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相馬千秋

東京のプレゼンスに対する危機感

──相馬さんが選ばれる作品の共通点に、内部に批評性を持っていることがあると思います。当然、F/T全体にも演劇に対する批評性や、日本、世界、時代に対する批評性が発生しますが、いよいよF/Tそのものに対する批評性もつくろうということですね?

「一番悲しいのは、何をやっても反応がない、関心をもってもらえない状態だと思います。幸いにもF/T は、肯定も否定も含めていろいろな意見や反応をいただいています。これは、日本における演劇や表現に対する批評が、より活性化するいい動きなんじゃないかと思います。やっぱり、毒にもなりたいし薬にもなりたいんですよね。
“なぜ演劇なのか?”“演劇に何ができるのか?”と考えた時に、その場、その時の強度とか、ライブならではのカタルシスを得られるというようなこと以外に、これだけ変化が激しい現代社会の中で、これからも生き延びていく価値は本当のところどこにあるのか、常に問いかけていった方がいいんじゃないかと私は思っています。
 今、アジア情勢が非常に悪化しています。過去何十年かに渡って様々なレベルで文化交流がなされてきたにも関わらず、ここ1・2か月で、中国の書店で日本の本を置けないような状況になってきている。そういう社会の危険な流れに対して“NO”と言い続けるためには、やはり表現に携わる私たちが常に時代と向き合っていく必要があるのではないでしょうか。震災もそうでしたが、いざ自分たちの生存を脅かすような危機が訪れた時に、アートの名の下にただ斜に構えていたり、ちょっとお洒落でポップを気取った態度だけでは、現実に対抗していけないんじゃないかと。完全に異なる他者との対話をするとか、価値観は違うけど何かを共有していくということが、もしかしたら演劇を通して少しだけでも可能になっていく、鍛えられていく面があるんじゃないかと考えています。
 そして特に震災後、日本の社会全体が非常によくない方向に動いていることを肌身で感じています。ちょっと気を抜くと全体主義に陥りかねないような、個人の自由な表現や発言が抑圧されるような、とても重苦しい、目には見えない空気感です。だからこそ、個人と自由に立脚したアートはせめて、毒にも薬にもなる強烈なものを持って対抗していかなければ、という気持ちが、とても強くありますね」

──2009年に相馬さんにインタビューをさせていただいて印象的だったのが、海外アーティストに参加要請の話をすると、F/Tの名前は知らなくても「東京でおこなわれる演劇のフェスティバルだ」と言うとみんな興味を示してくれて断られたことがない、というお話でした。つまり世界から見た東京に、感度の高い人が反応する魅力があった。ところが今、東京という地名の後ろには、原発事故や放射能汚染、大地震といったネガティブなものが透けて見えるようになってしまいました。諸外国の反応の違い、そこから浮かび上がる東京を、相馬さんはどう感じていらっしゃいますか?

「今のお話を聞いてハッとしたんですけど、3年前とは明らかに違う現実に私達は生きていますね。やはりひとつは放射能汚染です。3.11以降、どれだけの海外カンパニーが日本での公演を取りやめたか。幸いF/Tでは作品そのもののキャンセルはありませんでしたが、出演者の一部が来日を見送ったということはありました。
 そしてもうひとつは、アジアの中での東京のプレゼンスが相対化されつつある、いや、低下しつつある、ということです。今、韓国は国を挙げての文化政策を強力に推進していますし、ソウルも市を挙げて文化に力を入れていますから、相当のお金や人、発表の機会が集中して明らかなインパクトを持ちつつある。中国も、都市によってバラつきがあるにせよ、例えば上海では驚くべき規模のフェスティバルが国家主導で開催されたりしている。またシンガポールや香港ではもう何十年にもわたり、F/Tよりもずっと多い予算のフェスティバルが継続して開催されている蓄積があります。そうしたアジアの文化地図の中で、東京のプレゼンスがこのままだと堕ちる一方ではないかという危機感は拭えません。
 ただ、マイナスの要素ばかりではない。例えば、日本はアジアの中で最も高齢化社会の進むのが速い国であり、すでに経済成長期ではなくて社会的成熟期を迎えているので、住みやすさとか安全性、そして芸術やスポーツといったものに価値を見出して、新しい文化・福祉国家の道を示していける可能性もあると思います。そういうポテンシャルはまだまだあるけれども、まだ上手くそれを形には出来ていない。
 ではそんな時に東京の演劇、あるい日本の演劇が、世界の中でどういうプレゼンスを持ち続けられるかは、自分自身にも厳しく問うていくしかない。もともと演劇はマージナル(境界に位置する)なものではあると思うんですけど、このままではよりマージナル度というか、一部の人たちだけが楽しむサークル化が進行してしまうのでは、という危機感は持っていますね」

──今年のF/Tのテーマの「ことばの彼方へ」ですが、そう言われると、むしろ「ことば」が気になりだします。去年、一昨年とドキュメンタリー演劇を重点的に紹介、制作されていましたので、それと言葉の関係をどういうふうに捉えて、今回このテーマになったのでしょう?

