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鄭義信

自身のルーツを深く探る手法から、人間本来が抱える“悲喜劇”な人生を鮮やかに描き出す。劇作家、演出家の鄭義信が生み出す劇空間は、つねに胸を突く痛みを伴った複雑な感動を与えてくれる。次なる日韓合作の舞台『ぼくに炎の戦車を』を前に、自身の現在の創作状況、劇作への思いを語ってもらった。

−−新国立劇場で上演された『たとえば野に咲く花のように』、『焼肉ドラゴン』、『パーマ屋スミレ』の、いわゆる“在日コリア三部作”と呼ばれる作品のほか、今回の『ぼくに炎の戦車を』もそうですが、ご自身のルーツや日韓といったテーマが鄭義信さんの作劇の中心になっていると感じます。戯曲を書き始めた当初からそれは根底にあったかと思いますが、ここ数年は顕著に表面に打ち出してきていますよね。

「まあ、流れでそういう具合になっていったんですけどね。僕は黒テント出身なんですが、黒テントで一番最初に書いた『愛しのメディア』という作品はやはり在日の密航者の女たちの話で、そこから出発していまして。新宿梁山泊の時代に書いた『人魚伝説』も僕の生い立ちに近い話なんですけど、その時は朝鮮だとか韓国といった具体的な名称は出さなかった。そういうことを書いても世間的に受け入れてくれないだろうという思いが僕の中にあったんですよね。いわゆる韓流ブームといったものが起きて、周囲の韓国への関心、理解が高まってきた。それで『焼肉ドラゴン』を書いている時に“在日韓国人”という設定をバンと表に出してしまったんです。『人魚伝説』の時は“ウチウミ”というぼかした言葉を使ったけれど、『焼肉〜』では“ここは韓国人の集落である”と限定して書いています」

−−『20世紀少年少女唱歌集』なども登場人物が在日の人たちであることが伺い知れますが、限定はされていませんね。

「はい、在日であるとはいっさい言わずに、“北”と表現しているだけです。最初の頃は、限定しちゃうとお客さんに"特殊な、自分たちとは関係のない物語"みたいに思われるかなと思っていたんですね。『人魚伝説』も特殊な物語ではあるなと思っていたんですけど、意外に多くの人が支持してくれました。まあ鄭義信という名前を名乗っているわけですから、自分の生い立ちからは逃げも隠れもできない。これからもこのテーマはあり続けると思います。三部作を書いたからしばらく休みます、とは言ったんですけど(笑)」

−−『焼肉ドラゴン』ではっきりと限定できたのは、周囲の関心といった空気が後押ししたということでしょうか。

「周囲の空気もありますけど、その時僕は五十歳になっていたので、そろそろ自分の出自を含めた在日のことをきっちりと書かなきゃダメだなと思ったのが一番ですかね。『たとえば野に咲く〜』でも主人公が在日韓国人であるとはっきり書きましたが、僕自身の生い立ちに近い部分でいうと、『焼肉ドラゴン』が最初であったと思いますね」

−−『焼肉ドラゴン』の時のインタビューなどで、義信さんが発した“棄民”という言葉が印象に残っています。

「自分たちの立場の曖昧さを“棄民”と表現したんですね。日本からも韓国からも見捨てられた存在。在日韓国人という存在自体が、日本にとっても韓国にとっても、どうでもいいような存在であるという意識はずっとありました。韓流ブームも、関心の先は在日を飛び越えて韓国に向かったものですからね。まあ、『焼肉ドラゴン』という芝居では、日本側にも韓国側にも毒矢を吹いたといった感じかな(笑)。どっちつかずの自分に対するいらだちもあったし、いろんな意味で自分のひとつのポイントとして『焼肉ドラゴン』を書いたところはありますね」

−−数々の受賞を果たし、日韓両国から注目された大きなポイントになったと思います。演劇活動において状況の変化など、影響力は大きかったのでは?

