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三浦直之

――ロロは未知数のことにどんどんチャレンジしてきたからこそ、あれっ、なんか噛み合ってないぞ、みたいな時も正直何回かあったと思うんですね。でもそこにひとつテコが入ることでそれこそ大復活するような逆転劇も何度か見てきて、その底力には驚かされたのですが、ではロロにとって何が死んだ状態で、何が生きた状態なのか。作品に命を吹き込むってことはどう意識してますか?

「そこは今、稽古場でも模索してるんですけど、ロロの役者の演技は(アニメ声優の)アテレコに近いところがあるんですよ。みんなでまずは絵コンテとなるシーンを作る。そのあとアテレコをしていくんですけど、そのやり方が大事で。こないだも“アニメの声優のあの演技過剰な感じがイヤだ”って言ってる役者がいて、それは例えば新劇を観た時に感じちゃうこっぱずかしさにも似てるのかな、とか話して、じゃあアニメにおいて(過剰な演技を排した)現代口語演劇に相当するものってなんだろうと考えた時に、ジブリがそうかもしれないと。ジブリが声優として木村拓哉を起用するのは、声でしか表現できない声優の目立ちたい感じがないのもあるし、それに木村拓哉の木村拓哉性とでもいうか、その彼の固有名詞があることによって、ジブリを観てる人は木村拓哉の存在も見てしまう。そういう状態がロロの演劇にも大事で、命を吹き込む/吹き込めない、ってことにも関係してるのかも」

――ジブリは、演じている人とキャラクターを引き剥がすことで、ちょっと観客をメタな状態で醒めさせるところがありますね。

「実際ロロでも、絵コンテを先に決めていくと役者も演技したくなっちゃうんだけど、そこに引っ張られていくのはやめようと稽古では伝えています。ただ演劇は、アニメと違ってどうしても絵を先に書かなきゃいけないわけじゃないから、身体と演技の相互作用はもう少し創作過程に入れられるかなって模索してるんですけど」

――『常夏』は千秋楽に大感動したのですが、そのあたりの命の吹き込みはありましたか?

「『常夏』は途中でひとつ修正したことがあって、あれは物語的には分断されたシーンが連続する作品なので、その各シーンをアイテム(小道具)によって繋ぐことでお客さんの目線が途切れないようにしたんです。そこは初日にできていたほうが当然いいので、今回の『LOVE02』では最初から意識していこうと。ただ、全体的な絵のバランスの中でお客さんの視線のフォーカスをズラしていく、ってことは確かに調整したけど、俺はそれだけじゃない気もしてて……。これはまだ分かりきってはないんですけど、それぞれのシーンが前後の影響を受け取る感覚がだんだん役者の中でも合っていったというか」

――断片的だった各シーンがシームレスに繋がることで、役者にも変化が起きた?

「単なるコラージュだと役者の演技が瞬間芸になっちゃうから、そうならないように物語を作る方法を考えたいんです。こないだある役者が、“三浦さんの絵とか指示が良くなってきてるから、自分たちの仕事が減って、この瞬間をどう面白くできるかという瞬発力だけが大事になってきた”とか言ってたんですね。でも俺はそれはイヤだから、別の方法で役者の内面にアプローチしていきたい。例えばある瞬間にあだち充の『H2』のシーンにパッて切り替わった時に、役者にとってそれを演じる動機はそこにはないわけですよね。どんなに探してもない。だったらこれはものすごい時間もかかるんですけど、『H2』の物語の軸を別に稽古で作ってしまって、ある瞬間にその『H2』の軸をロロの『常夏』の物語に代入しましょう、みたいなこと……。それなら役者は、稽古で作った別の物語から自分の内面を引っ張ってきて、ロロの舞台に立てるのかな、とか考えてます」

