むとうけいじ
'62年、山梨県生まれ。188cm、110kg。'84年4月、新日本プロレス入門。同年10月、蝶野正洋戦でデビュー。'89年1月、グレート・ムタとして米国マット進出、大ブレイクする。新日本マットでIWGPヘビー級王座に3度、IWGPタッグ王座に6度つく。昨年は三冠ヘビー級王座、世界タッグ、IWGPタッグの6冠を達成。年末には太陽ケアとのコンビで最強タッグ決定リーグ戦に初出場し、初優勝を果たす。'02年1月、新日本を退団、2月に全日本入団。4月、チャンピオン・カーニバルを制す。10月、全日本の社長に就任。現在は無冠。

第141回
武藤敬司(プロレス)

「武藤敬司です。(馬場)元子さん、全日本プロレス30周年おめでとうございます。そして長い間、お疲れ様でした。正直言って、全日本の看板……、非常に重く、とてもプレッシャーを感じています。だけど、社長として、レスラー一丸となって頑張っていきますので、どうかみなさん、熱いご声援、ご支援よろしくお願いします」
 2002年9月30日、全日本プロレス創立30周年記念パーティの席上、タキシードに身を包んだ"平成のミスター・プロレス"は、600人を越える招待客を前に力強く宣言した。新日本から全日本への電撃移籍から8ヵ月、社長のイスはジャイアント馬場(故人)夫人から、武藤敬司に託された。
 2002年10月1日、就任初日の社長が筆者たちの前に現れた。
「どうも、今日は何(聞くの)?」
 そこには、入場するだけで会場の視線をクギ付けにするリング上の姿とは正反対の、気さくないつもと変わらぬ武藤がいた。
「いやぁ、昨日のパーティの人の多さとか来賓の方を見ると、30周年の重みを実感したよな。オレなんて20年間弱、プロレスに携わってきたけど、あくまでレスラーとしてだから。(社長としては)デビュー前のグリーンボーイと一緒。それこそ、まだ自覚なんてないよ。社長って呼ばれても、素通りしちゃうもん(笑)」
 自覚はまだ芽生えていない。この言葉は謙遜だろう。武藤は社長就任の手土産に、ビッグサプライズを用意していた。K−1の石井和義館長と強力タッグを組んで、プロレスの新イベント・WRESTLE−1の開催をぶち上げた。K−1、PRIDEで規格外の暴れっぷりを見せるボブ・サップ、米国マット界の超大物・ゴールドバーグ、さらにはドン・フライらの総合格闘技の雄たちとプロレスラーがマットで激突するビッグプランである。豪華絢爛な石井軍団に対し、プロレスラー側の人選が急がれる。石井館長にプッシュされる形で武藤は、新日本の蝶野正洋、ZERO-ONEの橋本真也ら、かつての盟友に参戦を呼びかけるという。
「まだWRESTLE−1に関しては、どんな大会になるのかというのはハッキリとは言えない。もちろん、やる以上は絶対に成功させるつもりだけど。やっぱり、プロレス界って、今低迷してるじゃん。このプロレス界を発展させていくのが、オレの使命なわけ。そこでまず、全日本の王道プロレスがある。これは守りの部分だな。馬場さんから受け継いだ王道を守りながらも、やっぱり攻めなくちゃいけない。それがWRESTLE−1なんだよ。全日本というマットとは別で、新しい闘いの場を作るんだ。ここは、団体の垣根を取っ払った場所にしたい。もちろん、橋本、蝶野、三沢(光晴・ノア)社長にも参戦を呼びかけるよ。最高のプロレスラーと最高のファイターが、最高のプロレスを見せる場にしたいんだから。でも、オレ、人望ないからな(笑)」
 11月17日(日)、横浜アリーナで次々と夢のカードが実現するかもしれない。武藤対ゴールドバーグの日米頂上対決、武藤の悪の化身、グレート・ムタvsB・サップ、はたまた元闘魂三銃士の再タッグ結成という奇跡が起こらないとは言えない。どんな舞台になるかは、武藤の手腕にかかっている。
「新日本と全日本の長いライバル関係、オレが来る前のことだけど、全日本からノア勢が離脱した現状……。この絡まった紐を解いていくのは大変な作業だけど、骨を折るよ」
 しかし、武藤は全日本の長である。三沢、蝶野、橋本とのビッグ4会談実現のためだけに、全力投球はできない。30周年記念イベント第4弾を締める日本武道館大会が迫っている。メインイベントは天龍源一郎対グレート・ムタの三冠ヘビー級選手権試合だ。
「ムタなんて反則三昧で最も三冠ベルトが似合わないレスラーなんだよな。それに記念イベントのお祭りじゃん。そういう舞台も合わないんだよな。ムタのポリシーからして、王道マットを汚すんじゃないか」
 古き良きプロレスリングを守りながら、最高のプロレスを生むための新たな爆心地も作り出す。リング内外で動き回る覚悟がある。長年酷使した体、特に両ヒザは階段を下るのに苦心するほどボロボロにもかかわらず。しかも、武藤のフェイバリット・ホールドはムーンサルトプレスとシャイニング・ウィザード。技をかけた側もヒザにダメージが残る諸刃の剣である。今後のレスラー人生を考えれば、ファイトスタイルを変える方が利口だ。だが、天才レスラーは、妥協しない。
「意地だよ、プロレスラーとしての意地。日常生活に支障をきたすほどヒザが悪くても、リングの上は関係ない。プロレスって、ファンタジーが大事なんだよ。それをヒザが痛いなんて言ったら、夢がないじゃん」
 年末、40歳を迎えるプロレスラーは、今後も変わらぬ華麗なファイトでファンを魅了するだろう。社長の激務に追われても、ヒザの負傷が重くなっても、リング上での輝きは失わない。
「これで終わり? まあ、ひとつ、今後とも全日本をよろしくお願いします」
 2002年10月1日、いつもより少し丁寧に、武藤敬司は筆者たちを見送った。

取材・文:碧山緒里摩(ぴあ)
撮影:橘蓮二

 


武藤敬司を知る30の質問
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