ナイロビアルマンスーラホテルの話(前回の続きです)

前回、アルマンスーラホテルの1階食堂の話を書きましたが、今回は2階〜4階の客室を説明します。

そもそもこのホテルを知ったのは1983年の1月。 初めて着いたナイロビの街で安宿を求めてうろうろきょろきょろしていると色黒のジーンズ姿の日本人から声をかけられました。 その人はウガンダの宿で500ドル盗まれてナイロビに戻ってきたばかりの女性でした。

「今日ナイロビに着いたばかりなんです。安宿をもしご存じでしたら教えて下さい…」 そこで教えてもらったのがこの宿でした。とにかく安かった。 その女性はイクバルホテルという今でも旅行者が集まる宿に泊まっていたようですがそこは紹介せずにアルマンスーラを紹介したのでした。 (あのときはありがとうございました。もしここ読んでおられましたらご連絡下さいませんか)

ホテルの入り口までその謎の女性は案内してくれて、別れました。 初めての街で不安もあり、もっと話を聞きたかったのですが、とりあえず背に背負っている荷物も重く、 とりあえずホテルの中に一歩足を踏み入れたら…中は薄暗く広く天井は高く、 人はいっぱいでざわざわしていて、皆の目がこちらを見ています。

なかできょろきょろしていると、従業員が僕の荷物姿を見て「こちらだよー」と奥へ案内、 食堂を通り抜けた奥にはホテルの吹き抜けの部分があり、厨房やトイレ・洗面所がありました。

その吹き抜けの左に細い階段が2階へつながっていて、2階に上がるとすぐ左にレセプションがあり、 そこで宿泊の申込みをしました。

いまでも料金はあまり変わりないと思いますが、宿代はだいたい2ベッドで1部屋500円前後なので安い方だと思います。 25部屋あるその部屋には当時は、夕刻になるとお化粧してディスコへ仕事を探しに出かける女性が多くいました。

とにかく到着した日に宿が見つけられて安心しましたが、そのあと外に出るのが怖いので部屋で休憩しました。 なにが怖いかというと、外の音が、ざわめきや雑音・音楽などがものすごい勢いで体にぶつかってきてそれを受け止めることができないという感じなのです。

漸く夕方になりお腹がすいて1階の食堂に向かい、何が食べられるのかわからないので厨房の鍋をのぞきに行くと、 なかなかおいしそうな料理があり、「これ」と指さして注文。

その後又ケニア人の視線の集中砲火を浴びながらむしゃむしゃ食っていたのですが(カランガ=肉じゃが) そのうち従業員が声をかけてきて名前は…どこから来た? どこへ行く?と言った質問責めにあい、やっとこの東アフリカ・ケニア・ナイロビの世界に入り込み始めたのでした。

うつつ

どんな人が泊まっているのですか?その宿には…

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