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3年間にわたって進められてきた国際プロジェクトの舞台『トロイアの女たち』がついに幕を開ける。緊張の解かれることのないイスラエルとの作業の中で、ユダヤ、アラブ、そして日本の俳優たちとともに挑発的なギリシャ悲劇を立ち上げる演出家・蜷川幸雄の狙いとは? 同時進行するもう一つの舞台、ケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)との演出バトルが注目される『祈りと怪物 〜ウィルヴィルの三姉妹〜』の様子も絡めて、巨匠の今の心情に迫る。

――日本とイスラエルの国際共同制作による『トロイアの女たち』がいよいよ開幕します。3年以上前から出発したこのプロジェクトは、イスラエルの情勢の動きによって幾度も上演の可否が問われてきただろうと推察します。この間の蜷川さんの心の揺れを、ぜひお聞きしたいです。

そうだね。現時点でもまだいろいろな問題が複合的に出てきていますよ。演劇は政治に何も影響されないと思って仕事をしながらも、余儀なく政治情勢に巻き込まれてしまうことはあるでしょう。たとえばイスラエル軍によるガザ侵攻が起これば、向こう(テルアビブ)での芝居はできなくなるだろうな、と。この作品に出演する俳優たち、イスラエルに住むパレスチナ人とユダヤ人の、両方のアイデンティティに関わる問題だから、こちらは口を出せない。彼ら、彼女らが「もうできない」と言ったら中止だな、とかさ。そんなことはしょっちゅうで、これから先もどこでそういう問題が具体的に出てくるかわからないから、つねに緊張しているね。何か起きたらどうしよう、ちゃんと幕は開くかな、といった小さな選択を毎日している状態かな。

――プロジェクトを進める決定については相当逡巡されたのではないですか?

まあ、ここまできたらやらなきゃいけないな〜っていう感じかなあ。ものすごい悲壮な決意をしたということもない。いろんなケースを考えながら、でもやるしかない、やったほうがいいだろう、くらいの気持ちですね。気楽に考えたいと思っていたね。実際のところ、日本に俳優さんがやってくるのに「今、出発しました」という話を聞いても「ホントに来るかな」と思ってた。「池袋に着きました」という報告を聞いて初めて、おっ、ホントに舞台をやるんだ! と実感したのが正直なところでね。紛争の問題など政治情勢を考えても、僕の判断では「これは公演中止になるな」と思っていたんですよ。でも、ちゃんと全員が来た。あっ、やるんだ……と。いつでも論理と実感のあいだを行ったり来たりしている感じだね。

イスラエルの劇場から「共同制作をやりませんか」と提案されて、仕事をしてみようと思った。それにはいろんな意見が出てくるだろうということは予測しながらね。意見が出てくること自体はかまわないと思った。向こうがどんな政治体制であろうと、演劇がそこから自立していればいいだけの話だからね。たかが演劇だからさ。そんなたいしたことはない、と。ただまずは条件として、ユダヤ人、アラブ人、日本人という、3つの母語を持った歴史も文化も違う人たちが一つの場に集まることを了承してもらえるならばやろうかなと考えていたんです。それぞれの人数についてもうるさく要求しましたね。そういうものが整って、オーディションをやっていざ現場に入ってみると、一緒に仕事をしたいという想いを持つアラブ人やユダヤ人がたくさんいた。最終的にコロスとして出てくれる人たちの中には、年配のスターたちが混じっていてね。聞けば“日本でいうと黒柳徹子のような”有名な女優らしい(笑)。気づかなかったけど、結構著名な女優さんたちがコロスをやっているんだよ。僕らが思っているよりもはるかに彼女たちのほうが、この作品をやることに意味をみつけたり、何かを発見しようとして参加してくれているんです。

――実際にユダヤ系、アラブ系の俳優さんたちが集結した稽古場の空気がどのようなものか気になります。3年前のワークショップでは緊張の走る瞬間もあったと伺っていますが。

うん、日本でやったワークショップの時に、アラブ系の俳優がイスラエルの劇場の責任者に向かって「イスラエルの演劇的歴史について語る時間が多くて、パレスチナに関する文化的言及が少ない」ということを猛然と批判してたね。そういった政治的理念の対立、置かれている状況での対立というのは当然あるでしょう。でも今回の稽古場では、個々でいろんな想いをつぶやくことはあっても、大声でそれを討論しあうということはないね。芝居の稽古をしながら「ホロコーストの記憶が甦るわ」とか、「難民はこうやって避難するのよ」なんてことを個々でしゃべっている。リベラルな人たちなので、この芝居をやっていく中でこれは大声で語るべきことではないと思えば、彼らはしゃべらない。でも個々ではいろんな想いを持っているから「その感情を役に投入していく」と語っていたね。

――この11月にガザへの砲撃が起きた時など、動揺が走ったのではと。

そんな激しく動揺が表に出ないんだよ。いろんな想いを抱えてないはずはないんだけど、この演劇を成り立たせようとして自制している。それはすごく大事なことだと思いますね。演劇をやっていく中で、あるところでは我慢し、あるところでは密やかな自己主張に変えたりする。皆が、演劇という枠組みの中でだったら息をつける、というのかな。でも演劇という場が壊れたら、それはもっと露骨な闘争になると思いますよ。

