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──この1月には40歳を迎えられましたね。「四十にして惑わず」は実感できますか。

「いやいや、もう惑いっぱなしで(笑)。でも、目標を立てるのは趣味みたいなもので好きなんですよ。ちょうど自分が40歳になる年に新しい歌舞伎座が出来ることは何年も前から分かっていたので、あえて自分を不安がらせるようにしていました」

──それは今の自分に安心しない、ということですか?

「不安に打ち克つことを自分に課す、という感じですかね。例えば、明日になったら父や叔父のような役者になれるかといったら、実際にはなれないわけですよ。常に“明日がない”という意識で自分を追い込むという感覚です。僕は初舞台が6歳で、それ以来舞台に立ち続けているわけです。一般的に言うところの卒業、就職、昇進といった目に見える区切りがないので、自分で区切っていかないといけないと思っているんです。20代の頃に考えていた30代の目標を達成できたかどうかは、自分では判断できないことかもしれないですけれど。とにかく次には行かなければいけない、と思い続けています」

──その30代で、長い間埋もれていた作品を復活させたり、江戸川乱歩作品を歌舞伎にしたりと、ご自分なりの新しい挑戦ができたという手応えはあったのではないですか。

「ありがたいことに、そういう経験は積ませてもらってますね。考え始めてから実現するまで、だいたい5年以上はかかってますけれど。はじめは本当にただ自分の中で思っていただけで、30代後半くらいになって周りにも話すようにしてみたんです。言うのはタダなので(笑)。言ってはみたものの、ダメってなる前に黙って流された、ということも何度かありました。“あ、聞いてくれただけなんだ。これが傷つけない断り方か”って(笑)。ただそれは、自分自身が説得力のある役者になっていないと実現できないということなんですよね。今、やっているものの結果を積み重ねていった先に、それまで温めていた企画も徐々に実現していったという感じです」

──映像や、劇団☆新感線公演など歌舞伎以外で活躍される機会も多いですが。

「僕はめんどくさい人間なので(笑)、理屈を考えるんですよ。ほかの仕事をやらせていただくとき、それを歌舞伎の宣伝活動にはしたくないんです。例えばテレビに出ることによって、歌舞伎も観に来ていただくようになってほしいとか、そういうことは毛頭思ってないですね。もちろん、結果として観に来ていただけるのはうれしいですけれど、目的ではない。それって、ほかの職場を荒らしているだけという気がするんです。ドラマや映画、ほかの舞台の世界で生きている役者さんたちに失礼だと思う。だからこそ、その世界でどれだけ認められるのかを肝に銘じてやらないといけない。テレビで面白いものをつくれば、劇場に行かなくてもいいんじゃない?という思いで取り組んでます。歌舞伎に出る時は逆に、生の舞台だからこそ得られるエネルギーを感じてほしい、と強く思ってやっていますね」

──不惑を迎えられた今は、歌舞伎の中でどうあるべきか、が最大の課題ですか。

「今は本当にその通りです。どうやったらいい芝居ができるんだろう? どうしたら上手になれるんだろう? ということばかり考え続けています。まずは家の芸をきっちり受け継いでいかなければいけない立場ですけれど、実際にはまだまだ出来ていない自分がいる。歌舞伎を盛り上げていくためにどうすればいいのか、危機感をひしひしと感じています」

──その危機感は歌舞伎そのものに対して、ということもありますか。

「そうですね。それはどなたも常に思っているんじゃないでしょうか。何百年とかけて素晴らしい芸術となった歌舞伎をどう継承し、それ以上のものにしていけるのかを本当に考えて行動していかないといけない。今、そうなっていかないといけないと思うんです」

──4月にはいよいよ歌舞伎座が開場します。染五郎さんは4月の柿葺落公演では第一部の『壽祝歌舞伎華彩(ことぶきいわうかぶきのいろどり)』で春の君、第三部の『勧進帳』で亀井六郎を。続く5月は明治座で『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』の与三郎、『将軍江戸を去る』の徳川慶喜と大車輪です。このところ歌舞伎界では悲しい出来事が続いてしまいましたが、こうして染五郎さん世代の俳優さんたちが歌舞伎の次代を担っていかれるのですよね。

「歌舞伎座も開場の年ということで、おそらく歌舞伎の名作狂言が並ぶことになると思います。そんな中で、父たちの世代が当たり役としてきた役を、次の世代では誰が受け継いでいくのか。言ってみればそれは、サバイバルレースなんですよ。戦いの時代だという気がするんです。だからこそ、目の前に与えられた役のひとつひとつを大事にすることが何よりも肝要なことだなと。歌舞伎座、明治座公演ももちろんのこと、特に3月の新橋演舞場は先程もお話したように自分の家が代々継いで当たり役にしてきた役を勤めるので、“誰よりも自分が”という思いが強いですね」

──サバイバルレースを生き抜くために必要なものとは何ですか。

「プライド、でしょうか。曾祖父に七代目松本幸四郎がいて、初代中村吉右衛門がいる。そうした祖先たちがやってきたものを自分が絶対に受け継ぐんだ、というプライドです。そのプライドを胸に抱えていれば、どんなに苦しくても乗り越えていくことができるんじゃないかと。たまたま僕はこういう家に生まれましたが、6歳の初舞台のとき、自分から“芝居をやりたい”と言ったんですよ。選んでこの世界に入ったわけです。自分でもよく言ったなぁと思いますし、それが今の自分の支えにもなっているんですよね。“こういう家に生まれたから今さらやめられない”ということではなく。あまりにも出来ない自分がふがいなくて“もうやめたい”と思った時期もありましたけど、それも結局は歌舞伎が好きだからこそ出る悩みなんだと気づいて」

──では改めて、今後の展望を聞かせていただけますか。

「40歳になり、人間の平均寿命でいえば人生を折り返したので、“何かないかな”と探すのはもうやめました。今までやりたいと思っていてまだ出来ていないことを確実に形にしていければ、と思っています。またこれまでやったことであっても、やり残した思いがあるものがたくさんあるので、それを思い返しながら形にしていきたい。まとめると1冊くらいの本になりますよ(笑)。前のめりにではなく、そうして一歩一歩実現させていきたいです。歌舞伎を盛り上げていくためにも」

Text●市川安紀  Photo●星野洋介

PROFILE

いちかわ・そめごろう 
1973年生まれ。九代目松本幸四郎の長男。屋号は高麗屋。1979年3月、三代目松本金太郎を襲名し初舞台。1981年10月、七代目市川染五郎を襲名する。『女殺油地獄』の与兵衛、『勧進帳』の富樫左衛門、『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助などを勤めるほか、『碁盤忠信』『決闘!高田馬場』『江戸宵闇妖鉤爪』『染模様恩愛御書』『大當り伏見の富くじ』『椿説弓張月』など、古典作品の復活・新作の創作にも意欲的に取り組む。劇団☆新感線公演など歌舞伎以外の舞台、ドラマ、映画の出演も多数。日本舞踊松本流の家元・松本錦升でもあり、舞踊家としても意欲的な活動を続ける。2009年には長男が四代目松本金太郎として初舞台を踏んだ。


TICKET

市川染五郎の出演情報

「三月花形歌舞伎」
3月2日(土) 〜 3月26日(火) 東京・新橋演舞場

「杮葺落四月大歌舞伎」
4月2日(火) 〜 4月28日(日) 東京・歌舞伎座

「五月花形歌舞伎」
5月3日(金) 〜 5月27日(月) 東京・明治座

公演・チケット情報





2013.02.19更新

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