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過去のインタビュー
韓国で社会現象にもなっている映画『グエムル/漢江(ハンガン)の怪物』の監督、ポン・ジュノと『MONSTER』『20世紀少年』の漫画家、浦沢直樹。世界から注目を浴びる、ふたりのクリエーターの対談がぴあ独占で実現。偶然にも”怪物”というタイトルを発表している彼らが、自分達の意外な共通点について語り合った――
(取材 : 轟夕起夫 撮影 : 鷹野政起)


(続き)

――監督は、高校時代に実際に怪物を見たっていう体験が、今作の基になってるって聞いたんですけれども

ジュノ : 韓国でも今の話がいろんな記事で出たんですね。監督が孤高時代に不良でシンナーかなんか吸ってて、そのせいで幻を見たんじゃないかとか(笑)。確かに幻だったのかもしれないのですが、実際に目にしたんです。家から漢江が見えまして、橋の部分を謎の物体が這って上がっていて水に落ちたんですね。それが最初のイメージにはなりました。

浦沢 : あのイメージいいですよね。

ジュノ : でも見たっていうことはいじめられそうで言えませんでした(笑)。でも、いつか映画の仕事に就いたらこの話を撮ろうと思ってて、ようやく実現したんです。もし、それがみんなにウソだと思われてしまったら、ウソがウソを呼んでどんどん悪いほうに行ってしまったら、『20世紀少年』のフクベエみたいにウソツキって呼ばれてたかもしれない(笑)。フクベエが大阪万博に行ってないのに行ったというシーンがありますよね。おそらく言わなくちゃいけないというか、強迫観念に駆られていたんじゃないかと思うんですが、それがすごく印象的で。とにかくひとつのウソを完成させようという、そういう意思が強く感じられました。

浦沢 : ボクはあれなんですよ。作品の中に首吊り坂の屋敷の話が出てきますよね。あれと同じ体験をしてます。おばけをみたんですよ。古いお堂でおばけを見て、みんなに言っても信じてもらえないなと思ってたことを、こういうかたちで作品に取り込みました。今では毎年肝試し番組で使われてますよ、その現場が。でもたぶん言い出しっぺは僕なんですよ(笑)。18〜19歳くらいのときかな。

ジュノ : 私が怪物を見たのと同じくらいですね。ちょうどそのころっていうのは変なものを見てしまう年齢なんですかね(笑)

浦沢 : こどものときに大人に「ひねくれ者」みたいに言われませんでした?

ジュノ : 私はあくまでも模範生だったんで(笑)、そういうことはなかったですね。表向きは友達とも上手くやってたんですが、裏ではおかしなことをひとりでやってたりとか。

浦沢 : ぼくもそうでした。裏では悪巧みしてて。

ジュノ : 漫画を描いたりとか、びんの中でゴキブリを飼ったりとかしてました(笑)。あと、嫌いな先生がいて、どうしたら完全犯罪で殺せるか考えて、物語にしていて。でも、書いてるうちに結局最後はばれてしまうっていうストーリーになってしまったりとか(笑)。実際はその先生には好かれてたんですけどね。一番初めに漫画を描かれたのはいつなんですか?

浦沢 : 小学校に上がる前に手塚治虫先生のサインをまねして描いたりしてて。それで、2年生くらいにはノートにストーリー漫画を描いてましたね。

ジュノ : 私も小学校のときに『ドラえもん』をまねしてマンガを描いてました。そのころから漫画家になりたいと思ってたんですか?

浦沢 : そのころにはやっぱりクラスで一番うまかったりするので、みんなから「浦沢は漫画家になるんだろう」と思われてて。「じゃあ、なります」って言ってたんですけど。こないだ、中学の文集が出てきて、10年後の自分に当てた手紙なんですけど「漫画家なんかになってたら大変です。忙しくて死にそうです」って書いてあって(笑)。15歳にして、自分がボロボロになるまで仕事をしてしまうっていうのが分かってたんでしょうね。大変な思いはしたくないっていうか。

ジュノ : 預言者的な気質ですね(笑)。まるで『20世紀少年』に出てくる“よげんの書”。

見たい作品を他の人が
作らないから、自分で作る

――監督はいくつくらいで映画監督になろうと決めたんですか。

ジュノ : 私の場合は中学3年のときに、一生映画の仕事がしたいと思って資料を集めてみたりしていて。アニメをやったりとか撮影監督をやったりとかそういう気持ちもありましたが、大枠で映画の仕事をしたいという点では中学以降今まで変わらないですね。最終的には映画監督にはなれたんですが、漫画家になりたいっていう気持ちはずっとあって。でも絵がヘタなのであきらめたんですけど。でもいまだに絵コンテを描くときには自分で書くようにしてます。漫画家になれなかった未練をそういうところで解消している感じですね。今日は浦沢先生に『殺人の追憶』の絵コンテを持ってきました。

浦沢 : へえ。これなら日本でマンガ描けますよ。命縮まりますけどね。

ジュノ : 韓国で映画をやっても同じです(笑)

浦沢 : やっぱり本気で何かに取り組んだら寿命縮まりますよね。

ジュノ : 『殺人の追憶』の試写を日本でやったときに松岡錠司監督(映画版『東京タワー』の監督)が来て下さって、かなり苦労して撮っただろうと言ってくださったんですね。次の作品は休みながら小粒な作品をやれとアドバイスしてくれたんですよ。「映画監督って言うのは能力が石炭の埋蔵量みたいなもので、限界があるから小出しにしてやったほうがいい」と。その忠告を聞かず、2倍以上のスケールの作品に入ってしまったので、いま、かなり疲労がたまってます。「MONSTER」もすごく大作なんですが、こういう作品を作った後は、体力を使い果たしたっていう気持ちになりますか? どうやって克服しますか?

