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永井愛

彼女が注ぐ眼差しは、いつも鋭く、温かい。1981年、脚本家の大石静と共に劇団〈二兎社〉を旗揚げ。1991年に大石が脱退したのち、彼女の視力は筆力となった。高度成長期、一台のテレビの出現によって色合いを変えていく家族像を描いた『時の物置』(1994年)。知らぬ間に思いきり人生を謳歌している母親の姿に戸惑う中年男の物語『こんにちは、母さん』(2001年)。卒業式における君が代斉唱をめぐって右往左往する高校教師たちを描いた『歌わせたい男たち』(2005年)。数々の秀作で、彼女は演劇賞を総なめにしている。新作『こんばんは、父さん』では佐々木蔵之介、溝端淳平、平幹二朗という異色の顔ぶれが話題だ。稽古も終盤を迎え、ひと心地ついた頃合いの永井愛を訪ねた。

――まずは永井さんの眼差しの礎についてお聞きしたいのですが、どんな少女時代を送られましたか?

「幼稚園のおゆうぎ会で、表現活動に目覚めました(笑)。何曲かの童謡に合わせてみんなで踊るんですけど、とにかく人前に出るのがうれしくてしょうがなかったんですね。あの独特の緊張感と、集中して事を成し遂げる喜び。先生の振付に対して“ここはこうしたらどうだろうか”“登場をこちら側にしてはどうだろうか”なんていうことを勝手に考えて、本番は先生の言いつけを守らず、自分が考えた通りに動く有様でした。しかも家に帰ってくると、今度は近所の家々を回って、踊りを見せて。他の子の踊りも全部覚えていて、おゆうぎ会のすべてをやって回りましたね。皆さんよくご辛抱くださったと思うんですけど」

――ご家族は、どのような方たちだったのでしょう?

「絵描きの家だったせいもあると思うんですけれど(※父親は画家の永井潔)、誰かの話をみんなでする時に、他愛のないことでも“面白く語ること”が求められていたように思います。それも“人間とは立派なものである”というところへ帰結はしないんですね。“あの人はおかしい”とか“あの人はケタはずれだ”とか。特に話題にのぼっていたのは、母方の祖父。うちは両親が離婚して、私は父方で祖父母とともに育ったんですが、にも関わらず、母方の祖父が一時、うちに下宿していたんです」

――それは、不思議な家族構成です。

「普通じゃないでしょう(笑)。背中に洋服ダンスを背負って、うちまで歩いて来た姿を今でも覚えていますよ。草津温泉のお湯を売って一稼ぎしようと企んで失敗したり、冬場にアイスクリームを売ろうとして失敗したり、マンガみたいにほっかむりをした追い剥ぎに遭って、持っていたすべてを盗られちゃったり。それはもうエピソードの宝庫だったんです。そんな話を、祖母が実に活き活きと語るんですね。話術にかけては、子どもは大人たちにはかなわなくて。でも私もだんだん、学校の先生の物まねなんかで参戦するようになっていって。うまく笑わせることができたり、うまい言葉を使えたり、そういう表現力が評価されるという家風がありました」

――他には?

「我が家は他の家に比べて、電話を使い始めるのが早かったんですね。だから近所の人宛ての電話が、うちにかかってきたりする。そういう時、その人を呼びに行くのが私の係だったんですけど、ありとあらゆるドラマが電話口で繰り広げられるわけです。すぐ横が食卓だったので、ごはんを食べながら聞き耳を立てるわけですが(笑)、突然怒りだす人もいれば、泣きだす人もいる。“あの人は親戚ともめているんだな”とか“あの女子学生は大学教授からやたらに呼び出しがあるな”とか、いろいろと想像をふくらませるわけです。その人が話を終えて帰った途端に家族で“……今のはどういうことだったんだろう!”ってわいわい話したりして。それと、父のアトリエに人が集まって、騒いだり怒ったり泣いたり笑ったりしている光景を間近に見ていたんですね。人を観察したり、人を表現するということが、毎日のように行われている家庭でした。大人の社会と子どもの社会を、縦横に行き来していましたね」

――当時の大人と、今の大人と、違いは感じられますか?

「今の日本人はだいぶ屈折して、賢くなりましたよね。簡単に批評を許さない態度を、上手に取るようになったというか。あの頃の大人は、もっとわかりやすかった気がします」

――そんなふうにして、人間の生き様という資源が、永井さんの中に蓄えられていったのですね。10代ではどんな思春期を過ごされたのでしょう?

「小学校6年生の頃にはもう“女優になりたい”と思っていました。でもそのあたりからだんだん、自意識が芽生えてきて。私“目無しブタ”って呼ばれてたんですよ。太っていて、目が細いから。そんな“目無しブタ”ふぜいが“女優になりたい”だなんて口が裂けても言えない、と思って、卒業文集には“探偵小説家になりたい”って書きました。高校で演劇部に入るまでは、ひた隠しにしていましたね。でもそれ以降はもう“ええ、目無しブタですけど、何か?”っていう感じでした(笑)」

――どんな本を読んで、育ってこられましたか?

「父が仕事で、子供向けの『世界文学全集』の挿絵を描いていたんですね。だから早い時期からその本を読んでいました。中でもツルゲーネフが好きで。『ムムー』っていうお話なんですが。口のきけない農奴の主人公が、犬と出会うんですね。彼が犬を呼ぶ口ぶりから、その犬は“ムムー”と名付けられるんですけど。とにかく哀しいお話だったんです。ロシアの、貧しい暮らしをしている人たちが描かれていて。私が住んでいたあたりも、高度成長期の真っ只中で、決して豊かだとは言えない暮らしをしていたんですね。給食代が払えない子がいたり、給食を親のために持ち帰る子がいたり。そういう光景がどこか、物語と重なって見えたのかもしれません。あと、ロシア文学が持つ力というのも大きかったと思いますね。ひとつの物語をシンプルに描くのではなく、いろいろな立場の人の物語が、交響曲のように連ねられていく。書かれていること自体は人々の生活や日常でも、ある種の重厚感やダイナミズムが、子どもの私にも伝わったのだと思いますね」

――ご自身が書くことに目覚めたのは?

