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相馬千秋

演劇、ダンスなど、ステージ・パフォーマンスの国内外の最先端を、丸々1か月に渡って上演するフェスティバル/トーキョー(以下、F/T)。「おもしろい」「わかりやすい」「短時間」を求める空気が濃くなりつつある今、考えること、あるいは深く感じることが体験の芯にある作品を、あえて次々と提示する。そのすべての作品選定に関わるプログラム・ディレクター相馬千秋さんに、現在の日本で演劇が置かれる立場、この先に目指すものを訊いた。

毒にも薬にもなるものを、あえてぶつける

──ネームバリューとブランドが急速に上がりつつあるF/Tですが、改めて、相馬さんの口から、どんなイベントなのかをご説明いただけますか?

「F/Tは、今回で5回目を迎える舞台芸術のフェスティバルです。毎年秋に、池袋・巣鴨エリアを中心に開催されています。東京都や豊島区といった行政機関と、私も職員として所属しているNPO法人アートネットワーク・ジャパンが共同で主催している、日本では最大規模のフェスティバルです。
 F/Tとは何か。いろいろな定義や形容があり得ると思いますが、私の考えをを言いますと、まずひとつには、日本の同時代の表現と、世界の同時代の表現が出合う場だということですね。常に日本と世界の間で、双方向の対話が持たれたり、共有、さらには拮抗がなされる場だと考えています。そして、国や地域を超えて、アーティストやスタッフ、観客間の交流がなされ、世界の新しい潮流が生まれ、紹介される場だと考えています。
 また3年前から、公募プログラムというのを始めまして、若手の登竜門的な意味も加わってきました。去年からはその門戸をアジアにも開いたので、日本だけではなく、アジア各地の若い作り手が目指してくれる、そういうフェスティバルにもなりつつあるのではないかと思います」

──F/Tには、海外の演劇フェスティバルや劇場のプロデューサーが多く来場しますから、世界を射程範囲に見据えるアーティストやカンパニーにとっては、公募プログラムに選ばれることはとても意味がありますね。

「そういう役割も強化できるようにしたいです」

──それと、他の日本国内のフェイティバルとF/Tが大きく違う点のひとつに、毎回テーマを打ち出していて、非常にコンセプチュアルだということがあります。

「大きなテーマを先に決めて、それに合わせて作品を選んでいるわけではないんです。特にF/T立ち上げ当初は、同時代のもの、最先端のもの、新しい価値を生み出すようなもの、という基準で選んでいった演目、その総体から浮かんでくる輪郭を表す言葉、キーになる言葉を抽出していたんですね。それで第1回は〈新しいリアル〉、次は〈リアルは進化する〉というキャッチフレーズにしたんですけど。その考え方は今も同じで、最初に強いコンセプトを打ち出して、それで全て(の演目)を串刺していくという方法は取っていないんです。何となく“こういう方向性で行こうとか”“今の時代を捉えるにはこれかもしれない”といったキーワードを挙げておいて、実際にいくつか作品が集まってくると、だんだん輪郭がはっきりしてきて、最終的にあるひとつの言葉に集約されていく、という感じなんですね。
 他の国内のフェスティバルではほとんど、ラインアップをひとつの言葉に収れんしませんよね。それはそれで、多様性をキープするといった意味があると思いますが、F/Tがあえてコンセプトを言語化しテーマを設定するのは、演劇というメディアが社会の中でどういう意味を持つのか、どういう役割を担い得るのかという強い問題提起をしたいという意思に基づいています。
 美術展はタイトルが付いていることが一般的ですが、明確なコンセプトを出した方がキュレーションの意図がはっきりして、展示作品の見え方が伝わりやすいということがあると思います。F/Tも同様に、上演される個々の作品に多様性はあるんだけれども“今回はこのテーマをひとつの大きな切り口にしますからそれをひとつの視点としてお客さんにも考えてほしいんです”と伝えているわけです。
 ただ、それはあくまでもひとつの見方に過ぎません。よく使う例えですが、フェスティバルというのは、いろんな作品という星が散らばっている銀河系みたいなもので、我々としてはこういう星座の引き方が出来ますよと、それを最初に伝えているだけです。それ以外のいろんなラインの引き方があると思うんですね。こちらとしては、それぞれのお客さんが、その人自身の星座を形づくってくれることが理想です」

──とはいえF/Tの毎回のテーマは、強い角度を持った、ちょっと無責任な表現をするなら、スキャンダラスに扱われがちな言葉を持って来られていると思います。波紋を呼ぶことを多少意識されてはいませんか?

