――ソロは自由なぶん、なんでも追求できますけど、そのことで自分を縛ってしまうことってないですか?
「ふたりでやればふたりの仲の、相手のあることで気遣いもある。だから、作品という意味では、作り込んでいくのはそりゃあソロですよ。歌い方だってぜんぜん違うふたりですし。お互いが一番得意とする部分が、自分としては望んでいないこともあるわけで、だからそこがまたおもしろいわけですけど、そういった意味では、ソロでは妥協はしないですね」
――ソロのほうが疲労度が高いのでは?
「うん、作業分担という意味ではね。でも、だからこそいいものができたときはぜんぶ帳消しになる」
――歌詞はどうですか? 昔はラブソングが中心でしたけど。
「といっても、基本は今でもラブソングですよ。世の中と共鳴できるものってラブソングですし、それに、ラブソングって、男と女について歌うものだけじゃないでしょ、いまや。自分の日記を歌っても仕方ない。どこか外側にリンクさせないと」
――むかしは日記でもよかった?
「そういうことさえ意識していなかったですね。あ、だから“ASKAっぽいね”っていうの、あれ、本人にはよくわからないんですよ。どこか違うものを作ってやろうと思ってやっているわけだから」
――じゃあ、“これがASKAだ!”って自分からいえるものというのは、なんですか?
「それもない。だから作るんですよ。作ることの喜びを繰り返しているわけです。評価っていうのは世間のものだから。いくらセールス・トークをこういった場で並べてもなんの意味もない。評価は世間に任せて」
――数字が気にならないわけではないですよね?
「数字だけが評価だなんて思ってない。数字はそんときの事実。作品としての評価とは違う。作った曲が届いたか届いていないかでいったら、聴いていない人のほうが多いわけで、そこで、作った者だけが知る、一番のポイントが織り込まれているかどうかが重要なわけですよ。それがなくなったら、書く気も歌うこともないでしょうね。おもしろくもなんともないから」
――そうなったときが引退?
「そう。ボーカリストっていう確立性に、ぼく自身は魅力を感じていない。作品と対になってこそ意味があると思っているので」
――その作業はずいぶんと長く続けられていますけど、飽きないですか?
「いいものができているので!」
――いまも新曲は作り続けているんですか?
「はい。いいよ、いいよー、いいのができてるよ! 快調ですよ」
――どうしてそんなに快調なんですか?
「そんなとこ突っ込まないでよ(笑)。あのね、うまくいかないときはうまくいかないのよ。うまくいくときはうまくいくしかない。人のリズムから生まれるものだから、それには逆らえない」
――歳を重ねたからこそ得た方法論もあるんじゃないんですか?
「歳を重ねたというより、長くやってしまったせいかも(笑)。デビュー当時の感覚があるってことはそういうことでしょ。ひと周りしたからこそのものというか」
――なるほど。そして来年はデビュー30周年ですね。
「うん。でもなにも考えてない。今の状態……ソロの活動をしているわけですから今は考えられない。それに、なんのための30周年なのかもわからない。この前25周年ライブ、やったばっかりだしね!」
――では、今はとにかくソロとして歩いていくと?
「歩き続けるのが一番カッコいいでしょ?」
当然、進化を求め続ける気持ちはある。インタビューにおける発言にせよ、そして『UNI-VERSE』における歌詞にせよ、まずASKAは何かを変革しようとしている。なぜなら彼は政治家ではない、音楽家だからだ。1曲で世界を変えることは大変なことだ。だから歌い続けているのである。そこで、彼の歌が聴き手の胸を刺さすことができるのは、あくまでも彼が聴き手と同じ目線で物事を捉えようとしているからである。温度が同じなのだ。『UNI-VERSE』にはほぼ全面的にストリングスが導入されている。この類いの楽曲は、雑誌などのレビューでよく壮大という言葉を使って紹介されるけれども、楽曲そのものの規模とオーケストラのアレンジに関係性はどこにもない。それでは『UNI-VERSE』はどうなのかといわれれば、じつに壮大である。ただしそう感じるのは、ASKAという人のキャラクターあってこそのものではないだろうか。つまり、彼が持つやさしさのスケールが歌に表れているのだ。そして、世の中の喜怒哀楽をすべて受け止めた上で歌う彼のやさしさから浮かび上がってくるものはなにかというと、希望である。
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