21世紀の骨のあるヤツ

伊達公子、野茂英雄、中田英寿など世界を舞台に戦う選手の出現でおおいに盛り上がった90年代のスポーツ界。21世紀に突入した今、彼らのように大きくはばたく可能性を秘めた未来のスーパースターを直撃!

第55回

武田幸三(キックボクシング)

武田幸三 藤原敏男以来、日本人として22年ぶりにムエタイの頂点・ラジャダムナン王座に武田が挑んだのは、2000年の5月5日のことだった。武田は、序盤から積極果敢な攻撃でチャンピオンのチャラームダム・シットラットガラーンを追い込んだものの、ジャッジが下した裁定はドロー。武田は、あと一歩のところで、無念の涙を呑んだ。
「ムエタイの戦い方は、わかっているつもりだったんですが、体にまで染み込んでなかったんですね。ムエタイのジャッジで一番重点を置かれるのが4ラウンドなんです。それまでどんなに有利な展開でも、4ラウンドの戦い方で全部がひっくり返る可能性がある。最後の5ラウンドは、もうおまけみたいなもので、相手はジャブで逃げる作戦に出ますから。前回の試合では、4ラウンドに頑張り切れなかったのが最大の敗因ですね」
 “超合筋”と呼ばれる鋼鉄のボディを持ち、破壊力抜群のパンチとローキックで、ムエタイ戦士3人を連続KOで葬り去った武田。今では“日本人でムエタイ王座に一番近い男”と称される彼だが、意外(!?)にも、こどもの頃は、成績優秀な優等生だったという。
「英才教育ってわけでもないんですけど、母親が教育熱心だったんですよ。月、火、水、木、金と毎日塾に通ってましたからね。おかげで成績も良かったんですよ」
 だが、そんな武田に思わぬ転機が訪れる。
「東京から越谷に引っ越して環境が変わったこともあって、中3で弾けちゃったんです(笑)。もともと体を動かすことは好きだったんですが、勉強よりも、そっちを優先するようになったんです。それで、高校生の時に『スクールウォーズ』に感動してラグビーを始めたんですよ。それからは、学校に行っても、部活だけして帰るような生活をしてましたね」
 武田が格闘技の魅力に取り付かれるのは、それから間もなくのこと。
「シカティックが優勝した、最初のK-1 GPを見た時に“これだ”って思ったんですよ。自分はメチャクチャ単純な人間なんで、それからは体を大きくするために、とにかく食べて半年で体重を30キロ増やした。それで自分なりにトレーニングをしてキックを始めたんですけど、最初は練習が苦しくて辛かった。でも、試合で勝つことを覚えると、あの高揚感がたまらなくなって辞められなくなっちゃいましたね。ボクは単純だし、飽きっぽいところもあるんで、あまりひとつのことを長くは続けられない性格なんですけど、これだけは不思議と続いてる。やっぱり好きなんでしょうね。自分にとっての存在証明ですから。今の自分からキックを取ったら、何も残らない。それぐらいキックがボクの人生の中心なんです」
 無念の敗北から8ヵ月あまり。武田に、ムエタイ越えのチャンスが再び巡ってきた。決戦は1月21日(日)、後楽園ホール。相手は前回、辛酸を舐めさせられたチャラームダムだ。
「相手は前回と同じような作戦でくるでしょうね。ただ、ボクはポイントを取り合うような試合はできないと思うんです。でも最悪、ポイントを奪われないような戦いはできる。チャラームダムがポイントを取りに来たら、それをことごとく阻止して打撃戦に持ち込みたいですね。今の自分なら組まれて首相撲にもっていかれても負けない自信はあるから。勝負は4ラウンドです。前回悔しい思いをしたラウンドですから、ここで勝負をかけて、今度こそ右ストレートで倒したい。とにかく、この試合に勝たないことには何も始まりませんから。自分の中では、ベルトを取っても、それが頂点だという意識はないんです。世界には、まだまだ強いヤツがたくさんいますからね。ベルトは世界中にいる強い人たちと戦うためのパスポートみたいなものなんです」

取材・文:高橋雅幸

プロフィール

●たけだこうぞう
'72年、東京都生まれ。173cm、70kg。治政館所属。タイ国・ラジャダムナン・ウエルター級1位、新日本ウエルター級王者。'93年に治政館に入門し、'94年に新空手の全日本大会で優勝。'95年にプロデビューを果たす。'99年11月のラジャダムナン遠征でムエタイランカーのヨンサック・ガンワーンプライにKO勝ち。昨年5月、後楽園ホールで日本人として22年ぶりにムエタイ王座挑戦を果たした。得意技はローキック。プロ戦績は30戦24勝(19KO)4敗2分。

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