TOP > 今週のこの人 > 山本卓卓

山本卓卓

 1987年生まれの山本卓卓は、桜美林大学時代に立ち上げた劇団・範宙遊泳を率いている。一見、パーティピープル的な多幸感を漂わせながらも、どこかニヒルなブラックユーモアを放つ彼らの存在は、小劇場界でも異色。2011年、芸劇eyes番外編「20年安泰。」に呼ばれたことで、多くの人の目に触れることになった。若者の日常的な世界を、宇宙や異次元に接続していくその想像力は、いわゆる現代口語演劇や、セカイ系と呼ばれる作品群とも別種の様相を呈している。その旺盛な好奇心の大元にあるのは、意外にも60年代演劇であり、クラシック音楽であった。

――範宙遊泳と山本卓卓さんのことをまだ全然知らない方も多いと思います。今日は徹底解剖したいんですが、まず御名前が「卓卓」と書いて「すぐる」と読むあたりからして変ですけど?

「大学を卒業する時に節目として今の名前にしました。ほんとは本名の山本卓が良かったんですけど、ありふれてるし、インターネットで検索したら他に芸術家とか役者とかいるらしくて。年齢的には僕がいちおう後輩ってことになるんで、被らないように「いいやもう漢字足しちゃえ!」と思って。ラッパーのSHING02みたいに見た人が珍しがる名前にしようと。「卓二乗(すぐるにじょう)」とかも考えてたんですけどね(笑)」

――2010年に桜美林大学を卒業されて、そのすぐ後の『ラクダ』からわたしは範宙遊泳を観てきましたが、毎回、やってる内容がガラリと変わっていて。そこが魅力的でもあるけども、この人たちホントに「安泰」なのだろうか?と測りかねるところもありました(笑)。そうやって方法論をかっちり決めないで手を変え品を変えしてるのは、意識的にですよね?

「めちゃくちゃ意識してます。でも単純な話、わりとすぐいろんなことを忘れちゃうんですよね。だから1回1回テーマを決めて新しく作ってく。あんまり自分の中で「貯まっていく」感覚が今までなかったので、思い付いたことをひたすらやってみた。飽きちゃうのもあるし、食いしん坊っていうか、もったいないというか。いわゆる現代口語の手法もすごくいいとは思うんですけど、60年代の演劇も僕は好きだから」

――それはアングラとかそういうもの?

「そもそも唐十郎さんを読んで、別役実さんの本と出会って……という経緯で演劇を始めたから、なんでみんなそんなに思想や方法論を固定し合うんだろう?と疑問がありました」

――じゃあ唐十郎のハチャメチャさだったり、別役実の不条理な感じなんかが、最初から演劇をやるモチベーションの中にあったと。今の小劇場演劇では現代口語演劇がかなりメインストリームに乗ってますが、特にその元祖である平田オリザさんが、桜美林大学の演劇の土台を作ったとも思います。でも山本さんが入学した時にはもうオリザさんはいなかった?

「ええ。すれ違いです。それはほんとデカいと思いますね。もし1年でも一緒にいたら、思想とか演劇論を根っこから変えられちゃってたかもしれない。僕はもともと唐十郎さんから入ってるから、現代口語演劇はそんなに意識してこなかったんですけど。あと素朴に「何かを作りたい」っていう動機が常にあって。「作る」ことで自分と周囲を肯定してあげたい、ということを高校生レベルの脳味噌で思ってましたね」

――「肯定」と聞いて少し意外にも思います。範宙遊泳の舞台を観ても、別に「俺を見てほしい」的な自己承認欲求はほとんど感じないので。

「自己承認とは違うんですよ。「周囲」っていうのは、そうですね、友達……というか仲間、もそうだし。生き物だけに限らなくて、例えば僕の持ってる本とか、僕の観てる映画とか。「作る」ことでそれらを肯定できる気がするんです」

――ああ、今回の『夢!サイケデリック!!』の台本に「昨日、ドラキュラ系の映画とか観ました?」というセリフが出てきて、でも女の子にあっさり否定されるシーンがありますけど、そういう一種のB級映画的な悪趣味も含めて肯定したいということ?

「そうなんです! 僕の作品の登場人物って大体性格悪いんですよ。全員、本当にクソ野郎でクズな奴が多くて(笑)。でもそういう人たちの可愛さを描きたいというか、存在証明、とかいうとカッコ良すぎるけど、クソミソに描きつつも可愛さが出てこないかな、と思ってて」

――範宙遊泳は俳優陣にもその雰囲気ありますよね。愛嬌あるけど、あんまり愛愛してなくてちょっと性格悪そうなところがいいっていうか(笑)。全員、桜美林大学時代からの仲間ですか?