「小さい頃から、作文がうまい、と言われていたんです。それを喜んだ祖母が私に原稿用紙をどっさり買い与えて、私はそこに日記をつけていました。それを毎日祖母が見て、父に見せて“今日のはいい”“今日はイマイチだ”と批評されるのが我が家の日課だったんです。それである日、……“草ずもう”ってわかります?」

――草をふたりで1本ずつ交差させて、引っぱりあって、切れなかった方が勝ち。

「それです。学校へ行く途中で、友だちとそれに夢中になって、しかもなぜか勝ち続けた日があって。そのうち“これが切れたら哀しいな……”と思うようになって、最後に切れてしまったとき、お墓を作って埋めたんです。名前までつけて。“針山針之介”とか何とか」

――可愛い!

「それを日記に書いたら祖母が感動して、すごくほめられたんですね。でもあくまで"作文"止まりでしたよ。本格的なものを書こうなんていう気持ちはまったくなかったです」

――演劇には、どのように出会い、向きあっておられましたか。

「役者になりたい一心で、高校演劇を経て、大学も、桐朋学園大学の演劇科を出ました。大橋也寸先生がフランスのルコック演劇学校の方法論を用いた授業をしていて、いわゆる即興劇ですね。まず、ごく日常的なシチュエーションを、サイレントで演じさせるんです。例えば“出会い”がテーマだとして。ふたりが顔を合わせたら、その後は、それぞれが感じた通りに動きなさいと。ひとりが、相手に近づいていく。このまま行くと、顔が触れてしまいそうなくらいまで。そうしたら、もうひとりは警戒して逃げる。逃げられた方は怒って追う。……みたいなことを、その場で感じて、重ねるんです。演じながら、自分自身の生理を探るような作業。少しでも、前もって用意してきたものを出そうものなら“はい、嘘!”と打ち切られてしまうんですね。厳しかったし、へこへこに凹まされましたが、先生に言われることはいちいち、本当なんです。自分たちがいかに“らしさ”で芝居をしていたかを思い知るというか。だから演じると同時に、演じ手の演技を客観的に観る目も養われるわけです。ある意味、自分たちも作り手として、劇世界を構築していく。日々、奇跡が起きるんですよ。昨日全然ダメだった子が、今日は素晴らしい何かを展開してみせたり。私は、それがとても面白く思えたんです」

永井愛

――永井さんの演出に、まさにその連鎖性を感じます。稽古場での永井さんのダメ出しは「相手の言葉や行動を受けて、こういう気持ちになるから、この人はこう動く」といったところに主軸が置かれている。

「それは、書く時から考えることですね。役者さんがセリフに慣れて、余裕が出てくればくるほど、セリフで感情を表現しようとしがちだったりするんです。でも人間が発する言葉は、本人の感情よりも、相手への欲求の方が先に立つと思うんですね。ほめてもらいたいとか、気に入ってもらいたいとか、黙ってもらいたい、帰ってもらいたい、などなど。例えば“お願い、本当のことを言って”というセリフがあったとして、そこですべきは“本当のことを言ってほしい”という要求であって、“本当のことを言ってもらえなくて哀しい”という感情表現ではないように思うんです。一番の目的のために何を言い、どう行動するか。感情というのは、それを通して間接的に見えてくる“結果”にすぎないのではないかと。感情的な演技がどこかわざとらしく見えるのは、そのあたりに原因があるように思うんです。どんな人の、どんなセリフも、すべては相手とのコラボレーションなんですよ」

Text●小川志津子 Photo●源賀津己

PROFILE

ながい・あい 1951年生まれ、東京都出身。演劇ユニット〈二兎社〉主宰。桐朋学園大学短期大学部演劇専攻科卒業。1981年、大石静とのコンビユニットとして〈二兎社〉を旗揚げ、交互に脚本・演出を手がけ、ふたりとも女優として出演もするという欲ばりな活動ぶりで話題に。1991年のソロユニットとしての始動後は、女性の自立や失われゆく情景、家族、ジェンダーなど、個人の眼差しから社会を透視する作品群で安定感のある劇作を重ねている。
二兎社HP


TICKET

二兎社
『こんばんは、父さん』

 10月13日(土)・14日(日) 富士見市民文化会館 キラリ☆ふじみ(埼玉)
 10月16日(火) 知立市文化会館 かきつばたホール(愛知)
 10月18日(木) 長久手市文化の家 森のホール(愛知)
 10月21日(日) 滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール 中ホール(滋賀)
 11月9日(金)・10日(土) 豊橋市民文化会館(愛知)
 11月12日(月)・13日(火) まつもと市民芸術館 実験劇場(長野)
 11月15日(木) 杜のホールはしもと ホール(神奈川)
 11月16日(金) 水戸芸術館 ACM劇場(茨城)
 11月18日(日) 新潟市民芸術文化会館 劇場(新潟)
 11月20日(火) 盛岡劇場(岩手)
 11月23日(金・祝)〜25日(日) 森ノ宮ピロティホール(大阪)
 11月27日(火) 三重県文化会館 中ホール(三重)
 11月29日(木) サンポートホール高松(香川)
 12月1日(土)・2日(日) 北九州芸術劇場 中劇場(福岡)

公演・チケット情報





2012.10.16更新

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