だから演劇という枠もそう悪くないなと思うのね。僕らが想像つかないような困難の中を生きているに決まっているんだけど、いろんなことを我慢し合って、譲り合って、かすかな希望でも発見しようと皆で努力する。それが僕らが仕事をする意味なんだという気がしますよ。

――『トロイアの女たち』という作品を選択したことも、イスラエルの皆さんの現状を踏まえての蜷川さんの狙いが込められているのだと感じます。

うん、イスラエルの問題だけじゃなくシリアの問題とか、まだまだ地球上にはたくさんの紛争地が残っているわけだよね。そして戦争の被害は必ず女性などの弱い者に集中している。最初は『王女メディア』なども考えていたんだけど、どうせやるなら火中の栗を拾ったほうがいいなと思ったんです。あえて彼女たちの現状に即したものを、と。配役一つにしても「どっちが加害者でどっちが被害者をやるのか」と問題になるわけ。でもそんな問題を抜きにしても成り立たせる、3つの文化を持っている人たちが一つになって作るということが大事なんだと。それに、一番彼女たちが自分たちの感情を率直に語れる材料になるだろうとも思った。案の定、その部分に関しては皆、いろいろとモノを言うし、やってくれますよ。

自分たちの困難を語る芝居は、もうすごいよ。巧い……というか、心打たれるね。日本の俳優がどうと言うより、違う次元の表現だなと。凄まじくいいですよ。ユダヤの人たちとアラブの人たちの表現はもちろん違うし。今度の芝居の仕組みが、コロスの台詞に関しては日本語、ヘブライ語、アラビア語の順番に、一つの台詞を3つの言語で繰り返していくんですよ。だから語り口の違いや、怒りや悲しみの表現の違いが見えて面白いよ。

――そんな強靭な表現力を持つイスラエルの俳優さんたちに混じって、芝居の主軸として立つのはヘカベ役の白石加代子さんです。蜷川さんの絶対的なご指名ですか?

うん。つまり文化的歴史ゆえにそれだけの困難な生活を送っている人たちがいて、そんな彼らや彼女らに匹敵できる日本の女優というと、やはり白石さんだなと。演技の確かさの根拠も含めてね。皆、「おお〜!」と釘付けになって白石さんの演技を見ているよ。「なぜあんなにどんどん腰を低くしていくんだ、なぜ立たないんだ!?」なんて言ってる。そんな表現の違い、あるいは文化的立脚点の違いがあきらかになっていくわけ。低く低くなっていく人たちと、伸びやかになっていく人たちの違い。伸びやかになるのも、アラブのほうが暴力的かな。ユダヤのほうがもう少し、感情の抑制が利いている。

――面白いですね!

疲れますよ(笑)。稽古が終わると「ああ〜っ、今日も終わったあ〜!」って。4時間くらいでだいたいヘバる。最初は皆「(稽古時間が)短い」なんて文句言ってたけど最近ようやくわかってきたみたい(笑)。自分たちがやるべき分量の多さと、ちゃんとやらないと芝居が成り立たないということが。これはコロスの芝居だからさ、出たら出っぱなし。5人ずつの台詞のユニゾンがうまくいかないといけないんだよ。

「稽古始めます」って言ってもガヤガヤガヤガヤしゃべっててうるさい(笑)。賑やか! 疲れる! こっちの稽古が終わると下でやっているKERAの作品(『祈りと怪物 〜ウィルヴィルの三姉妹〜』)の稽古場に行くんだけど、そっちはもぉ〜静かで楽!なんて協調を旨とする民族なんだろうと。もうね、軽やかに階段を下りていくよ(笑)。

Text●上野紀子 Photo●源賀津己

PROFILE

にながわ・ゆきお
1935年生まれ。埼玉県川口市出身。1955年に劇団青俳に俳優として入団、1968年に劇団現代人劇場を創立。1969年『真情あふるる軽薄さ』で演出家デビュー。1974年『ロミオとジュリエット』で大劇場の演出を手掛け、以後、日本を代表する演出家となる。1983年に初の海外公演『王女メディア』をギリシア・ローマにて公演したのを機に現在に至るまで海外公演を継続している。代表作には『近松心中物語』『身毒丸』『ハムレット』『NINAGAWA十二夜』(歌舞伎)ほか多数。また近年では、55歳以上を対象とした「さいたまゴールド・シアター」、若手俳優育成プロジェクト「さいたまネクスト・シアター」の活動を開始し話題を呼んだ。現在Bunkamuraシアターコクーンと彩の国さいたま芸術劇場で芸術監督を務めている。


TICKET

「トロイアの女たち」
 東京芸術劇場 プレイハウス
 12月11日(火) 〜 20(木)

公演・チケット情報



「祈りと怪物 〜ウィルヴィルの三姉妹〜」蜷川バージョン
 東京・シアターコクーン
 1月12日(土) 〜 2月3日(日)
 大阪・シアターBRAVA!
 2月9日(土) 〜 17日(日)

公演・チケット情報





2012.12.11更新

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