1月21日にアルバム『ふりぃ』でデビューする18歳のシンガー・ソングライター阿部真央。CDショップ、音楽チャンネルなど音楽媒体で注目されている彼女に話を聞いた。
Text●ぴあ編集部 Photo●三浦孝明 Hair&Make●岩田恵美 Styling●高橋智子
――基本的にはアコースティック・ギターとボーカルで、ずっと活動されていたんですよね?
「やってましたね」
――初めから、バンドを組もうというよりは、ソロでいこうと。
「そうですね。バンドは人間関係とか大変だろうなとか思って(笑)。でもバンドの音は欲しくて、ひとりでやっているけど私の頭の中で鳴っているバンドの音を、いかに自分の曲で表現するかってことをひそかにチャレンジしています。そのひとつが今のギターを掻き鳴らすスタイルなんですよ」
――プロフィールを拝見していると、小学校3年生でピアノをまず習いだして。それは自分から?
「いや、そんな切望したわけじゃなくて、確か親の陰謀(笑)。陰謀じゃないけど、いとこと一緒に5人ぐらいで一緒にやる教室に入れられたんですね。ただ歌は好きだったので、ちっちゃい頃からおじいちゃんに演歌を歌わされていて、親戚の前で歌わされたりして、上手いね〜と言われたりしてました。歌うのは好きでしたね」
――ピアノはどれぐらい続けてたんですか?
「ピアノは小学校3年生から中3までやってました」
――そして、高校に入学して、おじいちゃんにギターを買ってもらうと。
「そうなんですよ。それは高校に入る前、直前ではなくて中学2年生の終わりに、誕生日プレゼントになにが欲しいっておじいちゃんに言われて、私はギターが欲しいって言ったんですよ。その辺で売ってる安いギターを買ってもらって。でもそれをずっと弾いてなくて。で、高校入る前にピアノをやめなきゃいけなくなったんですね、いとこがやめるって言い出したので。私もひとりで行ってもつまらないな〜と思って。どうしようと思ってる時に、たまたまおじいちゃんに買ってもらって一年間放置したギターがあったので、ピアノ教室と同じ系列のギター教室紹介してもらい、ギター始めてみようかなって思ったんです」
――ギターが欲しいって思ったのは、ギターを持って歌いたいって言う夢があったとかいうわけではなく、漠然と?
「漠然とただ欲しいと。周りがみんな弾きだしたんですよね、ギターを。だからかな〜と思うんですけど」
――同い年ぐらいの友達ですか。
「友達が、文化祭でバンドやってたり。初めてギターの存在をそこで知るんですよ。友達がやっていたのは、エレキギターだったんです。でも、エレキはバンドする気ないしね〜と思って、でアコギが欲しいな〜と思ったんですよね」
――例えば、誰かの歌を聴いたりして何か衝撃を受けて、“私本格的に歌いたい”と思ったりしましたか?
「人からというよりは、小学校6年生の時に大分のちっちゃいカラオケ大会に出たんですよ。そこで初めて親戚以外の全然知らない人たちいっぱいの前で歌ったんですね。その時に歌い始めた瞬間にみんなの空気が変わったのが分かって、気持ちいいな〜と思ったんですよ。それで、なんかちょっといいかも、歌手いいかもな〜って思ったんですよ。それがきっかけですね」
――その時、自分が今まで味わったことのない気持ちになった?
「ドキドキしました。あとは気持ちいいと思いました、本当に。高揚しましたよね」
――もうその時、絶対に人前で歌うようなプロというか、CDでデビューするようなシンガーになろうっていう強い思いが生まれました?
「結構強かったと思いますよね。歌を歌いたい、あとは歌で注目されたいっていうのがあって。歌っていうよりは、元々注目されたかったので。だから、その大会で空気が変わって、歌だったらこうやって見てもらえるのかなって思った部分もあります。」
――ギターを弾き出してからは、オリジナル曲も作ろうと思ったんですか?
「全く思ってないです」
――誰かの曲を弾いて歌っていたんですか?
「はい。中学校の時にアヴリル・ラヴィーンを歌っていて。高校に入った年にYUIちゃんがデビューして、いろんな女性シンガー・ソングライターっていうのを凄い意識はしてました。で、その人たちの歌を聴いて。まずは、アヴリル・ラヴィーンのカバーをしたいと思ったんです。だから、ギター教室でもそうだったけど、路上でもずっとアヴリル・ラヴィーンの曲ばっかりやってたんです」
――ギターを弾きながら、アヴリルのカバーを?
「ギターも弾いて、路上に座って。でもそれは人に聴かせたかったわけではなくて、ただ単に家で練習すると下の人から怒られるから(笑)、路上に出てったんですけど。家でやってたら、苦情がきちゃって、うるさいんですけどみたいな。だから、じゃあ外でやろうと思って。その時はずっとカバーをやってて、いつか自分の歌もできればいいな〜とは思っていました。でもそれを自分からやってやろうとか、できるわけないだろうなっていうのがあったので、ずっとカバーばっかりやってました」
――でも、高校1年生でオリジナル曲が完成したんですよね?
「高1の2月に作ったんですよね、『MY BABY』を。ギターの練習をしてて、なんか難しいコードがあって、それがその時に出来るようになったんですよ。“やった〜!”と思って。同時に“ハイカット”って言葉を入れたいと思って、そっからもう夢中で書いたって言うか歌ったり、出てくる言葉とかを並べたら面白いぞって思っていたら、気付いたら曲が出来てたんですよ」
――それをまずお母さんに聴いてもらった?
「はい。出来たんだけどって言って。でも、書こうと思って書いたわけじゃないし、その後書けるかどうかも全然分からなかったんで、人前で発表する気もなく。それから積極的に曲を作ることもなく時がちょっと流れるんですけどね」
