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20代初め頃からコンスタントにドラマや映画で活躍し続ける俳優、玉木宏。2013年春、実在した戦場カメラマンを描いた『ホテル マジェスティック〜戦場カメラマン澤田教一 その人生と愛〜』で満を持して初舞台を踏む。近年、活動の場をますます広げつつある彼に、これまでの道のりを振り返りつつ、今のスタンスを語ってもらった。

――今回は玉木さんの人となりを改めて知るために、子ども時代のお話から伺いたいと思います。

「団地住まいで周りに同世代の友だちがたくさんいたので、いつも外で遊んでいる子どもでした。団地の真ん中にある公園で野球やサッカーをして、暗くなったら帰る。あとは幼稚園から中学まで、水泳をずっとやっていましたね。小4のときにスイミングスクールの選手になったので、月曜から金曜まで練習があったんです。毎日学校で部活をやって、そのあとスイミングスクールで泳ぐという日々でした」

――部活は何を?

「バスケ部以外は全部やりました。柔道、サッカー、水泳、野球……。相撲部にも入ってました」

――えっ!

「小学校のときは部活の掛け持ちができたので、僕に限らずみんな兼部していたんです。バスケ部だけは、試合の時期が他の部活とかぶっていてうまく組み込めなくて。それから、毎週日曜は小3から中1までボーイスカウトを」

――ストイックな毎日といえばいいのか、とにかくびっしり予定が詰まっていたわけですね。

「でも、中学に上がって間もなく、その生活に飽きてしまったんです。スイミングスクールの先生がスパルタで、毎日すごく怒られるわけですよ。先生が竹刀を持っていて、ターンのたびにその竹刀で背中を叩くんです。それでもう辞めてしまおうと。小6の時にバレーボールのグランドチャンピオンズカップをテレビで見て憧れ、中学でバレー部に入ったこともあって、要は新しいものに目移りをしてしまったわけです。今となってはもう少し水泳を続けておけばよかったな、という後悔もあります」

――水泳で背中を叩かれるよりもバレーに向かったというわけですね。

「ただ、中学のときはそこまで熱中して部活をしていたわけじゃなくて、小学生のころに比べたらゆるめな感じでしたね。遊びたいという意識も芽生えてきたので(笑)」

――高校時代は?

「2か月くらいハンドボール部に所属していましたけど、後はバイトに明け暮れていました。お好み焼き屋さんとコンビニを掛け持ちで」

――いつも空いている時間を埋めるように部活やバイトをしていますね。

「今もそうです。ちょっとでも時間が空いたらボーッとするよりは、何か行動をしてしまうタイプです」

――スカウトを受けたのは高校生の頃だそうですね。

「16歳、高2の時でした。もともとテレビがすごく好きで、ドラマや音楽番組をよく見ていたんです。だからこの仕事にも興味がありました。中3のときに見た、『若者のすべて』(1994年)というテレビドラマにすごく影響を受けて、芸能界の仕事をやってみたいとオーディションを受けたんです。いいところまではいったものの『こちらからご連絡しますね』と言われたままずっと連絡がなくて。それから2年後に突然街中でスカウトされたんです。でも、『名古屋でスカウトなんて本当にあるのかな?』と半信半疑でした。卒業までに何度か事務所の社長と会って『あ、本当なんだ』とわかって上京しました(笑)」

――『若者のすべて』のどんなところが胸に響いたのでしょうか?

「青春群像劇なんですよね。いい方向に進む人もいれば、足を踏み外す人もいる。それを見て、中3の僕は初めて『自分は20歳になったらどんな生活をしているんだろう?』って将来について考えたんです。世間を知らない子どもなりに、地元での生活は自分には狭く見えて、東京には絶対に行きたいと思った。俳優になりたいというより、ただそのときは有名になりたい、テレビに出たいという思いでした」

――デビュー後はどんな生活を?

「いざ上京していろんなオーディションに行ってみると、何も経験がないからとにかく仕事が決まらない。何よりもテレビに出たくても出られない人がこんなにもいるんだ、ということがショックでした。いきなり大きな壁が自分の前に立ちはだかった。そこで『演じるってなんだろう?』と初めて考えて、プロの方々が演じる場面を見られる機会があれば見て勉強をするということからはじめたんです」

――当時はアルバイト生活だったわけですよね?

「もちろんです。レストランのウェイターとコンビニ、引越しのバイトを掛け持ち。小さくても役者の仕事が入ったら休まなきゃいけない。でも、バイトに出なければお金が無くなってしまう。そんなときは引越しのバイトをやるんです。日払いなので、とにかくその日を暮らすお金が得られる。そんな日々をしばらく送っていましたね。電気もガスも水道も止められた経験があります(笑)」

――玉木さんといえば、デビュー間もないころから役者として活躍している印象があったので、そんな生活をしていたのは意外です。

「振り返ればいい経験でした。もし役者としてダメになってもその頃の生活に戻ろうと思えば戻れる、もう一回バイトからやればいい、という気持ちはどこかにありますね」

――そんな玉木さんが徐々に役者として経験を重ねていく中で、ご自分でいちばんの転機だと思う作品は何ですか?