「みんな不器用なんですよ(笑)。メンバーは桜美林だけじゃなくて、美術のたかくらかずきは東京造形大学だし、(自身の俳優としての)客演先で出会った人たちもいますよ」

――じゃあ純粋な仲間内のサークルとかではなくて、かなり混成軍なんですね。高校までは演劇は?

「やってました。山梨の日川高校ってところで。それで賞をもらって」

――演出で? 戯曲で? 俳優で?

「俳優でもらって」

範宙遊泳制作・坂本:え、脚本の賞でしょ?

「ん? 脚本だっけ? ……ごめんなさい、俺全然覚えてない。でも部長してて、オリジナルの作品を上演したからそうなのかな」

――忘れっぽいにも程がありますね(笑)。普通、人間は自分のキャリアにわりと固執していくものじゃないですか。あんまりそういう感覚がない?

「ないですね。忘れちゃいます」

――忘れるのはむしろ大変で、やっぱり自分なりのメソッドを徐々に固めつつも更新していくのが作家としては常道だと思いますが、山本さんの場合はパッと思い付きでやって、次はまた全然違うところでやる感じなんですか?

「流れを作らずに点を打ってる感じです。トン、トン、トン、トン、みたいな。でも引きの視点で見てみたら意外に順当っていうか。毎回違うように見えても、よく考えると正統な流れでやってんじゃないかな、とたまに自分で思う時はあります」

――確かに、これまで打ってきた点が、そろそろ線や面として見えてくる頃合いかもしれませんね。そういう意味で、東京芸術劇場の芸劇eyes番外編「20年安泰。」に呼ばれて『うさ子のいえ』を上演したことは、いろんな人の目に触れるステップアップの大きな機会になったと思いますが。

「あれは短編で25分という縛りだったけど、90分のフルスケールの作品をやる時と、労力もモチベーションも全然変わらなかったですね。むしろ苦労したくらい。すごく練ったし、ボツにしたエピソードも多かった。相当な数を溜め込んだ気がします」

坂本:あの時はかなり稽古場でも苛立ってて、どっちに振るかを最後まで悩んでましたね。このまま仲良し路線で行くか、うさぎVS人間にガラッと変えるか。ゲネプロの3回目くらいまで悩んでました。結局変えて、ああなったんですけど

――最終的には大乱闘(笑)。背面がパーン!と開いて爽快感ありましたね。

「爽快ではありたいと思ってます、常に。最初の頃は闘ってても、でも結果仲良しじゃん、ちょっとえぐみが足りないなあ、と思って変えました。……でも「20年安泰。」を思い出してみると、他のいろんな団体と稽古場が近いから、二階堂瞳子さん……いや瞳子さんはあんま変わんないか(笑)。三浦直之くんとか藤田貴大さんとか、あと作者本介さんとか、他の演出家さんが普段どんな顔してるのか、知ることができて面白かった。あとは(プロデューサーの)徳永京子さんがやっぱ大きかったですね。「20年安泰。」に呼ばれる手前までは、焦れったくて、売れないっていうか超無名なままでただ時間が過ぎていって、このままでもいいのかなあーと思ってたら、徳永さんが引っ張ってくれていろんな人たちの目に晒してくれた。俺の中ではすごく大きかったですね、あれは。ありがたかった」

――あの作品はお笑いとの親和性も高いと感じましたけど、でもいわゆる「お笑い系」の劇団の笑いとは一線を画している印象があります。

「お笑いは大好きで、ほんとはお笑い芸人になろうかと思ってたんですよ。モンティパイソンとかほんと好きで。なんか俺、古いんです。オンタイムのやつはダメなんですよね。中学生の頃にみんなが「笑う犬の生活」に傾倒してた時に、天邪鬼で「それよりモンティパイソンだろ、スネークマンショーだろ!」とか思ってた(笑)。なんでここにコレ持ってくるの?っていうあの感覚が面白くて」

――言われてみれば範宙遊泳にはそのエキス入ってますね(笑)。デタラメというかハチャメチャな。その点、唐十郎にも通じる気がします。

「ええ、だから唐さんもお笑い的にすごく好きなんです。稽古場で役者にもよく言うんですよね。「笑いじゃなくてユーモアだ!」と。軽い笑いはヤだし。だからツッコミとかもないんですよ。ボケてそのまま投げっぱなし。しかもボケてるかどうかも分かんない、もはや」

