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映像においても舞台においても、情熱を持って疾走するイメージが強く浮かび上がる人気俳優、小栗旬。2年ぶりの舞台となる『あかいくらやみ』で、作・演出の長塚圭史と待望の初顔合わせが実現することとなった。作品ごとに名前どおりの“旬の舞台”を構築してきた彼が、残虐な復讐の史実をモチーフとした舞台で、また新たな表現を生み出そうとしている。今あらためて尋ねる小栗旬の軌跡について、笑顔で振り返りながら一つひとつ丁寧に、飾らない言葉で語ってくれた。

――昨年末に30歳を迎えられましたね。ご自身では意識の変化などありますか?

「とくに変わらないんですが、自分自身、30歳になるのを楽しみにしていたところはあったので、これからまた楽しみだなと思っていますね」

――10代から活動されていましたから、俳優生活も長いですよね。

「そうですね。11歳の時に児童劇団に入ったので、今年の9月で20年目になるのかな。でも実質的なデビューからいったらまだ10年ちょっとですから。児童劇団も別に親にやらされて始めたわけじゃなく、自分の意志で入ったんです。子供の頃から目立ちたがり屋だったんでしょうね。単に演じることや作品に参加することが楽しくて、俳優になろうとはあんまり考えてなかった。この仕事をいまだに続けているという想像は、当時はしてなかったですね。楽しいからなんとなくやっているけど、そううまくはいかないだろうな。どんな人生を送っていくんだろうな……なんて感じだったと思います」

――ドラマ『GTO』などで活躍されていましたが、舞台に立つ小栗さんが注目されたのは『宇宙でいちばん速い時計』(2003年)が最初のように感じます。 

「はい。その前にも児童劇団の公演などいくつか舞台に出たことはありましたけど、自分としても19歳の時に出演した『宇宙でいちばん速い時計』が初舞台という感覚でいますね。俳優としてこの仕事をやっていこう、芝居と向き合っていこうと思ってからの初めての舞台でした。

 演劇の世界に初めて本格的に入っていくことで僕自身もいっぱいいっぱいだったのに、僕の相手役だった人が降板しちゃったりしてホントに大変な稽古場だったんですよ。演出の白井晃さんも鼻血流しながら演出をつけていた思い出が(笑)。つい先日、白井さんと食事をして当時のことを話したりしたんですけど、“旬が俳優としての覚悟を持って臨んでくれた舞台だったけど、僕もどうしよう〜!とテンパっちゃってたからね”なんて笑ってました。でも、おかげでいい出会いもあって。当時、共演の浅野和之さんに“朝10時に来い”と言われて、連日本稽古の始まる前に浅野さんが稽古をつけてくれたんですよね。“浅野和之のストレッチ”から始まって(笑)。浅野さんは僕にとって、舞台について最初に教えてくれたお師匠さんのような人ですね」

――お師匠さんと白井さんに鍛えられ、『宇宙で〜』の舞台経験で何らかの手応えを得たのではないでしょうか。

「初日を迎えた時に、急に僕の芝居が良くなったと言われたのを覚えています。ゲネプロ(通し稽古)でもわからなかった、お客さんが客席にいる新鮮さを感じて変化したみたいなんですよね。白井さんからも“初日を観て、やっと安心した”って言われて。やっぱりそれまでは自分の中だけで演じていることが多かったんでしょうね。急に開けた感じがして、お客さんの前で演じる楽しさがわかって、舞台が好きになったんです」

――その後に蜷川幸雄さんと出会います。小栗さんの中では大きな出来事ですよね。

「ちょっとしたカルチャーショックでしたよ(笑)。白井さんの稽古場は午後1時から9時までみっちり、休憩時間もほとんどない稽古場だったのに、蜷川さんの稽古場に行ったら夜まで稽古と決まっていても、だいたい早くに終わっちゃう。“とにかくやってみろ”から始まって、やってみたら意外といい感じにできたようで、とくに芝居について言われることもなく“もうここの稽古はいいや”って。あれ? 白井さんはあんなに細かくうるさかったのに(笑)、この違いは何だろう?と。でもそこから、蜷川さんとの長い長い歴史が始まっていくんですけど。

 この最初の『ハムレット』(2003年)では何も言われなかったけど、2度目の『お気に召すまま』(2004年)では蜷川さんに“次こそはお前をメチャクチャにしてやるぞ”と言われて稽古に入りました。それで“ヨッシャー! 今回はいろいろ言われるんだ!”と心して入ったのに、蜷川さんは他の俳優につきっきりになってて僕にはとくにダメ出しもなく、本番を迎えることに。でもその時に、僕の第二のお師匠さんである吉田鋼太郎という人に出会ったんです。鋼太郎さんが毎回稽古終わりにシェイクスピアの台詞のしゃべり方などを教えてくれたことで、芝居の面白さをどんどん感じていったんです。

