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過去のインタビュー
CHEMISTRY × 槇原敬之
――そんないい雰囲気の中で生まれた『約束の場所』。ここに描かれた〈夢〉には槇原さんのどんな思いが込められているんでしょう?

槇原 「最近、“どうせムダだし”とか、“どうせ自分なんて”って言葉をよく耳にするんだけど、せっかくもらった命なのに、自分から見切りつけるなんてもったいないって思うんですよ。意外と実現できることもあるし、夢に向かうことそのものが、結局全然違うものを手にしてたとしても、後で振り返った時に“意外に良かったよね”って思うものだから。今そういうことがわかんない人、多いと思うんだよね。でもあきらめてたら未来がなくなっちゃうから、高齢化とか少子化とかの前に、まずやりたいことをやろうよって。だって夢がない世の中なんてつまんな過ぎるよ! 夢はどんどん見るべきだし、次々叶えていけばいいんだし。もちろんそれは歌にも出てきますけど、〈誰かの幸せ〉が大前提だと思うんです。例えば、“ばあちゃんに元気になってもらいたい”でもなんでもいいんです。始まりの気持ちさえ誰かのことを思っていれば、絶対悪い方向にいかないと僕は思うんですよ。そういう思いを、新聞記事にもあったけど、〈ハンパな夢のひとカケラが〜♪〉(デビュー曲『PIECES OF A DREAM』)で始まったふたりに歌ってもらえたら、“自分にも何か出来るかも”ってみんなに思わせられるし、バッチリだなって思ったんですよね(笑)」

堂珍 「僕ら自身は自分たちのことだからそこまで想像できないですけど、マッキーさんに今そう言ってもらえて、この歌の好き度がまたアップした感じですね」

川畑 「でもほんと、ひとつ夢が叶ったところがまた次のスタートだと思うんですよ。僕のことで言えば、今後はこういうステージでこういう歌を歌いたいとか、こういうメッセージを書いていきたいとか。だからゴールはないと思うんですよね。人はずっと夢を追い続けていくもんなんだと思うし。そういう気持ちでこの歌を歌っていきたいし、そうやって歌ってると、自分も元気になるんですよね」

槇原 「歌って、いつでも駆け寄ってくれる応援団みたいなものだからね。あと、巡り合わせみたいなもんで、どんなに枚数が売れてても、その音楽に出合えない人はいるもんだし。でも、彼らみたいにまっすぐな気持ちでやっていれば、なんとかなるんじゃないかなって思うんですよね。歌なんて、永遠に答えが出ないものなんだけどね」

川畑 「だから楽しいんですよね」

――ところで、みなさんは小さい頃の夢って覚えていますか?

川畑 「いまだに幼稚園の時の手形が家にあるんですけど、そこに将来の夢を書くとこがあって。僕、先生に言ったんでしょうね、“らいおん”って書いてあって(一同爆笑)。どうぶつ占いは子鹿なんですけどね」

――ライオンみたいに強くなりたいけどハートは子鹿。だから繊細な歌も歌える、と。

槇原 「キタね〜。座布団持ってきて(笑)」

川畑 「でもその頃から歌は好きだったんです。だから中学出て就職したけど、やっぱ好きなのは歌で。それでやってみなきゃわかんないと思って、職場の親方にお願いして大阪までオーディションに行ったりして。当時は日サロ行く金がなくて(笑)。そしたら親方がメシに誘うついでに一緒に日サロに行ってくれて(一同爆笑)。そうやってみんなが応援してくれてるうちに、“俺、絶対受かるな”って気持ちがどんどん芽生えてきて。オーディションの最後の方に大阪でライブをやった時も、東京から友達が車で来てくれて、最前列は全部俺の友だちだったっていう。その頃のプロデューサーの松尾(潔)さんはそういうとこも見ててくれて。だから、仲間がいたからこそ今の俺があると思うし」

堂珍 「俺は、幼稚園の時とかは別になりたいものとかなくて。それより好きな先生のことしか頭にない感じでしたね(一同爆笑)。でも夢っていうか、共感してもらいたいから歌ってるんだと思うんですよね。わかりやすいものでも、どんなマニアックなものでも。自分の物差しもあるけど、例えばマニアックなものを歌っても、共感してほしいんだと思うんです。昔はそういうのを主張したかっただけだと思うけど、最近はやっぱり共感してほしいのかなって思うようになりました」

槇原 「ふたりに比べると僕はイヤな子だったかもね。夢はいつもパイロットとかテキトーに書いてたから(笑)。それで言えば、夢は大人になってから持つようになったかも。もともと打ち込みが好きだったから、シンセサイザーとか操ったりするYMOみたいなサウンド・クリエイターになりたくて。でもその前に“音楽をやりたい”っていう夢はあって。保育園の時に先生が『エリーゼのために』を弾いてくれたのがすごい衝撃的だったんですよ。でも人前で歌うことについては、デビュー直前までまったく興味がなかったんです」

――夢って、進化していくものなんですね。

槇原 「僕もデビューしてからは歌というものに目覚めたし、クリエイターである前に何かを伝えるべきなんだってことをわかってからは、やっぱりすごく変わりましたよね。だから今はまだ夢の途中というか。僕、ナット・キング・コールが大好きなんですけど、彼は行った国々の言葉で歌ってるんですよ。だから今の僕の夢は、英語に限らずいろんな国の言葉で歌いたい、ですね」

川畑 「僕は、自分の言葉とメロディを作って伝えていきたいですね。もちろん歌ももっと突き詰めたいし。あと、今も少しずつやってるんですけど、ピアノがやりたいですね。上半身裸で弾きたいんです(一同爆笑)。イメージはディアンジェロなんですけど、熱いソウルを持って、弾きながら歌いたいんですよ」

堂珍 「ギターもそうですけど、何気に俺もピアノがやりたいですね。前にスティーヴィー(・ワンダー)の『レイトリー』をカバーした時に、ピアノとなかなかうまくシンクロできなくて。やっぱり自分で弾きながら歌わないとムリだと思って。それからですね」

槇原 「エルトン(・ジョン)とビリー・ジョエルじゃないけど、ふたりでピアノを向き合わせて歌う時が来たら面白いよね。その時は僕も真ん中に座布団敷いて座ってるから(笑)」

――『約束の場所』を聴いた人は、みなさんが一緒にステージに立って歌う姿を生で見てみたいっていう夢を持つんじゃないですかね。

槇原 「僕はいつでもどこでも馳せ参じますよ!」

堂珍&川畑 「おおっ! ぜひ!」

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シングル
『約束の場所』
2006年10月4日(水)リリース
1223円(税込)
DefSTAR RECORDS
DFCL-1295

プロフィール
CHEMISTRY

堂珍嘉邦、川畑要のふたりからなるデュオ。 '01年3月に1stシングル『PIECES OF A DREAM』でデビュー。 その後、発表する作品が続々とヒットを記録。今年デビュー5周年を迎えた。
槇原敬之

'90年10月にシングル『NG』、アルバム『君が笑うとき君の胸が痛まないように』でデビュー。 3rdシングル『どんなときも。』が大ヒットを記録。SMAPなどへの楽曲提供でも高い評価を得ている。
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