――演劇では「笑い」って危険な要素でもあって、観客が「ここ笑うとこね」的な反応をし始めるとグダグダになるから、取り扱い注意だと思いますけど。

「ほんと、笑ってほしくないところで笑われたりとかするし。でも今って、お笑い系の演劇はもう流行ってないですよね? やっぱ怖いんですかね。危ないというか、難しいジャンルだと思います」

――ブラックユーモアというか、範宙遊泳では、先生とか演出家とか、偉そうな人が出てきて講釈を垂れるシーンがよく描かれますね。

「や、そうなんですよー。なんかヒエラルキーを出すのが好きで、権力持ってる人をクズに描いてみたい欲望があるんです。偉そうなこと言って格好つけてるけどさー、お前のギャグ滑るじゃん、誰も楽しいと思ってないよ、みたいな(笑)」

――でも悪意を持って描いてる感じではないですよね。むしろちょっと愛情を感じるくらい。

「とことんしてやろう、とも思うんですけど、なんかそうしちゃいますね」

――あと「笑い」と別の要素として、「パーティ」があると思います。『労働です』でもお客と役者とがフラットにその場にいるような感じがありましたけど、演劇とパーティをくっつけたいという意図はありますか?

「すごくあった、ありましたね。演劇が閉鎖的だ、とかよく言われますけど、僕も同じような疑問を持っていたので、例えば客席でお酒飲んだりしてもっとラフに自由に観ることもできるはずだと。一段上がったところでお芝居始めるのじゃなくて、全然同じですよ、というのも面白いと思ってたんです。でも実は最近はその考えもだいぶ変わってきてて、今は「演劇やりたいなあ」と思ってますね。昔は恥ずかしがってたのか、斜に構えてたのか、分かりませんけど。でも客席との境界を失くしていく試みをする団体がだんだん増えてきて、気づいたんですよね。僕は客席との境界を溶かしたいのではなくて、演劇自体の境界を溶かしたいんだなってことに。じゃあむしろ「演劇です!」って言ったほうがいいと思えてきた」

山本卓卓

――じゃあ今は「演劇」を真っ正面からやることで、その枠を壊したい?

「そうです。というのも初期衝動は、他のどの芸術分野とも同じだってことに気づいたんです。例えば音楽は「こういう音を形にしたい」ってイメージで作ってると思うし、そこは僕がお芝居を形にしたいのと差がない。たぶん絵画もそう。初期衝動のイメージがあって、それがたまたま絵だった、音楽だった、演劇だった、というだけ。だったらもう演劇も同じですと訴え続けていきたい」

――ちなみに音楽はどういうものが好きですか?

「どこから話そうかと思うくらい好きですけど、最初はJ-POPで、中学1年の頃に盲腸で入院した時にクラムボンを聴いて「なんかいいなあ音楽!」と思って。それからSHING02やブルー・ハーブがきっかけでヒップホップにハマって。で、おじいちゃんがジャズ聴いてた……とかとか。アンビエントも、ファンクも、エレクトロニカもひと通り聴いたし。これは言うの恥ずかしいんですけど、今はクラシックにハマってます。「これこそ演劇と同じじゃん!」と思って。目をつぶって聴いてると「あ、こういう絵が描きたいんだ」と初期衝動が分かるんです。特にベートーベンが分かりやすくて、似たようなこと考えてんだな、みたいな。こういう情景を見せたい、という熱い想いは変わってないんだと」

Text●藤原ちから Photo●熊谷仁男

PROFILE

やまもと・すぐる 1987年生まれ、山梨県出身。2007年、桜美林大学在学中に範宙遊泳を立ち上げ脚本・演出を務める。シアターグリーン学生芸術祭優秀賞、名古屋キャンパスフェスティバル大賞受賞。アイロニカルに人間を肯定する「えせハッピー」な脚本。また「バーチャルリアリティ的リアル」と称し、遊園地のアトラクションやテレビゲームのような演出を展開する。
範宙遊泳Webサイト

INFORMATION

範宙遊泳
アトリエ春風舎プロデュースvol.2
『夢!サイケデリック!!』

 4月25日(水)〜29日(日)
 アトリエ春風舎(東京)

範宙遊泳
GALA Obirin2012 スタッフ企画 ワークショップ発表公演
『ゴドーを待つ人もいない』

 5月12日(土)〜13日(日)
 桜美林大学・町田キャンパス 徳望館小劇場

範宙遊泳
『東京アメリカ』

 7月
 こまばアゴラ劇場(東京)
 G/PIT(愛知)   




2012.04.24更新

ページTOPへ