戦争の傷痕はなお人々の心にあったが、1950年代に入ると復興は急速に進んでいる。その中で1951年に調印された「対日講和条約」、「日米安全保障条約」は、我が国が国際社会でどのように歩むかを決定するものとなった。
’50年代の日本美術もまた、この1951年に開催された「サロン・ド・メ日本展」によって、国際画壇の波にもまれ、抽象絵画の隆盛を迎えている。「夜の会」やアヴァンギャルド芸術研究会を組織した岡本太郎、二科・九室会の山口長男、斎藤義重、モダンアート協会の村井正誠、デモクラートを主宰した瑛九らは、絵画の本質に近づく試みの中で自己のスタイルを確立していった。一方、社会管理が強くなるにつれ、ルポルタージュ絵画と呼ばれる一連の社会派芸術が生まれている。中村宏や池田龍雄らは、当時の社会的矛盾、人間疎外を鋭く指摘する作品を残した。
またこの時期パリにあった今井俊満や田渕安一は、アンフォルメルに身を投じ、関西では具体美術協会が、欧米の動向に平行するかたちで抽象表現を追求した。具体はまた、野外イヴェントやハプニングなどユニークな活動を行っている。
1950年代半ばに始まる高度経済成長の中で、’60年代には読売アンデパンダン展を舞台に反芸術の嵐が吹き荒れる。工藤哲巳や篠原有司男ら新世代の作家たちは、表現意欲を率直に表明し、芸術の限界に果敢に挑戦した。日本画では京都にパンリアルが結成され、素材や技法など従来の概念を払拭する制作を行っている。彫刻は野外彫刻展などの機会を通じ、非具象彫刻が活性化する。またステンレスやアルミなど新しい素材の使用が見られ、表現はより多様になった。

作者名 作品名 制作年(元号) 所蔵
 岡本 太郎
 Taro Okamoto
クリマ 1951(昭26) 川崎市岡本太郎美術館
 山口 長男
 Takeo Yamaguchi
作品(かたち) 1954(昭29) 東京都現代美術館
 瑛九
 Ei Kyu
カオス 1957(昭32) 東京都現代美術館
 斎藤 義重
 Yoshishige Saito
視差 1964(昭39) 東京都現代美術館
 横尾 忠則
 Tadanori Yokoo
腰巻きお仙 1966(昭41) 東京都現代美術館
 池田 満寿夫
 Masuo Ikeda
廃墟の街 1955(昭30) 東京都現代美術館
 池田 満寿夫
 Masuo Ikeda
タエコの朝食 1963(昭38) 東京都現代美術館
 池田 満寿夫
 Masuo Ikeda
化粧する女 1964(昭39) 東京都現代美術館
作品は他にも多数あります。



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