「私としては、センセーショナルにしているつもりは全くないんですが(笑)。私は、演劇やアートというものは、その時代や社会に応答する行為であり意思であると思っています。ですから去年、東日本大震災が起きて、それが私たちの日常や世界観に大きなインパクトをもたらせば、やはり当初の計画を変更してでもそれに直接的に応答しようというのは自然の流れでした。
 それから、もしもF/Tのテーマを“スキャンダラス”と感じる方がいらっしゃるとしたら、私が基本的に“アートで毒にも薬にもならないことをやっても仕方ない”という考えを持っているからかも知れませんね。世の中には演劇はおろかいろんなアートや表現があり、それらもまた、社会の様々な営み全体に比べれば決して大きな位置を占めているわけではない。そんな現実の中で強い主張をしていくには、“毒にも薬にもなるような”、まさに作用も反作用も強い表現や、その打ち出し方をした方がいいのではと思っているんです。そのことによって、これまで予定調和だったところに亀裂が生まれ、いろんな議論が起こるし、さらにはフェスティバルが活性化し、演劇自体も活性化する。ひいては演劇というメディアの価値というか、存在意義も問い直されることになると思うんです。時には批判を浴びることもありますけれど、私は勇気を持って“毒にも薬にもなること”をやり続けたいです。そのほうが楽しいですから(笑)」

討論の場を、F/Tの外側にズラしたい

──広い場所に投げかける、演劇と社会の関係を深く切り結ぶという姿勢は、毎回のコンセプトだけでなく、F/Tの作品そのものにも感じますが、なかなか世の中には流通していかない考え方ですよね。多くの人が「それどころじゃない」と生活に追われたり、はっきり薬になるとわかるものにしか興味を示さない。そのジレンマは常に抱えていらっしゃると思いますが。

「どんなことにも言えると思うんですが、万人に等しく享受してもらえるものって、多分ないですよね。スポーツだと多少可能性はあるかもしれませんが、アートは、マジョリティ、最大公約数を目指すものではそもそもない。アートはおそらくある個人固有の、独自の思想や発想から生まれてくるものでしかなくて、それが時代にフィットすれば、同時代性を持ち得るけれど、だからといって万人に受け入れられる訳ではない。しかも必ずしも社会の役に立つとか、わかりやすく整理整頓して伝えられるものではない。むしろ、他のジャンルでは求められることを敢えてスキップ出来たり、ジャンプ出来たりという自由があるものだと思うんですね。よく誤解されるんですが、私は“今社会で問題になっていること”を描くことを作品や作り手に要請しているつもりは全くありません。そうではなくて、今の時代や社会に向き合っていく行為の結果として、作り手がが今、何を捉え、何を感じているのか、その視点が作品に反映されていることが重要だとと思っています。だから問題は、何を描くかではなくて、どう描くかで、そこにつくり手の問いかけとか問題提起とか、社会と自分との関係とか見方とか、そういうものが反映されていくことがおもしろい。
 そういう私なりの演劇観や芸術観というものと、世間一般の演劇の需要の仕方に違いがあることも、よくわかっています。商業演劇などのエンタテインメントは、お客さんをこれだけ入れよう、これだけの収益を出そうという方程式を前提に作られている。そうしたロジックの中で磨かれる一級のエンタテインメントはスペクタクルとして楽しいし、幅広い層に受け入れられる可能性が高い。しかし、そうしたものがこれだけ豊富に成立している今日の日本の演劇シーンで、F/Tはそれらとまた違う視点やモチベーションで別のアプローチをしていけるような場でありたい。もっと異質なこと、違和感を生み出すようなことも含め、考えたり共有したりするプラットフォームとして、作品やフェスティバルを機能させていきたいんです。ですから質問にお答えするならば、ジレンマは日々感じるけれど、だからこそひとつのオータナティブな存在としてやり続けるべきだ、というのが私の当面の姿勢です」

