自身で演出も手がける演劇ユニット“竹中直人の匙かげん”の第3弾がまもなく上演される。本公演の稽古真っ最中の竹中直人に、その内容と出演者について話を訊いた。
Text●岩城京子 Photo●本房哲治
――「竹中直人の匙かげん」としては今回で3度目の公演。毎公演、拝見するたびに隙なく磨かれた“完成形のプロダクト”を見せられているというより、いい意味で余白のある“未完のプロダクト”を見せられている感じがして。それがとても面白いです。
「ええ、そのとおりです。結局、ここでは何か世間のために完成されたプロダクトを創ろうとしているというより、自分で自分の可能性を探る作業に近いことをしている。だから“えっ、これって本当に演劇なの?”と考えちゃうようなことをやりたいといつも考えているんです。それにそもそも俺は、基本的に演劇が苦手なんですよ。人前で何かやるなんて恥ずかしいだけだし、自分の身ひとつしか頼るものがないから辛いしね。だからいつも“なんで苦手なのに演劇をやり続けているんだろう?”って考えるんですけど……。おそらく、いちばん答がないジャンルだからこそやり続けているんですよね。つまり、そういう不確かな状態にいる自分を感じたくて舞台に立ち続けているんだと思うんです」
――今回の公演の脚本を執筆された岡田利規さんは、まさしく“答のない脚本”を書かれる劇作家です。
「そうですね。岡田さんが岸田戯曲賞を受賞された『三月の5日間』という本を読んだときに“なんなんだよこれ”という感覚を抱いて。直感的に“この人と一緒にやってみたい”と思ったんです。それにおっしゃるように岡田さんの本って答がないんですよ。会話に矛盾点もいっぱいあるし破綻もあるし。それであるときできあがってきた本を読ませてもらった後に、どうしてもつじつまが合わないところがあったので、岡田さんに“これはどういうことですか?”って質問をしたんですよ。そうしたら“ごめんなさい、分からないで書いてるんで”という答が返ってきた。これは、いい答でしたね。分からないと岡田さんに言われても“ええ!”と驚いたりはしなかった。むしろ、そうだろうなって納得する部分がありましたね。だから彼の本では答がなくても、矛盾点があっても、それで全然よくて。簡単に言えば彼は演劇のルールを壊そうとしている作家なんですよね。すごいことですよ、これは」
――中嶋朋子さん、荻野目慶子さん、といった出演者の方々はいかがですか?
「我ながらとても“音色のいい俳優”が揃ったな、と思っています。音色がいいというのは、声の響き合いかたがとても魅力的だということです。あとは今回の本を土台に演出していると、どうしても役者の内発的感情というより、位置関係や身体の使い方といった外的な要因に意識が向いていくんですよ。だから、あるときどうしても身体を揺らしながらしゃべりたいと思って。“ロッキングチェアとかって、どうかな?”って俺がおそるおそる役者さんたちに提案したんですね。そうしたら荻野目さんが“私もちょうどそう思ってた!”っておっしゃってくれて。これは嬉しかったですね。言葉にせずとも同じことを感じて、きちんと芝居を迎えている気がしたんです。やっぱり俺はどうしても元が役者だから、役者さんに演出を認めてもらえると嬉しくなっちゃうんですよね」
――その演出作業は、万事順調に進んでいますか?
「毎日、はじめから終わりまで通して稽古をするようにしているんですけど。稽古が終わる頃には、みんなバテバテになっています(笑)。でも岡田さんの本の場合、通して稽古をしたほうが、個々の役者が“自分たちの時間”を作り上げていけるからいいように思うんです。日常の時間とは異なる、自分たちの時間をね。それに演劇って最終的には、そういう時間の積み重ねを見せる作業だと思うんです。何かを伝えるとか完成させるとかではなくて、自分の心が動いた瞬間をひとつひとつ積み重ねていく。それが何より大切なことのように、俺には思えるんです」
――歌を歌われたり、絵本を書いたり、今回のように新しい作家さんと組んで芝居を創られたり。なぜ竹中さんはいつでも、キャリアを積み崩すような挑戦をしたくなるのでしょう?
「やっぱり俺のなかにはキャリアなんて糞くらえ、っていう部分がどこかであるんですよね。詳しく自分を分析しているわけじゃないんで明確には分からないんですけど、多分、おさまりたくないっていう気持ちがいつもあるんでしょうね。だから、怖いくせに、逆説的に怖くて新しいことに手を出す。今回の芝居だって夜寝られないぐらい苦しくて悩んでいるわけですけど、別に誰に頼まれたわけでもなく、自分でやりたくてやってるわけですからね。おそらく俺は、そういう先の見えないところに飛び込むのが好きなんでしょうね。うん、そうだな。なんか、変な言い方になっちゃいますけど、俺は答を求めないで仕事をしているんだと思います。昔も今もね」