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Interview

北澤豪(サッカー解説者)「最先端のサッカーを見るならバルセロナ」

北澤豪

各大陸の王者たちが世界一の称号を賭けて激突する「TOYOTA プレゼンツ FIFAクラブワールドカップ」。文字どおり、“クラブ版ワールドカップ”と言うべき大会の見どころをサッカー解説者・北澤豪に聞いた。欧州王者のバルセロナ(スペイン)はもちろんのこと、日本では馴染みが薄いエストゥディアンテス(アルゼンチン)や浦項スティーラーズ(韓国)などについてもレクチャーしてもらった。

Photo●佐野美樹

「成熟したチーム同士が、世界一を争う形こそ正式な世界一になると思います」

――クラブワールドカップとはどんな大会ですか?

「一言で言うと“クラブ世界一”を決める大会で、世界中の全てのクラブチームが参加できます。これは、国ごとに協会、大陸ごとに組織がある中で、それらがきっちり整理整頓され、まとまってきた証拠だと思います。ワールドカップはあってもそれに参加していない国があったり、例えばアフリカの場合は80年代や90年代というと内戦が理由で出場できなかったり、出場が認められなかったことがありましたからね」

――クラブワールドカップは、クラブチームでさえあればどこのクラブも参加できるというわけですね。

「そうです。例えばUEFAチャンピオンズリーグは、歴史が深いし、ヨーロッパNo.1のクラブを決める大会として権威があります。でも、アフリカにはそのような大会があっても権威といった点では及ばなかったんです。結局のところ、クラブがないと代表もありません。本当のサッカーの見方として、成熟したチーム同士が世界一を争うことこそ、正式な世界一になるのかなって思います。特に(チームの)カラーは出やすいですから」

――たしかに代表と違い、クラブではほとんどの時間を選手が一緒に過しますからね。

「そうですね。あとはクラブの規模。小さくても大きくても優勝できる権利はあるし、だからと言ってお金があれば優勝できるというわけでもない。まぁ、実際は大きいところが優勝していますけど。でも、規模が小さくても決勝まで行けるということも魅力のひとつなんじゃないかと思います」

――では、過去5大会から変化してきたところはありますか?

「大陸間の力の差は縮まっていると思いますが、ヨーロッパ、南米の2強と他の大陸間の差は、残念ながらまだありますね」

――こういう大会があることで、クラブのモチベーションは全然変わってきますか?

「(モチベーションは)間違いなく上がるでしょう。世界に繋がる大会があるとなれば、大陸間でチャンピオンを決めるモチベーションが違う。ACL(AFCチャンピオンズリーグ)の価値観が上がった要因もそこにあると思うんです。単にアジアのチャンピオンになるってわけじゃないですから。結局、日本リーグ時代からあったアジアクラブ選手権(ACLの前身の大会)などがなぜ大会としての価値を感じなかったかと言うと、『優勝して何になるの?』ということが原因だったと思うんです。これが世界へのチャンスをもらえるってことになると、クラブの作り方そのものが変わります。選手を30人以上抱えてないと厳しい日程を戦えないとか、クラブ自体がアジア、しいては世界をターゲットとした作り方が必要になります。(過去)優勝したガンバ(大阪)やレッズ(浦和)にしてもある程度のお金を使いましたからね」

北澤豪

――選手も同様でしょうか?

「もちろんそうですよ。それに代表以外の選手が国際経験を積めることも大きいですね。若手の大迫(鹿島アントラーズ)にしても、ちょっと相手が弱い時に活躍する場が与えられ、国際経験を積めるっていうのは大きいんじゃないかな。試合数が多くなるっていう強いチームの性みたいなのはあるけど、それ以上に得るものが大きいと思いますね」

――ところで話は変わりますが、今年と来年は日本ではなく、UAEで開催されることになりました。やはり日本とUAEでは違いますか?

「日本人にとっては違うでしょうね。初めて他の国でやるわけですから」

――選手にとってはどうですか?例えば気候が全く違うと思いますが。

「この季節は、昼間は暑くても、夜は寒かったりするから、暑くてどうにもならないっていうことはないと思いますよ。あと、ヨーロッパ主体で考えたときは、時差もそこまでないし、移動にしても楽ですよね。ヨーロッパの選手は『極東まで来るのが大変』って言うし」

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特集「TOYOTA プレゼンツ FIFAクラブワールドカップ UAE 2009」

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PROFILE

きたざわ・つよし
1968年8月10日生まれ、東京出身。修徳高校卒業後、本田技研工業サッカー部(現Honda FC)を経て、91年に読売クラブ(現東京ヴェルディ)へ移籍。三浦知良(現横浜FC)、ラモス瑠偉(現ビーチサッカー日本代表監督)らとともに黄金時代を築き、93、94年とJリーグ連覇を達成するなど数々のタイトルを獲得した。日本代表としても国際Aマッチ59試合に出場し3得点を記録している。2003年に現役引退後は、サッカー中継の解説をはじめ、日本サッカー協会特任理事兼国際委員、JICA(国際協力機構)オフィシャルサポーターをとおしてサッカーの更なる発展・普及に向けて活動を行っている。
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