●たまのじゅん
'84年、東京都生まれ。小学4年時にヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ1969)ジュニアユースに加入。得意のドリブルでチームの中心となる。'99年の「ナイキカップ」で注目されスペインのアトレチコ・マドリッドのユースチームに移った。今年、外国人選手が出場できないリーグにチームが属しているため、2月、古巣ヴェルディに復帰した。

第118回
玉乃淳(東京ヴェルディ1969)

 中田英寿がセリエAに挑んで以来、欧州に活躍の場を求める日本人サッカー選手は多い。だが、欧州に移籍することは珍しくなくなったが、そこで生き残るのは困難である。7人の選手が挑み、現在も籍を持つのは4人。その中で主軸として活躍しているのは、たったふたりだ。そんな過酷な欧州のサッカーシーンに、15歳で乗り込んだプレイヤーがいる。今年2月、古巣・東京ヴェルディ1969に戻ってきた玉乃淳だ。
 玉乃の渡欧は、'99年に開催されたナイキカップがきっかけとなった。全世界で約6000ものチームの中から各大陸予選を勝ち抜いた16チームが、さらに頂点を争う同大会。15歳以下のクラブチーム世界一決定戦に、玉乃はヴェルディ・ジュニアユースのエースとして出場。世界のスター選手の卵を相手に、軽快なボールタッチとテクニックで翻弄した。大会後、チームをベスト8に導いたエースのもとに、スペインの2チームからオファーが届く。
「オファーを受けたのは15歳の時です。世界のサッカーについてあまり知らなかったし、スペインに行きたいという思いを抱いていたわけではありません。突然、オファーが来て、えっ、という感じだっだんですけど、とりあえず話だけでも聞こうかなと思いました。実際、話を聞いて、施設も見に行ったら、気に入ってしまった」
 玉乃は施設を見て、環境が良かったからという理由でアトレチコ・マドリッドを選択する。何気なくスペインに渡った少年は、日本と欧州の練習方法の違いに戸惑った。
「初めは毎日の練習が厳しくて、足がつったり、吐いたり大変でした。練習に慣れて自分の持ち味が発揮できるようになったのは、3ヵ月くらい経ってからですね。試合に出るようになると余裕が出てきて、こんなレベルなんだと思うようになりました。中にはすごい選手もいましたけど」
 今年のチャンピオンズリーグで、ベスト4に2チームスペイン勢が進出しているように、ここ数年欧州ではスペインのクラブが強い。ユース年代ではそれに輪をかけてスペイン勢が欧州をリードしている。アトレチコ・マドリッドユースも「イタリアのローマと試合をしても5−0で勝ちましたし。楽勝でしたね」と玉乃が語るほど。強豪には人材も集まる。アトレチコ・マドリッドユースには、欧州はもちろん、アフリカや南米など世界各地から有望な選手が集まってくる。1週間にひとりテスト生が訪れ、合格すれば誰かがチームを去る。16、17歳の少年たちは熾烈な生存競争に日々晒されているのだ。
「守備をしないと使わない、と監督に言われて。それでようやく守備を意識しました。ボールも簡単にはたくようになりましたね。今は空いている選手にボールを出して早く攻めることを考えています。ボクはトップ下をやっているんですが、ドリブルより、パスより、やはり得点が一番好きなんですよ。でもボクよりうまい選手がいたので、ゴールはその選手に任せていました」
 ひたすらドリブルを続ける、自分しか見えていなかった少年は、世界でもトップクラスの育成環境で揉まれながら、チームメイトを生かし、自らを生かす術を身に付けた。サッカー少年はひとりのプレイヤーへと成長していく。
 今シーズンからアトレチコ・マドリッド・Bチームへの昇格を決めていた玉乃は、トップチーム昇格まであとひとつに迫っていた。だが、チームが属するスペインの2部Bリーグでは外国人選手の出場が認められていない。玉乃は試合出場の機会を求めて今年2月、ヴェルディに復帰した。
「ヴェルディに復帰するのに迷いはなかったですね。今は毎日あせらず、しっかり練習したい。慣れるのにいっぱいいっぱいのところがありますから。まずはサテライトの試合は絶対出て、J1に出たい。いつかではなく、慣れたら今すぐにでも出場したい。いつトップから声がかかってもいいように練習していますから」
 玉乃がチームに合流してまだ1ヵ月ほどである。ヴェルディの強化担当者が「素材は一級品。鍛え上げて作れる選手じゃないから大事にしたい」と語るように、今はまだチームに慣れる時期だ。だが、すでにサテライトのレギュラーを獲得し、プロ契約も済ませている。名門アトレチコ・マドリッドと、2003−2004年シーズンの仮契約を求められるほどの選手である。いつJ1の舞台に立ってもおかしくない。初めてホスト国で迎える「W杯」が佳境に入る頃、玉乃は18歳になる。


玉乃淳を知る30の質問
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