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●おおともあい
'82年、宮城県生まれ。183cm、63kg。センター。仙台育英高時代に'99年世界ユース選手権に出場。長身を利した攻撃力で優勝に貢献した。'01年、NECレッドロケッツ入りし、第7回Vリーグで新人賞獲得。昨年8月のワールドグランプリで全日本デビューを果たした。
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第112回
大友愛(バレーボール)
"日本女子バレーボール17年ぶりのメダル獲得!"
そう報じられても、グラチャン・銅メダル獲得の立役者、大友愛にはピンとこなかった。'64年東京五輪の東洋の魔女はおろか、'84年ロス五輪銅メダル獲得の中田久美も知らなかったと言う。
友達のお姉さんに誘われてバレー部に入ったものの、トスが100回続いたことがうれしかっただけの中学生。それが、宮城県代表としてさわやか杯(全国都道府県対抗中学バレーボール大会、現アクエリアスカップ)に出場し、高校に進学するとユース代表にもなった。そして、コーチ陣から「日の丸を背負って戦う選手となれ」と言われ、初めておぼろげながら“全日本”が頭をよぎった。だが、全国大会出場の経験もなく、高校は万年県予選2位。何よりも「優勝」のふた文字に飢えていた大友が選んだ進路先は、日本一の実力を誇るNECだった。
「初めて練習を見学させてもらった時、その迫力と活気に圧倒された。すぐに、ここに入りたいと思いました」
全日本のレギュラー選手がユニフォームを変えただけのような強豪チーム。いくら183cmの身長があるとはいえ、高卒の新人がいきなり試合に出られるほど、NECは甘くない。厳しいトレーニングで体ができ、ようやくチームの流れについていけるようになった頃、突然大友は全日本入りの知らせを受けた。
「うれしいというか、もうただただ驚きで。最初に出た言葉は、“私なんかでいいの?”でしたからね」
外国人選手がブロックに飛ぶと、もう打つコースがない。「何もできない」、最初はそう思ったと言うが、昨年のグラチャンで大活躍。高さを誇るブロッカーとして、前後左右縦横無尽に動く多彩なスパイカーとして、さらにはピンチを救うムードメーカーとして、その名を世界に轟かせた。
大友に「骨のあるヤツ」恒例の30の質問をすると、「今までで一番うれしかったことは?」の問いかけに、何の迷いもなく「グラチャンの銅メダル」と返ってきた。
「あのチームが大好きなんです。ひとつにまとまっていて。2連敗した時でも誰も諦めない。どんな時でも、ボールにみんなの気持ちがこもっていました。ファンの方々にも支えられて。あれほどのチームで戦えて本当に幸せでした。あの戦いぶりを見れば、会場で応援してくれたお客さんも大満足、ハッピー間違いなしですよね」
大友は、グラチャンで誰よりも大きなものを得たに違いない。だが、同時に周囲からの期待が膨らんだ分、要求されるレベルはさらに上がり、課題も増えてきた。全日本のエースとなった彼女が、今痛感しているのが、国内リーグへの切り替えの難しさだ。
「以前は、全日本から戻ってきた先輩が、リーグ戦モードに切り替えるのが難しいと言うのを聞いてもピンときませんでした。でも、自分にもそれがようやくわかった。技術的な問題ではなく、一発で決めてやろうと力んだり、勝ち急いだり……。すべて気持ちの問題なんですけど」
悩む大友は、昨年11月に開幕したVリーグで力を出し切れず、史上例を見ない大混戦に巻き込まれたチームは、優勝候補にあげられながらも低迷。決勝リーグ進出を決めたのは、何と最終戦。予選4位というギリギリでの通過だったが、それでもほかの3チームが最も警戒するのは全日本メンバー7人を擁し、2度の優勝を誇るNEC。ここ一番、プレッシャーをはねのけ、試合の流れを変えるブロックを決められる大友へのマークも、より一層きつくなるに違いない。
「“打倒・NEC”なんて言われると、逆に燃えてきます。やるっきゃないって。マークされて大変ですけど、そういう選手に見られるようになったと思うとうれしいです」
日本女子バレーボール界期待のアテネの星は、「アテネ五輪のことは考えず、目の前の目標に向かってがんばるだけ」と答えた。だが、「練習が辛い時は、これを乗り越えなくちゃアテネはない」と自分に言い聞かせると言う。
大友愛に、もっともっと試練を。熾烈な戦いの連続が、彼女を真のエースに鍛え上げ、その胸にオリンピックのメダルを輝かせるのだから。
取材・文:宮ア俊哉
撮影:スエイシナオヨシ
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