21世紀の骨のあるヤツ

伊達公子、野茂英雄、中田英寿など世界を舞台に戦う選手の出現でおおいに盛り上がった90年代のスポーツ界。21世紀に突入した今、彼らのように大きくはばたく可能性を秘めた未来のスーパースターを直撃!

第57回

太陽ケア(プロレス)

太陽ケア 立場が人を作る。
 現在の太陽ケアを語るには、これ以上の言葉はないだろう。
 '00年6月、エースの三沢光晴をはじめ24名のレスラーが大量離脱し、全日本プロレスは団体存続の危機に陥った。残った選手は、川田利明と渕正信。そして太陽ケアだった。選手層が薄くなり、必然的にチャンスも増加。天龍源一郎の全日本マット復帰第一戦で川田のパートナーに抜擢されて以来、新日本プロレス初参戦、三冠王座決定戦、最強タッグ決定リーグ戦出場と次々にビッグマッチに駆り出された。そして'01年1月、世界タッグ王座決定戦で、川田&渕組を撃破し、ケア&ジョニー・スミスが第43代タッグ王座に就いた。。昨年の夏前までは「将来有望な若手」だったレスラーが、今や全日本のメインエベンターに成長。ケア本人はこの劇的なまでの状況の変化を予想し得たのだろうか。
「まさか! 世界タッグ王者になっているなんて、半年前では考えられなかった。ホント信じられないよ。でも、現実にボクらはチャンピオン。ジョニー・スミスのグラウンド・テクニックとボクのキック、お互いの長所がうまく噛み合っているし、これからも成長していくよ。チャンピオンだけど、日々『これが最後の試合だ』という危機感を持って、試合に臨んでいく。次は東京ドームでムトウと闘える、これもビッグチャンスさ」
 1月28日(日)・東京ドームで開催されるジャイアント馬場三回忌追悼興行。このビッグイベントでケアは、セミ・ファイナルの重責を担うとともに、新日本プロレスの武藤敬司を迎え撃つ。柔道で培った確かなグラウンド技術をベースに天才的なマットさばきを見せる武藤と、スピーディなキック、破壊力抜群のオリジナル・スープレックスを武器とするケアの対決は、好試合の予感がする。
「ムトウはホントに素晴らしいレスラーさ。頭もスマートだし、プロとして観客を意識した闘い方も知っている。天才的なレスラーだよ。動きも素早くて、ネコみたいだね(笑)」
「馬場さんの三回忌という大会に出られるだけで大変光栄なのに、さらにムトウと闘えるなんて」と喜びを表すケア。まさに"プロレスをするのが楽しくて楽しくて仕方がない"といった様子だ。
 ケアがブレイクするキッカケとなったのは、'00年6月の選手大量離脱だった。その時「全日本プロレスに残るか、出るか」という選択を迫られたはず。ケアはなぜ全日本残留を選んだのか。決断に至るまで葛藤はなかったのだろうか。
「出ていった人たちも仲間だし、残った選手も仲間だったから、正直悩んだよ。でも、考えたんだ、今の自分があるのは、馬場さんのおかげじゃないかって。ボクは馬場さん夫婦のおかげでプロレスラーになれたし、その後も一人前に育ててもらった。馬場さんへの忠誠心がボクに全日本プロレスに残る決断をさせた」
 そもそもケアは、ホノルル滞在中のジャイアント馬場のもとを訪れ直訴した結果、入門を果たした。チャンピオンになった今もその「馬場さんのおかげ」を忘れていない。
「まずはドーム。この大会でスタン・ハンセンという偉大なレスラーが引退する。1月28日に、ひとつの歴史が終わる。そのリングでボクは新しい歴史を作っていかなくてはいけない」
 太陽ケア、25歳、キャリア6年2ヵ月。彼の未来は、太陽のような燦々と輝く可能性を秘めている。

通訳:平沢利樹

プロフィール
'75年、米国ハワイ州生まれ。185cm/106kg。高校時代はアマレス、アメリカンフットボールに熱中する。'94年6月、ホノルル滞在中のジャイアント馬場に直訴して、全日本プロレスに入団。同年11月、志賀賢太郎戦でデビュー。'97年8月、小川良成の持つ世界ジュニアヘビー級王座に初挑戦し、第18代王者となる。'00年8月、ファン公募により、本名のマウナケア・モスマンから太陽ケアに改名。'01年1月に、ジョニー・スミスと組み、世界タッグ王座決定戦に初チャレンジし、奪取した。

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