こじまさとし
'70年、東京都生まれ。183cm、112kg。'90年10月、プロレスラーを目指しアニマル浜口ジムに入門。翌年2月、新日本プロレス入り。同年7月、山本広吉(天山広吉)戦でデビュー。'94年3月、若手のリーグ戦・ヤングライオン杯で大会史上初の全勝優勝を飾る。12月、海外遠征に出発。'96年1月に凱旋帰国後、中西学とのコンビで1度、天山広吉とのタッグで2度、IWGPヘビー級タッグ王座に就く。'02年2月、全日本プロレス入りを果たす。

第128回
小島聡(プロレス)

「行っちゃうぞ〜!」
 小島聡がダイビングエルボーを狙うべく、サードロープに足をかけると、全日本プロレスの会場は大合唱に包まれる。体ごとぶつかるファイトスタイルが身上だ。叫ぶ、うめく、笑う。ファンとの言葉のキャッチボールも忘れない。リング上の小島は本当に忙しい。
「最近、試合をしていて楽しそうですね、とよく言われるんです。去年までは全日本のリングにスポット参戦しても、明らかに外様だったんですよ。でも、今ではファンもファミリーの一員として見てくれている。試合を重ねるごとに認めてもらえたというのが、プロレスラーとして一番うれしいです」
 小島は2月、新日本プロレスから全日本へ電撃移籍した。武藤敬司、ケンドー・カシンというヘビー級、ジュニアヘビー級のトップレスラーと同時入団だったが「全日本に来た3人の中で、小島が一番光っている」がマスコミの評価である。会場では日本一の人気者・武藤をしのぐほどの声援を受ける。
「いやいや、ボクなんか武藤さんと比べられるレベルにありません。武藤さんはプロレス界のスーパースターです。ボクにはトップレスラーだけが持つカリスマ性もオーラもない。あるのは元気と明るさだけです」
 謙遜ではない。小島は自分のことを発展途上のレスラーだと言う。
「武藤さん、天龍(源一郎)さん、川田(利明)さんの3人は本物のトップです。ボクはトップ3の枠に入っているとは思わない。3人に挑んでいく立場です。本物のトップレスラーに向かっていって、いずれトップの端っこにでも入れれば……。2月に川田さんが武藤さんに勝った後『全日本の顔でいたい』と言ったじゃないですか。ボクもその顔の一部でもいいから、入れるようなレスラーになりたい」
 小島は決して望まれてプロレスラーになったわけではない。学生時代に格闘技のバックボーンを持たないサラリーマン経験者である。一度はガス会社に勤めたものの、プロレスラーになる夢を諦めきれず、トレーニングジムの門を叩いた。翌年、念願の新日本入りを果たすが、そこで待っていたのは過酷なしごきだった。
「実績のない選手は先輩たちがしごいて夜逃げするように仕向けるんです。『どうせ、コイツは見込みがないだろう』ということで、キツイメニューを課す。正直に言うと、入門1日目にこれは無理だと感じました。スクワットでも腕立て伏せでも『5000回やっとけ』ですから。できるわけないですよ。ただ、先輩も5000回できるとは思っていなかったみたいですけど。無理を承知で諦めずにやろうとする人間かどうかを見極めていたんです」
 朝7時に起床し、トレーニングや雑用は夜の11時まで続く。先輩の機嫌を損ねれば、ぶん殴られる。ミスをしなくても虫の居どころが悪ければ、ぶん殴られる。本当に殺されるんじゃないか、と日々感じていた。床につくまで、一瞬も気が休まる時間はない。布団の中でも、恐怖感に支配された。「寝て、目が覚めたらツライ1日が始まる……」と考えると、涙が出そうになったと言う。だが、小島は逃げ出さなかった。
「アマチュアで実績がなくて、サラリーマンをやめてゼロからプロレスラーになった男が、三冠王座という歴史あるタイトルに挑戦するところまできた。しかも、王者は天龍さん。自分もここまで来たか、と感慨深いものがあります」
「オイ、天龍! 次の挑戦者は誰か知っているか。オレだ、バカヤローッ!!」。4月、太陽ケアとの次期挑戦者決定戦を制した小島は、同じく王座決定戦で武藤を下した天龍に対して、アジテーションをかました。しかし、リング外の小島は、アジらない。
「勝つか、負けるかはやってみないとわかりません。ただ、タイトルマッチにふさわしい試合をしたい。お客さんが見て、色んなことを感じてもらえる試合です。落ち込んでいる人に勇気や元気を与えられればと思っています。なんか気の利いたことが言えなくて、すみません。ただ、言葉じゃなくて『全部リングの上で証明してやるよ』ぐらいのことは、常に思っているんですけどね」
 謙遜しっぱなしだった小島だが、最後にエゴイストの顔をほんの少し覗かせた。こだわりは、相手が屈するまで右腕を叩き込む、自称“世界一のラリアット”だけではない。試合内容こそ譲れない、と。

取材・文:碧山緒里摩(ぴあ)/撮影:橘蓮二

 


小島聡を知る30の質問
バックナンバー
もどる