「夫婦というものにきちんと向かい合って書いた初めての作品」だという新作『グッドナイト スリイプタイト』。 三谷ならではの視点で、ありふれた夫婦のありのままの姿、そして、崩壊していく様を描く。本来ならビターな話にならざるをえないが、そこは三谷、コメディに仕上がっているという。そのワザとはいかなるものか?
Text:野上瑠美子 Photo:源賀津己
――『温水夫妻』や『恐れを知らぬ川上音二郎一座』など、これまでも夫婦を描いた作品はあったかと思います。今回、それらの作品とはどういった違いがあるのでしょうか?
「僕のイメージの中では、夫婦というものにきちんと向かい合って、テーマとして書いたのはこれが初めてなんです。まず恋愛ものっていう時点で恥ずかしいし、ほとんどないんですよ。別のテーマがあって、そこにちょっとおかず的に夫婦愛みたいなのが出てきたことはありましたけど。でもやるんだったら、出来るだけリアルにというか、日常的な話にしたいなと。前作がゴッホとかゴーギャンとか芸術家の話(=『コンフィダント・絆』)だったので、今度は一般市民の、日本人の、現代の話にしたいなと思ったんです」
――ご自身結婚されてみて、夫婦観というものに変化はありましたか?
「それはやっぱり、結婚してみないと分からないことっていうのは山ほどありますよね。決していいことばかりじゃないし。夫婦が分かり合えるっていうのも、すごく幻想のような気がして。僕もイメージとしては、すべてをさらけ出して、すべてを理解してこその夫婦、みたいに思ってましたけど、所詮は他人同士ですからね。自分を100パーセント分かってもらうってことは、たぶん夫婦とはいえ無理なことで。だから、それをお互い納得した上で、どう折り合いをつけてやっていくか。それが大事だって気がしますね」
――今回はその夫婦という関係を、30年間の長い年月にわたって描いた作品ですね。
「僕が好きな映画に、ニール・サイモンの『おかしな夫婦』というのがあるんですけど、それは田舎からニューヨークに出てきた夫婦の、ある一晩の話なんです。で、僕が夫婦ものを描くなら、どっちかだと思っていて。莫大な時間を一緒に過ごしてきた夫婦の2時間を切り取って描くのか、もしくは全部を描いてしまうのか。今までの僕の作品だと、前者が多かったと思うんです。でも今回は、その後者、長いスパンの話をやってみたくて。というのも、やっぱり夫婦を描くからには、年月っていうのはたぶん避けられないと思うんです。僕は結婚して13年目になるんですけど、いまだに『この人にはこんな面があったんだ』っていう発見が山ほどありますからね。それは、いい意味も悪い意味も含めて」
――しかもその30年間を、時系列を逆、つまり時間を遡って描くということですが、その意図とは?
「構成表を作ってる時から、わりとビターな話になるなというのは考えていて。結構生々しいというか、ブワーッとお互いが激高して言い合う、そういうカラッとしたシーンさえないんですね。実際って、わりとそういうものだから。すごくこう、どよーんとした感じの結末になるんですよ(笑)。ドラマチックじゃない、ある夫婦の崩壊の物語に。だからそれをそのままやっちゃうと、本当に悲しいだけの話になってしまうんですね。これをどうすればウェルメイドな感じになるかなって考えた時に、全部を逆にしちゃえばいいのかなと。どんなに辛い物語でも、最初の出会いで終われば、なんか幸せな感じになるだろうし。しかもそれが幸せな出会いであればあるほど、観てる人は結末を知っているわけで、余計に重くもなるし、悲しくもなるみたいな。なんか一挙両得のような気がしたんです」
――そんな長い年月の物語ではありますが、舞台は夫婦のベッドルームのみ。ワンシチュエーションものなんですよね。
「ベッドの距離感って、なにかその時の夫婦の間柄、精神的な距離感を象徴しているような気がするんです。最初は同じベッドだったのが、途中で別々に分かれたり……。あと夫婦の性的な面というのは、わりとキチッと書いてますね。別にエロチックな話ではないですけど(笑)。夫婦の話で、なおかつベッドルームが舞台で、そういう性的な面を一切描かないっていうのは、また違うような気がするんですよ。やっぱり夫婦にとって、それって結構大事なことだと思うので。この夫婦には子供がいないので、それも関係しているかもしれませんね。こういう夫婦の長期にわたる話って、子供が生まれ、子供が大きくなるにつれて、夫婦としてよりも、だんだん父として、母としてってものになっていく。それがオーソドックスな流れですけど、この夫婦には子供がいない。そうなってくると、じゃあなぜ彼らには子供がいないのか?って問題にも触れざるを得なくなりますからね」
――夫婦役のお2人に、中井貴一さんと戸田恵子さんを選ばれた理由は?
「夫婦もので、ベッドルームで、現代日本が舞台。そこで生々しい話をやっちゃうと、役者さんによってはすごいリアルな、匂い立つようなものになりかねないんですよ。でもやっぱりこれはお芝居だし、ちょっとだけ非現実に足を踏み入れたような、そんな感覚にしたいなと思って。そういう意味でも、中井さんと戸田さんっていうのは、すごく案配がいいかなと。これがもし、中村勘三郎さんと藤山直美さんだったりしたら、ものすごいことになると思いますけど(笑)。時系列のことで言うと、単に遡っていくだけではなく、50代からいきなり20代になって、また50代に戻って、30代になったりするんです。そんなことが出来る役者さんって、あんまりいませんからね。しかもそれを、衣装とかメイクで見せるんじゃなく、芝居で見せてもらいたいなと。それはやっぱり、これまでの信頼関係といいますか。あと夫婦が別れる時って、決定的な理由はないと思うんです。そのきっかけはあるにしても、それはいろんな積み重ね。30年かけて、徐々に相手を嫌いになっていくみたいな。何か大きな原因があって別れるとかだったら、まだサバサバしてますけど、そういうのがない別れ方を演じきれるのは、この2人だって気がするんですよね」
――なんだかお話をうかがっている限り、これがコメディ作品になるとは、ちょっと想像し難いのですが……(笑)。
「まぁ、ヘビーな話ですよね(笑)。でもコメディの基本って、そんなところにあるような気がするんです。本人たちにとってはものすごくシリアスなことなんだけど、観客はそれを覗き見しているような。しかも時間が前後するってことは、観客に感情移入をさせない部分もあるわけで。そこは、どうしても引いて見ざるを得ない。例えばファミレスとかで、隣の席の夫婦の会話を漏れ聞いたとします。彼らはものすごくシリアスな話をしてるんだけど、こっちは面白くてしょうがないっていうような。さらに時間というアイテムが入ってくることによって、それは確実にコメディになっていくような気がしますね」
――本作には、『コンフィダント・絆』に続いての生演奏という楽しみもありますね。
「監督をやるようになって思ったのが、やっぱり映画のもってる力っていうのは、あらゆる意味ですごいんですよね。で、それに対抗するために舞台でしか出来ないことはなんだ?って考えた時に、やっぱり大きいのは音楽なんですよ。生音っていうのは、映画ではあり得ないことだから。で、僕の中で決めたのは、舞台で音楽を使う時は、生音楽か、もしくは音楽なしかのどっちかだなって。しかも今回はわりと生々しい話なので、それをちょっと中和する意味でも音楽が欲しいなと。ちなみに『コンフィダント・絆』の時は、僕もバンドネオンでちょっと参加しましたけど、今回僕は、演奏しませんので(笑)」