「TERUは20周年、30周年ってよく口にしますね」
2009年はデビュー15周年にあたる年。GLAYが浮き沈みの激しいシーンをサバイブしてきたからこそ迎えることのできるアニバーサリー・イヤーは、目前となった。
「解散というものがバンドの死を意味するのであれば、できるだけ長くやっていきたいとオレらは思ってるんです。たとえば、『HOWEVER』(1997年発表のシングル)は27歳くらいの頃、そのときの思いを綴った曲なんですけど、それを同じメンバーで演った場合、じゃあ37歳のときはどうなるのか。その物語性をずっと語れたらいいなと思うんですね。いまバンドを終わりにして50個の良さを語ることはできるけど、続けたことで良かったとなるであろう50個のなにかもあると思うので、それも価値ある人生かなと。だってこんなダイナミックな人生、ほかのことでは送れないですよ(笑)。だから、それがどんな最後になるのか、突き詰めていきたいんです」
そのダイナミックな音楽人生、バンド人生のスタートは、「ライブがやりたいからオリジナルを作る。それをライブでやるっていう単純なものだった」という。ただし、TAKUROは最初から冷静だった。
「デビューしてからは自分の器を確認する作業が必要でしたね。1年に何枚シングルを出すことのできる力量があるかどうか。ライブも、どれくらいの広さの会場でしっかりと音楽を奏でることができるのかっていう……だけど最初は落ち込むことばっかりで。こんなはずじゃない、みたいな。そこで辞める選択肢もあるんですけど、またやってやろうって。その繰り返しがGLAYなんです。自分たちのからだに似合わない服を着たこともあったんですけど、それは、自分たちが何者であるかということを十代、二十代のころは決めずにいたかったということがあるんですよ。失敗からどう成功を学ぶのか、っていうね。よくGLAYは仲良しっていわれるけれども、最高の音楽を生み出す上で仲が良いことが必要であるならば、仕事として徹する。引くところは引く、押すところは押す。馴れ合いになったら駄目になるのは目に見えていますから。仲が悪くて連絡を取り合わない人たちは、それはそれでスタイルとしてありだと思うんです。だけどGLAYは、GLAYの人間関係をそのまま音楽に落とし込みたい」
これは、TAKUROが大好きなミ ュージシャンのひとり、ジョン・レノンの影響もあるようだ。
「オノ・ヨーコと出会って、“最高の友達ができた。ベッドも一緒なんだから最高”って。子どものとき、この人はなんてことをいうんだろうと思ったんですけど(笑)、あの曲はこうだった、ああだった、なんていう友達とパートナーが同じだなんて最高ですよね。これを壊さないようにする人生は十分に価値があると思うんです。音楽性はそこで一番重要なものじゃない。TERUに理解できない歌詞を書いて、それがたとえすばらしいといわれてもマジックは生まれない。お互い共有できるものを見つければ、自分が書いた歌詞が100倍良くなることもあるし、その逆もまた然りで……歳をとればとるほど、自分はバンドマンなんだなって思いますね」
バンドを磨き上げるため、あくまでも人間関係にこだわってきたGLAY。そのためのコミュニケーションが、音楽そのもので手応えを感じ始めたのはまだ最近のことらしい。
「『VERB』(今年6月発表のシングル)は、4人のレコーディングルームや飲み屋での会話そのもので構築できたんです。JIROのベースがバリバリと鳴っているのは、メンバーを刺激的な言葉で鼓舞してくれる立ち位置そのまま。HISASHIはそんなにべらべら話すほうではないけれど、大事なところでポンと会話を広げてくれて、それはイントロに表れている。TERUはもちろんフロントマンとしてつねに輪の中心にいるけれども、それがうまいこと、なんのてらいもなくレコーディングできたんです。ただそれは人間的な成長からくるもので、音楽性云々ではないと思うんですね」
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