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演劇・ミュージカル セヴィアン・グローバー in クラシカル・セヴィアン
セヴィアン・グローバー in クラシカル・セヴィアン
 
 


セヴィアン・グローバーと言えば、ドレッドヘアにオーバーサイズなTシャツ、そして目にも止まらぬ驚愕スピードでの激しいリズムタップ。そんな独特のスタイルで一躍タップ界のトップスターとなり、トニー賞受賞作品『ノイズ&ファンク』などでタップダンスの革新性を世界中に証明してきた彼が、ここにきてなんと”クラシック音楽”に真っ向勝負を挑むという。「黒人(正式にはアフリカン・アメリカン)であることのアイデンティティー」をリズムに込め、ソウル、R&B、ジャズ、ヒップホップ、など現在形ブラック・カルチャーな音楽でタップを踏んできた彼が、「白人、故人、長髪男性」なハイブロウ人種が作った古典音楽を足技で攻略。05年1月のNYジョイス・シアターでの3週間連続公演はすべてソールドアウト、NYタイムズなどの新聞各紙も大絶賛の成功を収めた『クラシカル・セヴィアン』が、専属演奏楽団を率いて来日する!

≪攻略その1 天才セヴィアンの無尽蔵の才能≫

歩けるようになったとたん家中をつま先立ちで闊歩して回った、という逸話を持つセヴィアン・グローバー。その天賦の音楽性は幼少より抜きん出ており、4歳で母親がニューアークのドラム教室に入れるやすぐさま才能を発揮。6歳の時にバンド結成に誘われ、8歳で「これほどリズム感がいいなら踊りもできるはず!」と周囲の薦めでブロードウェイ・ダンス・センターに入学。そして翌83年にブロードウェイ公演『タップ・ダンス・キッド』のプロデューサーが主役キッド役の継投者を探しに”運良く”ダンスセンターを訪れ、セヴィアンはダンス歴1年にしてその大役を獲得。神に歩むべき道を定められた天才少年は、12歳にしてブロードウェイ・デビューを果たしたのだ。その後は、舞台『ブラック・アンド・ブルー』で知り合った巨匠グレゴリー・ハインズに見初められる形で、映画『タップ』に13歳で出演。また『セサミ・ストリート』で5年間、子供たちにタップの面白さを伝え一躍全米スケールの人気者にもなった。そして18歳で再び『ジェリーズ・ラスト・ジャム』でブロードウェイに復帰し、23歳で自ら振り付けたタップ・ミュージカル『ノイズ&ファンク』(96)が一大センセーションに。トニー賞、オビー賞、アウター・クリティックス・サークル賞、ドラマ・デスク賞、フレッド・アステア賞、などを総なめにした。
そんな彼も06年には、33歳。天才セヴィアンが成熟期を迎えて挑む、次なるステップは見逃せない。

≪攻略その2 ハードコア・クラシック!≫

常に進化し続けるセヴィアン。その証に03年には自らのタップリズムと共に歌を歌うことを始め、それを”インプロヴォグラフィー(即興ヴォーカル)”と命名。今年の5月にはアメリカン・バレエ・シアターの初日ガラ公演に登場し、”Pieced’Occasion”と題した小品を披露した。そして今回、彼は更なる進化を求めクラシック音楽に挑戦する。使用する音楽は、アストル・ピアソラ版ヴィヴァルディの「四季」、バッハの「G線上のアリア」、バルトークの「ルーマニア民族舞曲」、メンデルスゾーンの「オクテット(弦楽八重奏ホ長調)」などメロディアスで個性が光る曲ばかり。セヴィアンは実際に音を選ぶ際に「ハードコアなクラシック音楽が欲しい!」と思い立ち、音楽監督のロバート・サディンとみっちり話し合いを重ねたとNYタイムズのインタビューで語っている。
ヴァイオリン奏者4人、ヴィオラ奏者2人、チェロ奏者2人、コントラバス奏者1人、それにハープシコード奏者を足して、舞台上で生演奏。タキシード+ルーズなブラックタイという出で立ちで現れるセヴィアンはすぐさま汗だくになり、2時間ほぼ休まず踊り続ける。音符そのものを足で刻み、楽譜に記された意味を体で奏でる。男性的で優美で爆発的な、聞いたこともない古典音楽が空間に立ち現れる。ラストにはジャズバンドも加わり、ジョン・コルトレーン風のジャズ演奏で賑やかに楽しく大団円。舞台上のグランドピアノの上には2時間ずっと、03年に他界した恩師グレゴリー・ハインズの写真が置かれているが、御大も弟子の成し遂げたこの偉業に、きっと拍手を送っているに違いない。


文:岩城京子



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