ロロ『常夏』(2011)より

ロロ『常夏』(2011)より

――やっぱり三浦さんは瞬間瞬間をどう生きたものにするかに執着を持っていると感じるんですけど、それは世代感覚もありますか? というのは、もっと上の年齢の作り手たちは、物語や舞台の構造に何かしらの興味があるように見えるんですけど、ロロは例えば“ボーイ・ミーツ・ガール”みたいなモチーフはあるとはいえ、全体の構造にはあんまり興味がないのかなって。

「あ、そう、ですね。もの凄く大きな、ぼんやりとしたフレームは存在するんですよ。『常夏』だったら“夢と現実の二項対立”とか。でもそのフレームに合わせて作っていくよりも、このシーンはこの構造でいきます!みたいな方向が多いかもしれないですね」

――それはもう繰り返し言われてきた“大きな物語の消滅”にも関係あるんですかね? ある時期以降の作り手は誰しもその問題に対峙してきたと思うけど、特に三浦さんはアニメもすごく観てるから、何話も同じ話がループしたりとか、あるいは“萌え”の要素に還元されたりするようなアニメ風の物語の紡ぎ方の影響もあるんでしょうか?

「うーん、それこそ東浩紀さんの本とか、伊藤剛さんの『テヅカ・イズ・デッド』とか読んで考えたりもしてきたんですけど、それ以上に俺がもっと根源的なこととして思うのは、純粋に映画とか観ててもほんと多いじゃないですか、“あっ、ここはアレに影響を受けてるんだな!”みたいに思う感覚。小説とか読んでても“この部分はアレに似てるなー”と思うのは楽しいし、そこからもっといろんな本を読んだり映画を観たりする動機に繋がっていったから……。そういう経験があるから。作品の中にいろんなものを散りばめたいのは、俺自身がそういうのが好きだったからだな、って思いますね」

――なるほど、何かに似てる、ってことがむしろポジティブな好奇心をそそるものであり、それが豊かな資産として作品に流れ込んでくるイメージなんですかね。

「そう、ですね。だからやっぱりそこで“元ネタが分かる/分からない”って問題に回収されていくのは不本意で、何かのシーンを観てその元ネタを知らないから分からないって感じた人は、きっと元ネタを知らないからじゃなくて、そもそもこの芝居がつまんなかったりしているはずで、それを“元ネタが分からなかったから”って安易に帰結されるのはいちばん悔しい。確かに俺の趣味性は色濃く出てるけど、“元ネタが分からないと理解できません”みたいなところからは外してるつもりなんで」

――実際ロロは、何かのパロディをしてみせて分かる人だけクスクス笑う、みたいには全然してなくてオープンに構えていると思います。元ネタ問題はF/Tアワードの講評でも審査員の内野儀さんに指摘されてましたけど、内野さん自身はともかく、「元ネタが分かる/分からない」みたいな意見が出がちなのは何かしらの世代的な断絶があるんでしょうか。ちなみにロロの客層はどうなんですか?

制作・坂本「わりとお客さんは歳上の方が多いですね。学生さんが最近少し増えてきてる感じで。あと女の子が少ないですね」

――え、意外……。それは単純にロロに出てる子たちが可愛いってことがあるのかな。ちなみに三浦さんはやっぱり可愛い子が好きなんですか?

「可愛い子は正義ですね(笑)。最近そう、2012年になってから俺の中で大きな変換があって、“生まれ変わったらまた男の子に生まれ変わりたい”から“女の子になりたい”に変更されました(笑)」

――さて『LOVE02』もいよいよ間近ですが、手応えはどうでしょう?