「大きく意識が変わったのはやはり映画『ウォーターボーイズ』(2001年)ですね。ずっとオーディションに落ち続ける日々の中で、初めて第5次審査までくぐり抜けて勝ち取った役だったんです。それに、共演者がほぼ同年代で、題材がシンクロナイズドスイミング。自分が好きなようにやって成立するものではない、演技のうえでもみんなとシンクロしていなくてはいけない。撮影中、『お前はダメだ』なんて言葉が飛び交うようなミーティングを何度も重ねて、本気でぶつかりあった。ここに出ていた役者たちは、みんなバイトをしながらこの仕事に賭けているような人が多かった。境遇が似ていることもあって、みんなで同じベクトルを向いてひとつの作品をつくりあげることができたし、それがヒットという結果につながった。作品というのはみんなでつくるものなんだとわかったのがこの一本でした」

――今回、『ホテル マジェスティック〜戦場カメラマン澤田教一 その人生と愛〜』で初めて舞台に挑戦されます。これも俳優人生では大きな転機になる可能性があると思いますが、舞台の話を最初に聞いたときはどう思われましたか?

「舞台は20代半ば頃からずっとやりたいと思っていたんです。いろんなタイミングが重なって今回ようやくできることになった。とにかくうれしいというのが一番でした」

――舞台をやりたいと思われたきっかけは?

「その頃は、映像作品にも舞台出身の方が参加することがとくに増えた時期だったんです。舞台出身の方々って、映像の場でもメンタル面がすごく強い。撮影の合間に聞く舞台の話も興味深かったし、そういう方々から『一度は経験してみるといいよ』なんてよく言われたりもしたので」

――ベトナム戦争を撮影し、ピュリツァー賞を受賞した戦場カメラマンの澤田教一さんという実在された方の人生を演じることになりますが、どんな心構えをされていますか?

「戦場カメラマンというとかなりシリアスなイメージをもたれる方もいるかもしれませんが、それよりも澤田さんの人間らしさを表現できればと思っています。資料を読む限り、澤田さん自身、最初からカメラの腕が飛びぬけてうまかったり、完璧な人というわけではなかったんです。ピュリツァー賞をもらい評価されていく中で『これじゃダメだ』と自分が変わっていったような方なんですよね。そういう人間くささが出せればいいなと今の時点では思っています」

――澤田さんが撮られた写真を見てどんな感想を持ちましたか?

「戦場カメラマンの方って、撮った後はどうしてるんだろう? といつも気になっていたんです。澤田さんの代表作である『安全への逃避』という写真は家族が川を渡りながら逃げ惑っている姿を捉えたものですが、これを撮った後、澤田さんはやはりこの家族を助けたそうなんです。そういう人間性があるからこそ撮れるものなのかもしれないと思う。それと、僕も澤田さんが使っていたのと同じメーカーのカメラを持っているんですが、このカメラは風景を撮ることはできても、動きを撮るのはすごく難しいんです。フォーカスの合わせ方が独特で、ピントが合っているかどうかがわかりにくいんです。そんなカメラでこれだけ躍動感のある人間の姿を撮れるのはやはりすごいな、と思いますね」

――そこに気づくのはカメラを趣味とされている玉木さんならではですね。撮影することについて、澤田さんに共感できる部分というのはありますか?

「僕も一度、カメラマンとしての仕事をいただいたことがあったんです。南アフリカで野生動物を撮ったんですが、ファインダーを覗いていると対象物との距離感がつかめなくなってきて、どんどん前に行こうとしてしまうんです。ただ、戦場では命の危険が伴うのに、それでも最前線に行ってしまう気持ちというのはまだ到底測りきれない部分ですね。本番までに少しでも探っていければと思っています」

――玉木さん自身は「写真を撮る」という行為について、どんな思いを持っていますか?

「基本的には、ただきれいなものを見たら自分のカメラに収めたいという気持ちで写真を撮っていたんですが、たまたまお仕事としてオファーをいただいたときに初めて『テーマに合わせて撮る』ということをしたんです。それによってすごく上達した気がした一方で、難しさも感じました。そこに在る物語を一枚の静止画で伝えるというのはなかなかできることではない、奥が深いものですね。また仕事として撮りたいので、オファーを待っています(笑)」

Text●釣木文恵 Photo●源賀津己

PROFILE

たまき・ひろし 1980年、愛知県生まれ。高校卒業と同時に上京し、俳優としてデビュー。映画『ウォーターボーイズ』、朝の連続テレビ小説『こころ』などで広く知られるように。以降ドラマ、映画と幅広く活躍。映画『ROCKERS』をきっかけに音楽活動も行っている。主な近作に『聯合艦隊司令長官 山本五十六』『平清盛』『結婚しない』など。主宰をつとめる『アイアンシェフ』は12月31日に5時間45分の生放送が予定されている。2013年3月より初舞台にして初主演舞台『ホテル マジェスティック〜戦場カメラマン澤田教一 その人生と愛〜』が東京・大阪・名古屋で上演される。


TICKET

「ホテル マジェスティック 〜戦場カメラマン澤田教一 その人生と愛〜」
 東京・新国立劇場 中劇場
 3月7日(木) 〜 3月17日(日)
 大阪・森ノ宮ピロティホール
 3月20日(水・祝) 〜 3月24日(日)

公演・チケット情報





2012.12.21更新

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