浦沢 : うーん。ぼくもイチ漫画ファンとして、こんな漫画家がいたらいいなっていう理想の漫画家を自分でやってるのかもしれないんですよ。演じてるのかもしれない。だから自分も観客であるという姿勢は監督にもあるんじゃないかと。一番厳しい観客としてね。

ジュノ : 私の場合には自分の欠点を良く知ってるので、以前の作品を見直してももう一回撮り直したいってどうしても思っちゃうっていう気持ちが、強迫観念みたいにずっとあるんですね。で、私も映画好きなもので、自分が見たいものを撮っているんです。見たいものはあるんですけど、他の人が撮ってないから、自分で撮って自分で見ようという気持ちがありますね。

何か善で、何が悪なのか
考えていかなければならない

――『グエムル』で浦沢さんが感動したところは?

浦沢 : ヒューマニズムっていうと安っぽくなってしまうんですが。食べたり、寝たりするヒューマニズム。そこが根底だから「生きる」が起きてくるっていうのが気持ちよく表現されてる。一番大事なことは何なのかっていうことを強く問かけてくる作品ですね。

ジュノ : 『MONSTER』や『20世紀少年』を拝見しますと、“善”と“悪”の対決がありますよね。浦沢先生の作品の中で見る“善”と“悪”って言うのは、本当に手をのばしたら届きそうなくらい生き生きとリアリティを持って登場するんですね。どうしても“善”が“悪”と戦わなくてはいけなくて、それはつらくて大変な戦いなんだっていうことを感動的に見せていただいてます。

浦沢 : でも、“善”と“悪”ってそのときの社会の枠組みで何が“善”で何が“悪”かわからなくなるときがある。『20世紀少年』で“正義の味方”ていうのが出ましたけど、その“正義”ってなんなのか。そのときの社会情勢で変わってきちゃうので、僕らは同じように普遍的な“正義”について考えてる人間たちなのかなと思ったんですけど。

ジュノ : 今の話を含めて、浦沢先生にしか持ち得ないディテールとかテクニックで作品を描かれているんだなと思いました。映画を演出されたら凄くおもしろいと思います。

浦沢 : いやーでも、漫画の連載って最初からずっと単行本が出て行っちゃうでしょ。後戻りできないんですよ。だから終わりに向かうしかないんですけど、映画って完パケで提出するでしょ。僕は完成させられないかもしれない。もう出ちゃってるから、諦めで終らすんですけど(笑)

ジュノ : 完璧主義者なんですね。

浦沢 : でも監督も完璧主義者でしょ?

ジュノ : 確かにそうなんですけど、周りからの意見でここで終らせなきゃいけないっていうのがあるんで、それ以上やりたくても、そこで完成する感じですね。

浦沢 : でも、リズムがいいからそれをつかめたらオッケーていうのもあるかもしれないですよ。僕はけっこうそうなんですよ。なんかの瞬間に場面が変わる、そんときにニヤって笑えればそれでいいんですよね。

ジュノ : 私も感じます。でも微妙で音楽や詩に近くてなかなか感じられないんですけどね。できれば先生とあと7時間くらいお話したいんですけど、あまり引き止めると『20世紀少年』の続刊が出ないのでこのへんでやめときます。楽しみにしてます(笑)

浦沢 : じゃあ終ったらまたゆっくりお話しましょう。


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『グエムル 漢江の怪物』
2006年9月2日(土)公開
監督:ポン・ジュノ
出演:ソン・ガンホ、ぺ・ドゥナ 他
 


浦沢 直樹
1960年、東京生まれ。'82年、小学館新人コミック大賞を受賞し、'83年に『BEAT!!』で漫画デビュー。
その後、『YAWARA』('86〜'93年) 『MASTERキートン』('88〜'94年) 『Happy!』('94〜'99年) 『MONSTER』('94〜'01年)などの傑作を次々に発表。
現在、『20世紀少年』『PLUTO』と2作品が続刊中。
ポン・ジュノ
1969年、韓国生まれ。大学卒業後、韓国アカデミーに入学。卒業作『支離滅裂』がバンクーバー映画祭、香港映画祭に招待される。
2000年に、『ほえる犬は噛まない』で長編デビュー。
'03年には韓国で実際に起こった殺人事件を基に『殺人の記憶』を発表、本国で500万人の動員を記録する大ヒット作となる。
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