「“ことばの彼方へ”と言った時に、ある種の誤解を生む危険性もあることは自覚しています。つまり、言葉を問題にしているのか、それとも言葉を通り過ぎて別の“彼方へ”を求めているのか、という両義性です。実は私としては、その両方を伝えたい。つまり今ここで発せられた言葉を問題にし、またそれを経由することによって、新たな演劇の地平を探りたい、ということです。今回の最も重要なテーマ──私達から提案する星座──は、言葉そのものと思っていただいていいと思います。
 ではなぜ言葉かというと、昨年の東日本大震災が私の中で大きい経験になりました。震災直後に舞台を観に行って、それは日本のものだけじゃなくて世界で一流と言われるものを観に行ってすら、あれだけの現実を見せつけられたあとでは、全部がフェイクに感じられてしまったんです。どうやってリアリティを掴んでいけるのかが、全くわからなくなってしまった。。一度、自分の中での演劇が“更地”になったというか。そんな中で、ラジオから聞こえてくる詩の朗読とか、日常の言葉とは違う、詩的な言葉や超越的な言葉が、妙に自分の中で救いにもなったんです。また、エルフリーデ・イェリネクの言葉との出合いもとても大きなものでした。
 それで去年のF/Tで『何もない空間からの朗読会』というのをやりまして。これまでF/Tに出ていただいた演出家に依頼して、彼ら自身にテキストを選んでもらい、彼ら自身に朗読の方法と場所を決めてもらったんですが、その時の経験が決定的でした。言葉ってこんなにシンプルで、だけどこんなにも人の心を掴むのかと。それによって場が共有できたり、その場で生まれるものがあるという感覚があったんです。そこから今回、さまざまな言葉に対するアプローチを、作家自身の切り口で観せてもらいたいと考えました」

──言葉を中心に据えた時に、F/Tのような国際性の高いフェスティバルでは、言語、翻訳の問題が付いて回ると思うんですが、その点に関しては?

「それは常に不利ですよね。でも私はそれでいいと思っています。つまり演劇って、どうしたってローカルなものですから、世界の共通言語にならない。それが良さというか、演劇ならではの力に、むしろなっているんじゃないかと。音楽とか“国境を超える!”と言えて羨ましい面はありますけど、演劇は(国境を)超えない」

──超えませんか(笑)。

「だってどんな優れた翻訳だった限界があるじゃないですか(笑)。それにローカルな文脈もありますし。例えば日本の小劇場の演劇も、言葉使いからサブカルの引用まですべて翻訳可能かといったら不可能だと思います。それに言語だけでなく身体性だって特殊ですから。でも、だからこそおもしろがられる。紹介される先々の国で、わかってもらえる部分もあるでしょうけど、永遠にミステリーのまま終わる部分もあって、でもきっとそれでいいんですよ。
 イェリネクの作品には字幕を付けますが、翻訳不可能な言葉も多々あって、林立騎さんという優秀な翻訳者が一言一句、語順に至るまでかなり忠実に訳してくださっているんですけど、日本語としては非常に不自然というか、かなり違和感のあるものになるんですね。でもそれが日本語とドイツ語の違いであって、私はその違和感をフラットにするのではなく、違和感を違和感のまま伝えるべきだと思っているんですよ。ですから、何かしっくりいかないというこも含めて、楽しんでいただけたらいいかなと思っています」

相馬千秋

Text●徳永京子 Photo●源賀津己

PROFILE

そうま・ちあき 1975年生まれ、F/Tプログラム・ディレクター。早稲田大学第一文学部卒業後、フランス・リヨン大学院で文化政策およびアーツマネジメントを専攻。2002年よりNPO法人アートネットワーク・ジャパン所属。2009年にスタートした、フェスティバル/トーキョー(F/T)にて、全企画のディレクションを行っている。
フェスティバル/トーキョー HP


TICKET

フェスティバル/トーキョー12
 10月27日(土)〜11月25日(日)
 東京芸術劇場、あうるすぽっと/他

公演・チケット情報





2012.10.23更新

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