――次の曲ができるのはいつ位なんですか?
「次の曲を作るのは、高校2年の6、7月だと思います。『MY BABY』で、5月に大分のちっちゃいアコースティックの大会に出て、そこでグランプリをもらったんですよ」
――初めて作った曲でグランプリを!
「そう。だから他の曲も書いてみればいいんじゃないって言われてて。でも書けないしなと思ってたんですよね。そしたら母親に、書けないんだったら難しく考えないで、例えば私の曲とか書いてみればって言われたんですよ。母親の曲を書いても、別に人に発表することもなくて。まあ、曲を書いてみればってずっと言われ続けたので、とりあえず自分の思うことを書いてみようかなと思って。そんな中、高校2年の8月に『YAMAHA TEENS MUSIC FESTIVAL 2006大分大会』に母親の曲で出るんですよ。そしたらそこでグランプリを頂いたんです。」
――それがデビューに繋がるわけですね?
「そこで今のディレクターの方に声をかけていただいて、“デビューに向けて、デモ期間として一緒に頑張っていく期間を作らせて欲しいんだけど”っていう感じで、どんどんと」
――歌へ向かう意識が以前と変わっていきましたか?
「これまでは、自分が表現したいことを表現するための歌だったけど、今はいろんな人の耳に届く機会も多いから考えなきゃいけないこともあって。ここが一番苦しいところで悩むところだと思うんですけど、今は一生懸命です」
――デビュー・アルバム『ふりぃ』に収められている楽曲制作は大変でしたか?
「この10曲は全部高校の時に書いた歌で、デモ期間に作った曲だったので、楽しかったですよ。どんどん曲が出てくる時期だったし。あんまり大変じゃなかったかも」
――聴かせていただいていて、自分が感じていること、体験したことっていうのがリアルに伝わってきて。
「当時の私の感じていたことを、そして今も感じ続けていることが綺麗にリアルに入っています。曲に対して、私がずっと大切にしているコンセプト、決めてることは、絶対リアルなことを書くっていうことなんですよ。作るけど作りこまないっていうか。必ず自分が思った感情が核にあるように。そうじゃないと面白くないと思うので。」
――プロフィールに、自分が歌っていて気持ちいいのが一番力を入れていることって書いてありましたけど、今もそれは変わらず。
「変わらないですね。歌ってる時に外に向かって響いている私の声が、跳ね返ってかすかに聞こえるあの感覚で気持ちいいポイントっていうのがあるんですよ、やっぱり。この音を出したら、このぐらい声を張ったら、伸ばしたら大体気持ちいいみたいな。でそれは、大体聴いている人も気持ちいいですよ。その耳を私は信じていて、それをずっと忘れないようにはしているんですね」
――自分が気持ちいい響きというのは、聴いている人も気持ちいいっていうことなんですね。
「自分がされて嬉しいことは、他人も大体嬉しいだろうし。そんなことばっかじゃないですけど。でも音楽に関しては、私の声で、私が一番気持ちいいのは分かっているので、どういう風に出したら気持ちいいとか、こういう場にはこれが合うとか、それを気をつけて出してはいます。」
――1月21日にメジャー・デビューをアルバムで果たしましたが、今後掲げているテーマはありますか?
「人間的に成長することが目標ですかね。こうこうしたいと言うよりは、もうちょっと相手の立場に立って考えられるようになりたいというのが、2009年最初に思ったことだったので。人間的に変わったら、それは音楽を通して変わっていくこともあるだろうし。基本は人間としての阿部真央なので、アーティストの阿部真央ではないです。だからそこは大事にしたいかな。人間としての成長、そして人間としての阿部真央をどう守っていく、守っていきたいなっていうのが目標かな」
――あえて訊きますけど、シンガーソングライターとしての夢は?
「ずっと曲に対して素直でありたいです。それはずっと言っていることです。要は曲を書かなければいけない状況って必ず生まれてくるし。その中でも私が今までやってきたこと、曲に私が感じたことをリアルに埋め込むとか、そういうのを絶対崩したくなくて。やっぱり曲を作る上では自分が表現したいものがこれなんだっていうものとか、曲に対して素直であることとか、そういうのをずっと貫きたいなとは思っています。デビューする年に、要はここで決意して、それを忘れないで続いていければ最高かなと思っています」