 その次の蜷川さんとの舞台は『間違いの喜劇』(2006年)かな。そこで初めて蜷川さんに“ヘタクソ”“ カス”“ 死んじまえ”と言われるようになって(笑)。で、続いての舞台『タイタス・アンドロニカス』(2006年)では、ちょっと調子に乗ってしまいまして。ノドの調子がヤバいな…と思っていたのに飲みに行っちゃって、翌日に声がまったく出なくなったことがあったんです。しかもその夜に蜷川さんに電話して“俺、やりますから!”なんて宣言しておいて(笑)。蜷川さんに“ホントに死ね。お前となんか二度と口をききたくない”と言われ、僕のせいで3日間、稽古が休みになったんですよね。ああ〜やってしまった!と思って、その3日目の夜にまた蜷川さんに電話して謝ったら、“別にいいんだよ”って言われました。“お前らみたいな若いヤツらは、失敗しちゃいけない状況でばかり仕事をさせられて収まっていこうとしている。こういうことをしたらダメなんだってことを深く反省して、次のステップにしてくれればいいから。明日、稽古場で待ってます”と」

――なんと懐の深い、愛ですね!

「そうですね〜。『タイタス〜』はいろんな地方を回って、イギリスにも一ヶ月行って、本当に面白くて貴重な時間でした。僕の中での蜷川舞台のお気に入りランクで、かなりトップのほうに初演の『タイタス・アンドロニカス』があるんですよ。初演での、吉田鋼太郎のエネルギーに圧倒されちゃって。こんなすごい人がいるんだ!と。その人を今度は自分が陥れていく。演じていて、やっぱり快感で面白かったですよね。今では多くの知り合いの俳優たちも鋼太郎さんとつき合いがあるけれど、僕としては“俺らの世代で一番最初に鋼太郎を見つけたのは、俺だ”という自負があるので(笑)」

――要所要所で大事なお師匠さんに出会っているんですね。蜷川さんからの愛ある暴言もたっぷり浴びるようになって(笑)。

「はい。その後『お気に召すまま』の再演があって、『カリギュラ』(2007年)になりますね。やっぱり『カリギュラ』は、これまで自分がやってきた中でナンバー1の舞台だと思っています。当時の自分の肉体と精神的な部分とが、カリギュラという人物にすごくリンクしたんですよ。今から思えばホントに稚拙で、エネルギーだけで走りきったなとは思うんですけど、あの芝居に出られたことは大きな財産だと。ただ、財産であるだけに“あの頃の自分はあんなにパワーがあったのに”と過去の栄光を振り返る瞬間が時々あって、早くそれはなくさないといけないなと思っているんですけどね。

 その後の『ムサシ』(2009年)で、やっと藤原竜也と肩を並べて演じられる時がきた。僕としては蜷川さんとやってきたことの集大成のように感じています。同い年の竜也の舞台はいつも“すげえな”と思って、ずっと観てきたんですね。それこそ『ハムレット』の時の竜也はカッコ良くて、神々しいものを感じていて。いつか彼と対等な役で芝居がしたいと思っていたので、それが叶った『ムサシ』は嬉しかったですね。同じ舞台に立ち、しかも相手役をやっているというのはとても感慨深いものがありました」

Text●上野紀子 Photo●星野洋介

PROFILE

おぐり・しゅん 1982年、東京都生まれ。エキストラから俳優活動をスタートし、ドラマ『GTO』で注目された後は数々のドラマ、映画に出演。『花より男子』シリーズやNHK大河ドラマ『天地人』などで話題を集め、人気を不動のものにする。舞台は白井晃演出『宇宙でいちばん速い時計』『偶然の音楽』に出演のほか、蜷川幸雄演出作『タイタス・アンドロニカス』『カリギュラ』『ムサシ』など多くのヒット作に出演。また2010年公開の映画『シュアリー・サムデイ』で初監督を務めた。2013年5月にはシアターコクーンで上演される主演舞台『あかいくらやみ〜天狗党幻譚〜』(作・演出:長塚圭史)が控えている。


TICKET

『あかいくらやみ〜天狗党幻譚〜』
東京・シアターコクーン
5月5日(日・祝) 〜 5月26日(日)

【追加席発売決定】
3月16日(土)10時より2階A席の追加席を発売します。
詳細は[公演・チケット情報]にてご確認ください。

公演・チケット情報



『あかいくらやみ〜天狗党幻譚〜』
大阪・森ノ宮ピロティホール
5月30日(木) 〜 6月2日(日)

公演・チケット情報





2013.03.05更新

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