Text●今井智子
今年で結成31周年を迎えたシーナ&ロケッツが、25年間も在籍しているレコード会社ビクター・エンタテインメントでリリースしてきた作品をまとめたボックス・セットをリリースする。ひとつは、1984年から1989年までのインビテーション・レーベル時代をまとめた『WHITE BOX -INVITATION YEARS-』。もうひとつは1990年から最新作までの『BLACK BOX -SPEEDSTAR YEARS-』。どちらも全アルバムに加え、初CD化曲や秘蔵映像なども収録した豪華な内容だ。このボックスセット発売に続き年明けには久々のワンマン・ライブも決定、シナロケの快進撃は止まりそうにない。
――まずはボックスセットのことを伺いたいんですが。
鮎川「ちょうどビートルズがボックス・セットで盛り上がりよったけんね(笑)。ずっと呼んでもらえるネーミングがいいねちゅうて、最初はお世話になったビクターのレーベルで分けて、『インビテーション・イヤーズ』と『スピードスター・イヤーズ』を考えた。ローリング・ストーンズの『ロンドン・イヤーズ』みたいになったらいいかなと思ったけど、『ロンドン・イヤーズ』ほどにわからんだろうと心配されてね。 今回は、日本で唯一ローリング・ストーンズ公認の写真集を発表した有賀幹夫がアーティスト写真を撮ってくれて、その有賀とあ・うんの呼吸な、ロックなデザイナーが作ってくれたボックスが、また素晴らしくてね。 それが白と黒に分けてあったんで、そのまま呼ぼうぜってことで。末永く皆に愛されたいと思ってつけた」
シーナ「一家に2ボックス、よろしくね、って感じね(笑)」
――25年の間には、バンドのメンバー交代などいろいろ変化もあったと思うんですが、アルバムそれぞれがひとつのファミリーショットのような印象もありますね。
鮎川「“Every Picture Tells a Story”だね。アルバムごとに」
シーナ「いつも包み隠さず、正直にしてきたからね(笑)。それが丸見えよね」
鮎川「すぐに影響受けたりするし(笑)」
シーナ「そうそう、その時はそれが総て、それで死んでもいい、みたいなね。だからホットよね」
――このビクターの前にはアルファ・イヤーズがありますが、違いは?
シーナ「アルファも過激で面白かったね。あっという間だったけど、あの時は、自分たちが地球上で最先端だと思ってたから、自分たちのことしか頭になかった。それはそれで貴重なんだけど、ビクターに行って、聴いてる人のことを思ったりするようになった」
鮎川「アルファ時代は結果としてテクノと呼ばれたけど、ロックは4人で勝負だ、みたいなポリシーはあったから。それを細野さんが見かねて、“レコードは遊ぼうよ。レコードまで4人でと言わないで、僕たちも入れたよ”みたいな(笑)。もっと楽しんでスタジオでしかできないことをやろうって」
シーナ「それを再現することは考えなくていいんだよとか言われて」
鮎川「すごい教わったね。そういうのを全部僕らの財産として、ビクターで生かしとる(笑)」
――アルバムの中で、特に思い出深いものは?
鮎川「ありすぎるね。例えば『ニュー・ヒッピーズ』は闘うヒッピーだぜ俺らはって、名前つけて。結成して10年目に、俺はシーナ&ロケッツが10年もやれると夢にも思わなかったし、ニューヨークでレコーディングさせてくれなんて、こんな時でもなきゃ言えんやろうと思って言ってみたら、すんなりさせてくれてね。15年目には、阿久悠さんに詞を貰ったらどんなロックになるんやろうと、ふと思いついたら目の前に阿久悠さんが来てくれたりさ(笑)。ウィルコ・ジョンソンのときもそうだった」
シーナ「阿久悠さんに生意気なこと言ってさー。リフレインはカタカナとか嫌いだから日本語で、とか、一生歌える歌が欲しいの、とか(笑)」
鮎川「自分がパソコンのこと少しわかってきた時に、初めて『真空パック』の頃に細野さんたちが、いかにすごいことをしよったかわかったから、それを間近で見て盗んじゃおうと(笑)、もう一度細野さんとやりたい、ちゅうて。細野さんのスタジオに押し掛けて『アット・ハート』作って。忙しい細野さんが、やってくれるのが嬉しいことよね」
――そういうフットワークの軽さもロケッツのパワーですか?
鮎川「ロケッツのパワーでもあるし、ロックが教えてくれた、一番の基本だね。自分で決めろ、ちゅう。ビートルズを最初に聴き始めた時に思ったのは、そういうこと。ジョンとポールみよったら、なあお前と気安く肩を抱いて、俺が思ってるからお前も、みたいに言うのはないなあ。俺とお前は絶対に違う。それは礼儀」
――他にロックから学んだことは?
鮎川「ローリング・ストーンズの古い曲を今でも俺ら聴くけど、ふと我に返ると、俺達60過ぎなのに、ミックとキースが二十歳ぐらいの時の曲を、すごいなあとか言ってる。そういうロックのすごさは、何かをつきぬけていく。そういう仲間に入りたいちゅう願いは、いつもある」
――シーナさん、自叙伝をお書きになったんですよね。お二人の出会いも書かれているんでしょう?
シーナ「ふふふ」
鮎川「本の中に書いてあるね。小学校の頃からレコード屋で遊んでたって」
――年が明けると、渋谷DUOでのライブがありますね。“ワンマンがしたい”とおっしゃったそうで。
鮎川たっぷりやりたいちゅうのが、バンドだったら誰でも思うことで。今回はホームページでリクエストもしてもらってる。“これ聴きたい”って言ってくれたら、“ほんと?”ちゅうて(笑)。どの曲も僕らやりたいし、やれるし。今また、浅田(孟)くんがカムバックしてくれて、何でもやりたいって機運がバンドの中で高まってるんで」
シーナ「またメンバーが戻ってくるなんて、ホントにいい事。縁を感じるわね」
鮎川「1月9日だから、おとそ気分のまま来てくれたら、嬉しいね」
