21世紀の骨のあるヤツ

伊達公子、野茂英雄、中田英寿など世界を舞台に戦う選手の出現でおおいに盛り上がった90年代のスポーツ界。21世紀まであと半年となった今、彼らのように大きくはばたく可能性を秘めた未来のスーパースターを直撃!

第45回

魔裟斗(キックボクシング)

魔裟斗 実に笑顔のさわやかな男だ。人を引きつける天性のものを持っている。ルックスだけを見たら、「どこのモデルさん?」と質問してくる方もいるだろう。案の定、今までに何度となくファッション誌を賑わしている。今秋には準主役で映画デビューも果たした。
 だが、この男……魔裟斗の本業はファッションモデルでもなければ、俳優でもない。最初につく肩書きはキックボクサーだ。正直な話、いまだにキックに対する世間のイメージはよくない。暗い、怖い、野蛮といったイメージがつきまとう。必ずしもそうではないのだが、団体やジムによっては前時代的な体質が残っていることも確かだ。もっとも魔裟斗に、そうしたキックの体質を「自分が変えてやる」といった野望はこれっぽっちもない。だったらなぜキックをやっているか。自分を目立たせる手段を捜していったら、たまたまキックにぶちあたったのだ。
「人の殴り方は喧嘩で覚えた」
「校内の廊下をバイクで走った」
「初めてキックのプロテスト(筆記試験)を受験した際、隣に座った受験生の答案を脅して書き写そうとして不合格になった」
 デビュー前の魔裟斗にまつわるエピソードは枚挙にいとまがない。「人が噂するほど俺は悪くはなかった」と魔裟斗はやんわりと否定するが、高校中退後、人生のハッキリとした進路を見い出せず、自堕落な生活を送っていた時期があったことは事実だ。
 ただし、それまでの魔裟斗が将来オリンピックを目指せるような水泳のエリートコースにいたことはあまり知られていない。持久力があるのは、学生時代、1日も休むことなく水泳のトレーニングを続けたせいだろう。
 キックを始める前には、ボクシングをかじった経験もある。だが当時プロになれる年齢に満たなかった魔裟斗は、かつて何人もの世界チャンピオンを育てた会長から一目置かれるほどの存在でありながら、ジムに背中を向けてしまう。ヤンチャの盛りだったのだろう。夏になれば、友人たちと海へ出掛け、何日も家に戻らないような生活を続けていた。キックを始めたのは、ボクシングを辞めたあと、身体がなまるのがイヤだったからだ。ムラっ気のある性格が災いとなって、キックボクサーになってからも現実逃避を図り、ジムから遠ざかった時期もある。それでもリングから完全に離れなかったのは、勝ち上がるにつれ、スポットライトを浴びる回数が増えていったからだろう。目立ちたがり屋を自認する魔裟斗にとって、キックは自分を成り上がらせるための最高のステップだったのだ。
「もっと有名になりたい」
「もっといい車に乗りたい」
「もっといい女と付き合いたい」
「もっとお金が欲しい」
 魔裟斗は自分の欲望をオブラートに包んだりはしない。ストレートにぶつけてくる。やっぱりプロはこうでなきゃ。それでいい試合を見られるのだったら、我々は大歓迎だ。
「俺にはコレ(キック)しかないと思っている。コレで成り上がらなければ、何をしろって言うんですか。そのためには、もっと欲がないとダメなんですよ」
 今年になってから魔裟斗は独立。歌手の宇佐美陽雄氏を代表に格闘グループ『シルバーウルフ』を立ち上げた。『コロシアム2000』(5月26日、東京ドーム)へ出場したかと思えば、自主興行の『ウルフ・レボリューション』(7月26日、ヴェルファーレ)を成功させるなど、その活動は相変わらず派手のひと言に尽きる。11月1日(水)には、初めて「K−1 JAPAN」へ出場して世界王座へ挑戦する。対戦相手のムラッド・サリ(フランス)は強敵中の強敵。しかも久しぶりのサウスポーだが、「やる前から負けると思ったら、絶対に勝てない。サウスポー対策もバッチリ。パンチで倒しますよ」と自信満々だ。
 21世紀のキックの扉は、魔裟斗が開ける。

取材・文:布施鋼治
撮影:末石直義

プロフィール

●まさと
'79年、千葉県生まれ。174cm、67kg。シルバーウルフ所属。戦績17戦15勝(8KO)1敗1分け。元全日本ウエルター級王者。今年、全日本キックボクシング連盟から独立。5月の「コロシアム2000」で世界王者のメルチョー・メノー、7月の初の自主興行で豪州王者クレイトン・コリヤーを各々KOで葬る。

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