「稽古はここ2年くらいでいちばん調子がいいな、と思います。稽古場で今回気をつけてるのは、『LOVE』は単にちょっとポジティブでハッピーな話に終わっちゃいけなくて、異常にポジティブで異常にハッピーなものにならなきゃいけないってこと。そのための茶番をどんくらいやりきれるか。ワイワイがやがや盛り上がってふざけてふざけて出てきたものが、そのまま舞台にあがる必要があると俺は思ってて、そういう空気にしたいんだ!と役者には伝えて、できるかぎり稽古場が停滞しないようにしてます。停滞すること自体は別に悪いことじゃないと思ってるけど、今回はそういうふうに作りたくて」

――2年前の『LOVE』のアフタートークでは、批評家の佐々木敦が“メタ胸キュン演劇”って命名したそうですね(笑)。

「今回も“メタ胸キュン演劇”ではあるんですけど、ただ“ベタ”でもあるぞと。もはやメタじゃねえぞ、ベタだからな、ベタに立て!って稽古場ではそういう感じでやってます。『LOVE』はメタな話として書かれてるしそう作ってるけど、そのメタな部分は抜いて告白しろ、照れろ照れろ、ちゃんと!って(笑)」

――役者も腕の見せ所ですね。前回の『常夏』では、役者の力量と存在感がすごく増してきたなあと感じました。もともと日大芸術学部の仲間からスタートして、最近は客演で大きな舞台に立ったりもして、結果的に劇団としてのパワーも出てきた感じですね。今作も楽しみです。

「そうですね。ここ最近、ロロの役者の反射神経は圧倒的に早いなって稽古をやりながらも感じます」

――以前、稽古場を拝見した時に、三浦さんは“ザ・演出家!”って感じではなくて、むしろ集団創作的にわいわい作ってる印象があったんですけど、今もそうですか?

「最終的な決定権は俺が全部持ってるけど、とはいえ今もそうですね。稽古場では俺はもう少し権力者として、役者に対して厳しくストイックに接する必要があるのかもなと思ってた時期もあったけど、それはやっぱり違うなと思って。演出家が役者に“死ね!”って怒鳴るような関係性は他の稽古場にもいっぱいあるんだろうけど、逆に役者が演出家、つまり俺に“死ね!”って言える関係性はあんまりないと思うんで(笑)。それは作ろうと思っても作れないから、だったらその関係性をうまく使って作品にプラスに転じていきたいです」

――『常夏』はF/T公募プログラム参加作品として、海外の批評家の目にもたくさん触れました。とあるトークイベントで三浦さんは「ボーイ・ミーツ・ガールは万国共通だと分かった!」と仰ってたと思いますけど(笑)、今後、海外公演を打ちたいとか、もっと大きな規模の劇場でやりたいといった野望はありますか?

「あります。PARCO劇場とかシアターコクーンでもぜひやってみたいですし、海外のことも考えなくちゃと思って。100年後に残る作品を作りたいんですよ。ただそうなってくると100年後にも残るであろうコンテクストが必要で、引用するサブカルチャーはもう少し今より考えなくちゃいけなくなってくる。たとえば100年後の人たちは野球は知ってるだろうか、というくらいのレベルですね。海外の人に作品を見せることは、そういう100年後のお客さんに向けて作ることにも似てるのかなと思います。例えば『常夏』は『H2』というマンガの存在は知らなくてもいいけど、甲子園や高校野球の存在をまったく理解できないとなるとさすがに厳しくなってくるから。日本のサブカルチャーをよく知らない海外に作品を持っていった時に、分かんないけどなんとなく楽しい、っていう程度の感想になるのではなくて、もっともっと届くものにしたいですね」

三浦直之

Text●藤原ちから Photo●源賀津己

PROFILE

みうら・なおゆき 1987年生まれ、宮城県仙台市出身。ロロ主宰。劇作家、演出家。2009年、王子小劇場『筆に覚えあり戯曲募集』で史上初入選を果たし、日本大学芸術学部在学中にロロを旗揚げ。様々なジャンルにわたるサブカルチャーへのリスペクトを元に、ハイブリッドで洗練された演出で、ポップで爽やかなボーイ・ミーツ・ガールの物語を描き出す。
ロロHP

INFORMATION

ロロ『LOVE02』
2月5日(日)〜13日(月)
こまばアゴラ劇場(東京)

ロロHP



2012.01.31更新

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