「僕自身はあんまり変わったように感じてないけれど、まあ確かに今回の『ぼくに炎の戦車を』のような日韓合作の仕事が増えたのと、韓国での芝居作りが一気に多くなりましたね。ま、それは『焼肉〜』を書く以前に、韓国で戯曲集を出したことも大きいです。『20世紀〜』などを収録した戯曲集なんですが、韓国には今、演劇科を持つ大学が80くらいあるって言ってたかな? その学生さんたちが作者に断りなく(笑)、勝手に芝居を作っているみたいです。先日も“私、『20世紀?』のあの役をやりました!”とか数人が言ってきて、“……ありがと”って複雑な気持ちで返事して(笑)。著作権に関してはまだまだルーズなんですよね。
 なのでこのところ一年の三分の一くらいは韓国にいて、韓国の大学生からベテラン俳優まで、無節操に(笑)仕事をしています」

−−韓国の俳優と作業して、ここが日本人とは違うなと感じる点はありますか?

「いや、大学生と芝居を作った時は、やっぱり学生は学生だなと感じましたけど。ただパッションは日本よりもすごいですね。今回の『ぼくに炎の〜』にも出演しているイ・ヒョンウンって男の子は、韓国の中央大学で芝居をやった時の、僕の教え子のひとりです。その時から“コイツはイケてるぞ”と思っていて起用したわけです。韓国の俳優は、基礎がきちんとできるっていう印象はありますね。ちゃんと高校から演劇を専門に学んで、大学も演劇科に進んで。日本みたいに“皆で集まって劇団を作りましょう。今日から僕は演出家、君は役者”みたいなことはほとんどない。でも、ちょっと変わったことをしましょうとか、アングラチックな攻め方をすると、戸惑ったりすることもはあります。意外にそんな保守的なところもあって、そういう点では日本人の役者のほうが柔軟だったりする。ま、韓国は韓国、日本は日本のいいところがあるという感じでしょうか」

−−今回の舞台のように日韓両国の俳優と接する場合、対応を変えることは?

「あまり変わりませんね。あいかわらずバカなこと言ってます(笑)。韓国で“ギャグは3回くり返すんだよ。日本ではそれが常識なんだよ”って教えました。これで韓国でも吉本式の笑いが常識になったと思います(笑)」

鄭義信

−−またそんな無責任なことを(笑)。在日など日韓両国の歴史に関わる繊細なテーマを扱いながら、“笑い”を必要不可欠としているのは……。

「人間がふざけているから(笑)。いやいや、やっぱり息が詰まっちゃうんですよ。関西人の哀しいサガなのか、僕自身の子供の頃からの性格なのか。作家としてはすごく真面目なことを書いてはいるんですけど、演出家として演出する時には"このセリフをこのまま聞いたら、スゴく恥ずかしいだろ"って照れて、茶化してしまうんですね。それも、クドいほどに。自分でもクドいなあ〜と思うけど、やらずにおけないというか(笑)」

−−韓国人はクドいの、大好きじゃないですか?

「大喜びですよね。関西ギャグがこれほどウケるか、と。桑原和男って人の有名なギャグで、“ごめんください。どちらさまですか? 桑原和男です。お入り下さい。ありがとう”ってひとりで受け答えするのがあるんだけど、東京でやった時はボチボチウケて、大阪ではドッとウケて。で、これ、韓国でもやってみようと。やってみたらなぜかウケてるから、俳優たちは喜んでましたよ(笑)」

Text●上野紀子 Photo●源賀津己

PROFILE

ちょん・うぃしん 1957年生まれ、兵庫県姫路市出身。1993年、『ザ・寺山』(流山児★事務所公演)で第38回岸田國士戯曲賞を受賞。映画賞を総なめにした『月はどっちに出ている』『愛を乞うひと』を始め、映画やドラマの脚本も数多く手がけている。2008年に新国立劇場で初演した『焼肉ドラゴン』で、第16回読売演劇大賞(大賞・最優秀作品賞)、第8回朝日舞台芸術賞グランプリ、平成20年度芸術選奨文部科学大臣賞、第43回紀伊國屋演劇賞(個人賞)、第12回鶴屋南北戯曲賞を受賞。

INFORMATION

『ぼくに炎の戦車を』
 11月3日(土)〜12月1日(土)
 東京・赤坂ACTシアター
 12月8日(土)〜11日(火)
 大阪・梅田芸術劇場 メインホール
 2013年1月末
 韓国・国立劇場

チケットぴあ『ぼくに炎の戦車を』特設ページ



2012.10.30更新

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