、お茶の間のジイサン3人ぐらい死ぬだろうなって、それぐらい思ってるわけよ。そこがちょっと違うんだよね。やっぱり芸能なんだよ。

奥野 おれらのときは、インディーのシステムが出来始めてたね。

中川 ニューエスト・モデルをつくった頃に、ラフィン・ノーズがソノシートをばらまいてるからね(新宿アルタ前でゲリラライブを決行。レーベルの仕掛けだった)。

加藤 おれたちは最初からメジャーからデビューしたかったんだけど、できなくて、小さなレーベルが声かけてくれたから、そこで一発ウォーミング・アップと思って作ってるだけであって、大したもの作ってるとは思ってないわけ。ただ、できたものはよかったんだけどね。だから、最初からメジャーでデビューするっていうことが、おれたちにとってその時代におけるものすごい勲章だったの。だから、おれたちの周りでバンドやってる連中は、みんな口々に「アルバム1枚出したら解散してもいい」って。一生それを思い出に生きていってもいい…ぐらいな調子のヤツがいたんだよ。それぐらいデビューする、レコード作るってことができない時代だったの。プレスだってどこもできないし、スタジオだってないじゃん。あったって、8トラックのオープン・リールで音録るぐらいしかないわけよ。それを売っていくなんてことはまずあり得ないし、それぐらい敷居の高いものだったの。メジャーのレコード会社からレコードが出せるって、それはもうあこがれの強さは全然違うわけさ。だから、やっぱり芸能的なあこがれになってくるよね。

――加藤さんがそういう感覚でメジャーでずっとやってる中で、意識する・しないは別としてニューエスト・モデルは出てきて、メジャー・デビューして、ソウル・フラワー・ユニオンになって、またインディーズに戻ってというのがあった。やっぱりフィールドが違う感じだったということなんですか。

加藤 そう思う。フレキシブルに、ソウル・フラワーはインディー行ったりなんだりってやって戻ってきても、すごく上手にできるじゃない。おれとかコータローとかって、やっぱりそのときに刷り込まれた感じがあるから、インディーズに行くってことイコール、すごいスケール・ダウンした感じを今でも持ってるんだよ。いつでもマライア・キャリーじゃないと気がすまないわけ。

――マライア・キャリーなんですか……(笑)。

加藤 うん、どちらかと言ったらだよ。ホントにそうなんだよ。それはそのときやってた時代の背景とかがものすごいあると思う。

中川 それは正直やね。99年にメジャーと契約切れたときに少し感じたよ、おれも。

――これはスケール・ダウンなんじゃないのか、みたいなことですか。

中川 スケール・ダウンという言葉じゃないけど、でも、そういう感じはあったな。これはちょっと大変やぞ、また自分らでやるんか…みたいなね。

加藤 なるよね。おれたちも変名でマジェスティック・フォーとかを始めて、それはインディーズでリリースしていくんだけど、実際やってるのはコレクターズってバレてるわけじゃない。バレてても、じゃあ売れ行きはどうなのかといったら、極端に違うわけ。おいおい、これはインディーズとメジャーというのは、しかもメジャーで長くやってたやつがインディーズ行くってことは、すごい重たいものを背負わされるぞというのを、そういうところで薄々感じるわけよ。

奥野 腐ってもメジャーみたいな感じ。

加藤 ホントにホントに。だから、そういうのを経験もしてるよね。

中川 今の時代はもう大分違うけどね。

加藤 うん、随分違うけどね。やっぱりそれが1年1年すごい変わってきてるじゃない。それは2000年の話だけど、7年も前でしょ。そのときはやっぱり重たかったな。

――さっき中川さんがおっしゃったように、今は高校生とか中学生でさえ自分でプレスできるぐらいのやつ出てきちゃうし……。

加藤 しかも、ものすごいハイ・クオリティで。

――ライブハウスもあちこちの町にあって、どこもスケジュールが入ってて。

加藤 しかも、小さなスタジオもたくさんあって、そこでみんな5万ぐらい出して簡単にCD作ってさ。

――例えば親からもらったおこづかいでスタジオ代も出して…という感じだと思うんです。

加藤 そこそこ何となくいい歌作っちゃってさ。

奥野 それはおれはいいことやと思うんやけど、やっぱりその人らが、おれらみたいに20年続けれるかどうかというのはやっぱり……。

中川 ライブがひどいからね、ほとんど(笑)。

――だから、そういう時代になったからこそ、こういったバンドがもう1回きちっと認められてもいいような感じは、ご自分自身ではないんですか。

古市 あるよ。

加藤 あるある。だって、うちのおふくろ、いまだにおれに就職してくれって言うんです。

一同 (笑)。

加藤 これマジな話で、ホントに。この前も入院して、手術するというので励ましに行ったら、手術室にガラガラと行く途中で「おまえ、頼むから就職してれ」と言いながら……(笑)。

中川 そろそろちゃんとしなさい、とかね(笑)。

加藤 おまえの同級生はどこどこにマンション買ったぞ……って。そのときに、これ60まで続けなきゃダメだなと。さすがに60までやったら定年だから、もう就職しろと言わないだろうと。

一同 (笑)。

中川 定年は越えたいみたいな。

加藤 そう、定年は越えたいって、そのときマジ思った。理由はひとつ、親孝行のために続けないといけないなと。

――僕らが10代のころに、日本で40歳でやってるロック・バンドがカッコいいのなんて、ほぼいなかったじゃないですか。でも、今は逆で。ほんとに新しく革新的なスタイルでデビューする人たちっていないですよね。

中川 小粒になったよね、野太さがない。

――曲作りとかすごいうまいんですよ、メロディもいいんだけど。

加藤 コレクターズのホームページに「おまえらが解散しねえから、あとがつかえてんだよ」って書かれたからね。

一同 (笑)。

奥野 清原みたいなもんやね。

中川 片岡は引退したけどね。

加藤 だから、それで新人が育たないんじゃねえかなって、ちょっと反省もしてんだよね。

――それはでも、若干誇らしい話じゃないですか。

加藤 ちょっとね、こんなうるさいオヤジが上にいたら、なかなか新人も出てこねえだろって。

奥野 つかえてるってのはいいことですね。

加藤 おかしかったよ。「おまえらロックじゃねえ、ただのコピーバンドだ。とっとと解散しろ。あとが詰まってんだよ」って。

――そういう言われ方ですか……。

中川 会いたいよね、そういう子は。会って話したいな。

加藤 すごくステキな言葉だって、コピー・バンドなんですって言いたかったな。

中川 いざ会うと、そういう輩は何も言えない。

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プロフィール
THE COLLECTORS
’86年結成。’87年に1stアルバム『僕はコレクター』を発表。昨年結成20周年を記念した最新アルバム『ロック教室』は彼らをリスペクトする数々のミュージシャンが参加。また20周年を記念した「20 th ANNIVERSARY DVD BOX ALL MOD GEAR 1986-2006」も好評発売中。

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ソウル・フラワー・ユニオン
’93年結成。同年11月に1stアルバム『カムイ・イピリマ』を発表。今年は精力的なライブ活動を展開予定。3月〜はイベント『闇鍋音楽祭 2007 〜41歳の春だから……』を開催。東京公演はShibuya O-WESTに登場。

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