【演劇・ミュージカル ≪舞台のツボ≫】 (up 2004/10/26)
「デモクラシー」
 観れば誰もがハッピーになれる、という話ではない。世界がまだ東西冷戦状態にあった時代の、ドイツで実際に起きた政治事件がもとになっている。登場するのは、スーツ姿の10人の男だけ。だが、だからこそ、実にスリリング。歴史と人間がつくる第一級のスペクタクル作品だ。東西ドイツの融和に尽力し、ベルリンの壁崩壊への道筋をつくった西ドイツ首相ブラント。のちにノーベル平和賞まで受賞した彼に長く仕えていた私設秘書ギョームが実は東ドイツのスパイだった……。この歴史的大事件のあとさきを、さまざまな立場の政界の男の姿を通して描き、昨年、イギリスで上演されるや圧倒的な支持で名だたる賞を受賞した「デモクラシー」が、早くも日本で上演される。主演のギョームに市村正親、ブラントに鹿賀丈史、さらに近藤芳正、藤木孝、温水洋一など、実力ある顔ぶれが揃った。観れば、歴史の重さをズシリと胸を感じながらも、知的な興奮に胸がふるえることだろう。

≪この舞台のツボ [1] ブラントの功績≫

日本の一般的な歴史の授業では、それほど詳しく教わらない西ドイツ首相ブラント。もちろんこの舞台は、特に予備知識がなくても充分に楽しめるが、多少なりともブラントの功績について知っておくと、より深く味わえることは間違いない。ブラントが東西問題の改善に働きかけを始めたのは、西ベルリン市長在職中から。東側と交渉して、まず63年〜64年の年末年始、西ベルリン市民が東ベルリンの親戚や友人を訪問できる通行証の発行に成功。64年11月には、老年層に限定してだが、東ドイツ市民が西ドイツを訪問できるようにした。こうした活動から国民の信頼を得、ブラントは69年に西ドイツ首相に就任。それまでの対東ドイツ政策を柔軟な方向に転換して、70年には東ドイツ首相シュトーフと会談を実現。71年には東西ベルリンの電話が19年ぶりに開通した。また、ブラントの外交政策は東ドイツにとどまらず、70年にソ連との武力不行使条約に調印、72年にはポーランド、73年にはチェコスロヴァキア、ブルガリア、ハンガリーとも国交を樹立した。これほどめざましい功績を成し遂げたブラントだが、74年5月に秘書のギョームが東ドイツのスパイとして逮捕され、責任をとって辞職した。

≪この舞台のツボ [2] 多面的作家、マイケル・フレイン≫

忠誠心と功名心、国家と個人の欲望が複雑に絡み合った、男達のパワーゲーム。同時に演劇的な見せ所も随所に仕掛けた見事な脚本を手がけたのは、現代イギリスを代表するベテラン作家、マイケル・フレイン。「デモクラシー」はその最新作だが、同じように歴史の真実と謎を巧みに採り入れた脚本を、彼はもう1本書いている。日本では2年前に新国立劇場で上演され、絶賛を集めた舞台「コペンハーゲン」だ。この作品でフレインは、かつて共同で重要な発見をした師弟でありながら、ナチスとアメリカ側に分かれた実在の科学者ふたりを主役に、原子爆弾誕生前夜の謎の1日を書いた。ちなみに、この時、若い科学者を演じた今井朋彦は「デモクラシー」にも出演する。一方でフレインはコメディも得意で、やはり2年前に上演されたドタバタ喜劇「ノイズ・オフ」もその手によるもの。恐るべき才能なのだ。そしてちなみに、「ノイズ・オフ」に出演した近藤芳正も、「デモクラシー」にも出演する。

≪この舞台のツボ [3] 四半世紀ぶりの共演が実現!≫

主演の市村と鹿賀は、かつての劇団四季仲間。同じ舞台にも立っている。退団後のそれぞれの大活躍は書くまでもないが、「ふたりの共演を舞台で観ることができたら」と考える人は少なくなかった。一昨年、三谷幸喜作・演出の『You Are The Top』でその夢がかなうと思いきや、鹿賀が急病で本番直前に倒れてしまった。今回、「久しぶりにシリアスな舞台がやりたい」と考えていた市村がプロデューサーに勧められ、イギリスで「デモクラシー」を観劇、その場で自分がギョーム役をやることと、相手役ブラントには鹿賀がいいと決めたという。帰国後すぐに自ら電話して説得したというから、さぞピンと来るものがあったに違いない。こうして四季時代から実に26年ぶりとなる名優=盟友の共演が、いよいよ実現する。
デモクラシー」 写真
(C)稲越功一


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