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フィリップ・ドゥクフレ
フィリップ・ドゥクフレ

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★上記ページにて、フィリップ・ドゥクフレの
インタビュー、プロフィール、「SOLO」ダイジェスト映像掲載中!


ダンスに映像、音楽、照明の全てを有機的に融合させ、幻惑的ともいえるステージングで観る者をとりこにするフィリップ・ドゥクフレ。名前になじみがない人でも、'92年アルベールビル冬季五輪の開・閉会式で、少女が鳩を空に放ち「ラ・マルセイエーズ」を歌うシーンや、パフォーマー達が竹馬や空中ブランコに乗り、スタジアム一杯に“夢の祝祭”を繰り広げた映像を覚えている人は少なくないだろう。その後も世界のダンス界と映像界、双方に影響を与え続けてきた彼のカンパニーが、『Iris』以来3年ぶりに待望の来日を果たす。とはいえ今回舞台に立つのはドゥクフレただ一人。『SOLO』というタイトル通り、彼自身「一人で1時間もダンスを踊るというのは、僕のキャリアの中でも初めてのこと」と語る貴重な公演だ。夢の続きを見たい人は、劇場に足を向けて間違いはない。


≪the Point-1【夢を映し出す魔術師として】≫

三次元と二次元が連なり過ぎ去ってゆく、いつか見た夢。または瞬時にして主体から客体へと反転する印画紙。不可能を可能にしてしまうドゥクフレの舞台の秘密は、彼のキャリアにある。'61年にパリで生まれたドゥクフレは、まずサーカス学校でマイムやアクロバットを学んだ後、いくつかのダンスカンパニーを経て、コンテンポラリーダンスの巨匠マース・カニングハムのもとで勉強を続ける。カニングハムが振付にコンピューターの技術を絡ませることに積極的だった事実は、後進の著名な振付家達にも影響を与えているが、ドゥクフレもその一人だったといえるだろう。'83年、22歳のときに新人振付家の登竜門ともいえるバニョレ国際振付コンクールに入賞、同年カンパニーD.C.Aを結成する。以降、サーカス風の妙味を強く押し出した『トリトン』('90)で振付家としての評価を高めた後、'92年に催されたアルベールビル冬季五輪の開・閉会式では、31歳にして総合演出と振付を担当。世界的な名声を確かなものにした。
その他映像の分野でも、'97年のカンヌ国際映画祭50周年にちなんで制作された『シャザム!』や、クリスチャン・ディオールのCF等、ライブパフォーマンスにとどまらないマルチな活躍は他の追随を許さない。そして現在、かつてのアンファン・テリブルも45歳。今だからこそ見せてくれるドゥクフレの新たな顔に大いに期待したい。


≪the Point-2【映像作家、そして振付家の内部とは】≫

『SOLO』には『the doubt within me』という副題が付いている。直訳すれば「私の中の疑問」、つまりは「内なる不確かなもの」とでも言おうか。内容は彼が自身の人生を振り返り、その時々の指標に立ち返るという非常にパーソナルな構成だとか。だがソロ作品といっても、そこはドゥクフレのこと。D.C.Aの公式サイトでダイジェスト版を見る限り、上半身裸というコンテンポラリーらしい姿で踊る彼の周囲で影が増殖してゆく映像や、トロンプ・ルイユ(騙し絵)を用いたステージングは健在。一人の踊り手から無限に広がってゆく自身の影は、夢の深さを表しているようだ。コンピューターを使用した緻密な映像とライブのダンスとが有機的に連なり、観客をもパースの合間に魂ごと漂わせる圧倒的な力量。端正に始末をつけてゆく音楽の心地よさ。大げさではなく、全ては実際に見るまでは信じられない舞台だと、前回の来日公演の記憶を思い出す。
3年間続いている『SOLO』のワールドツアーは、手だけでなく足を踏み鳴らしての最上級の喝采を浴びたフランス、そしてここ日本の後は、アメリカとカナダツアーも控える。緒川たまき、中谷美紀ら美に敏感な女優をはじめ、日本でも多くの演出家や作家、監督のファンを擁するドゥクフレの世界。誰もが見る夢の一部を差し出されたような衝撃を、ぜひあなたも受け取ってほしい。

文:佐藤さくら





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