2003年7月、デビュー当時
龍之介 「音楽は、もともと平川地とはぜんぜん関係ないところで始めたんですよ。父さんがギターをやってて、それで弾き始めたっていう……」(龍之介)
龍之介にとって、「音楽を始めたこと」と「平川地一丁目を始めたこと」はまったく違うことだった。もっというと、「あること」がなければ、平川地一丁目は存在しなかったかもしれないし、弟の直次郎は音楽とはまったく関係ない人生を歩んでいたかもしれなかったのである。
龍之介 「僕たちは、5人兄弟なんですけど、ある日、一番下の弟を連れて母さんが家出しちゃったんですよ。なんでだろう……。家族はどん底って感じで。だけどそこで、ギターをやってたからオーディションに出て、ぼくらが有名になったら戻ってくるかな、と思って必死に(ギターの)練習をし始めたんですよ」
そこで龍之介は、直次郎と一緒にオーディションに出場することを決める。
龍之介 「兄という立場からすると支配しやすい、扱いやすい存在だから誘ったんですよ。うーん……(直次郎に向かって)悪かったなあ!(笑)」
直次郎 「最初誘われたときはギターのことなんかわかんないし、でも楽しそうだったからいいかと思ったけど、練習始めたら(コードを押さえる)指が痛くなっちゃうし、スパルタだったからやめられないし(笑)」
そして、母が僕らとわかる手がかりになればと受けたオーディションをきっかけにデビューが決定。「そうするしかなかったんです」と直次郎は振り返った。結局、母親は帰ってくるのだが、これに関する言葉は少なかった。
龍之介 「メジャーデビューしてしばらく経った頃に、僕らが歌う姿をテレビで見て、戻ってきたんですよ」
2004年7月、1stアルバムをリリースした頃
そこで龍之介は、デビュー・シングル「とうきょう」を例に挙げて話し始めた。ちなみに、7月30日にリリースされたふたりのラスト・シングル「Tokyo」は、デビュー曲のセルフ・カバーである。
龍之介 「昔の「とうきょう」はせつない。可哀想な曲だと思うんです」
“似ている人は見つかるけれど 本当のあなた見つからなくて”という歌詞は、平川地一丁目の陰を歌ったものである。
龍之介 「だけど、だんだん母さんのことだけに縛られて音楽やっているのがつらくなってきて。たしかに平川地を始めたきっかけはそうなんだけど、だからこそもっと単純に、自分たちのものとして音楽を楽しんでいきたいっていう考えになってきた」
だからセルフ・カバーの「Tokyo」には、ふたりの成長がそのまま表れていると龍之介は自負する。
龍之介 「たしかに歌詞は昔のぼくが書いたものですけど、それを超えたメッセージとして……自分らしく、流されないで強く生きていくってところは、きちんと訴えることができるかもしれないと思うんですよ」
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