相馬千秋

──F/Tの浸透の理由に、作品上演だけに終わらない周辺イベントがありますよね。関連書籍やグッズを販売したり、交流の場になる『F/Tステーション』、過去の名作の映像を観て、それに関するレクチャーを聴く『テアトロテーク』、そして今年は、世界的に流行しているフラッシュ・モブから生まれた『F/Tモブ』など。観劇体験の門を広く開けつつ、深さも掘り下げていくイベントのアイデアは、どんなふうに生まれて形になっているんでしょうか?

「これまで4回F/Tをやって、ただ作品だけ紹介してもダメで、文脈ごと伝えないといけないということが自分の中ではっきりしました。特に海外の作品は、全部は理解できないことが前提だと思うんです。例えば、たとえばハンガリーの歴史や社会状況を把握している人は日本には滅多にいないし、逆に、他人の現実を簡単に“わかりました”と言えるなんておこがましい話です。たとえ作品を観て感じ入るものがあっても、いろいろクエスチョンが残るじゃないですか。そういう時に手がかりを集めて一緒に考える機会があれば、多くの人と体験や感動を共有できますし、その後の議論も深まるのではないかと思います。
 今回から『TOKYO/SCENE』というフリーペーパーをつくったんですけれども、それも、従来のようにチラシで通り一遍の情報をバラまくのを一度やめてみようというところからスタートしました。作品ごとの情報ではなく、フェスティバル全体の文脈を伝えることで、チラシとは違う効果が得られるのではないかと。
 また、今挙げて頂いたような関連プログラム、回を重ねるごとに充実させてきたんですが、今年は特に『F/Tダイアローグ』という企画を立ち上げました。これはF/T自身がF/Tを語るのではなく、F/Tの外側にいるジャーナリストや批評家の人たちにお任せして、彼らのイニシアティブでF/Tを語り、お客さんにもそれを共有してもらうと。外部に言論の中心を移していくことが目的です。
 一例ですが、ジャーナリストの岩城京子さんが『ブログ・キャンプin F/T』というのを始めてくださって、公募で集まった13人の書き手がF/Tについてブログで書いてくださる。しかも一人ひとりが“F/Tを私はこう見る”というテーマを設定してくださったんですね。それはまさにさっき申し上げた“自分はF/Tをこういう星座だと捉えた”というひとつの形なのかなと思って。5回目にしてようやく外側にそういう動きが波及しつつあります。そういえば最近ツイッターを見てたら“イェリネク研究会やりまーす”というツイートがあったんですよ。イェリネクは今回のF/Tで大きくとり上げる世界的劇作家なのですが、そんなふうに興味を持ってくださった人が自主的にいろいろ企画してくださるのは、うれしいですね。そういう動きがより拡大してくれれば。
 それと『F/Tモブ』。これは、その場に居合わせた誰もが楽しく参加できるものとして考案しました。専用サイトに予習動画がアップされているので、ぜひ振付を覚えていらしてください。毎週末に池袋西口でやっています。もちろん私も踊ります!」

Text●徳永京子 Photo●源賀津己

PROFILE

そうま・ちあき 1975年生まれ、F/Tプログラム・ディレクター。早稲田大学第一文学部卒業後、フランス・リヨン大学院で文化政策およびアーツマネジメントを専攻。2002年よりNPO法人アートネットワーク・ジャパン所属。2009年にスタートした、フェスティバル/トーキョー(F/T)にて、全企画のディレクションを行っている。
フェスティバル/トーキョー HP


TICKET

フェスティバル/トーキョー12
 10月27日(土)〜11月25日(日)
 東京芸術劇場、あうるすぽっと/他

公演・チケット情報





2012.10.23更新

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