【演劇・ミュージカル ≪舞台のツボ≫】 (up 2004/10/12)
「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」
 蜷川幸雄は2005年を総括の年にするらしい。これまでのキャリアで出会った多数の作品から、特にいま「これだ」と思う旧作を選び、新たな演出でアプローチするという。その第1弾となるのが、「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」だ。この作品は、蜷川が「世代を共に駆け抜けた作家」と呼び、古くから信頼を寄せる清水邦夫が75年に書いたもの。清水と蜷川は多くの作品でタッグを組んだが、この「将門」は蜷川にとって初演出となる。詩のように美しいイメージ豊かなせりふで、人間の激しさを浮かび上がらせるドラマを描く清水。時代劇でありながら、アングラの香りも漂うこの戯曲に、蜷川はどう立ち向かうのか。主役の平将門には3年ぶりの蜷川作品出演となる堤真一、将門を巡るふたりのヒロインに木村佳乃と中嶋朋子、将門の参謀役に段田安則と、実力あるキャストが揃った。時間をさかのぼりながら未来を目指す蜷川の最初のステップ、要注目だ。

≪この舞台のツボ [1] 清水邦夫ってどんな人?≫

清水は、69年に蜷川が演出家としてデビューした作品「真情あふるる軽薄さ」の脚本を手がけ、72年には「櫻社」という劇団を共に旗揚げするほど親交が深かった。この親交は一時中断するものの、80年代には復活。97年、舞台化は不可能といわれた村上龍原作の「昭和歌謡大全集」をシアターコクーンで上演する際、蜷川は、演出の最大のパートナーである脚本を、清水に依頼している。大学在学中に書いた最初の戯曲が雑誌に載るなど早くから注目を集めていた清水は、60年代から70年代、特に若い世代に圧倒的な支持を受けた。その最大の特徴である、リリカルだが凛とした言葉は、「ぼくらは生まれ変わった木の葉のように」「ぼくらが非情の大河をくだる時」「火のようにさみしい姉がいて」など、作品タイトルにもよく表れている。大学卒業後は映画会社に入社して脚本を書き、自分で監督した作品(「あらかじめ失われた恋人たちよ」)もあるが、舞台との関わりはさらに深く、現在は、女優で妻の松本典子とともに、演劇企画「木冬社」を主宰している。

≪この舞台のツボ [2] 将門はいまも生きている?≫

この作品の主人公は、タイトルにもある平将門。平安時代のこの武将の名は、誰もがよく耳にしているはず。だが一方でこの人ほど、まがまがしい伝説に彩られた人は多くない。将門は現・茨城の豪族で、当時、頻発していた関東の士族の争いに介入しては勢力を増し、ついに関東一帯を支配するようになる。それに怒った朝廷は鎮圧のために派兵するものの、軍到着の前に将門は戦死。朝廷の軍隊は、その首を切って持ち帰った。ところが将門の首は京都に着いても目を開けたままわめき続け、3日目の晩には光りを放ちながら飛び、闇の彼方に消えたという。そのため、全国には何ヵ所も「ここに将門の首が落ちた」とされる首塚がある。最も有名なのは東京・大手町のもので、かつて何度か、この場所に別の施設をつくろうとする計画があったが、そのたびに原因不明の事故が起きて死者が出て中止になったという。この首塚にはいまも毎日、花と線香が途切れることはない。

≪この舞台のツボ [3] 将門が将門の命を狙う≫

さまざまな謎に包まれている将門の人生は、これまで多くの作家のインスピレーションを刺激し、たくさんの物語がこの世に生まれてきた。清水の「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」は、その中でもかなりアレンジが効いているストーリーで、戦で頭部を負傷した将門が、自分を“将門の命を狙う武者”と思い込むところから始まる。自分が将門なのだから、本物に出会えるはずはなく、次々と影武者を殺しては「本当の将門はこんな男ではない、ヤツはまだ生きている」と苦しむ将門。史実をもとにしながらも、自分を見失ってあがき、周囲がつくる自分のイメージと自己イメージの溝に足をとられてもがく、現代的な青年の姿を鮮やかに描き出している。かつて、清水が2年のブランクの後に書き上げただけに、実に意欲的な戯曲なのだ。
「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」 写真
「蜷川幸雄」をMyアーティスト登録する
「堤真一」をMyアーティスト登録する
「木村佳乃」をMyアーティスト登録する
「段田安則」をMyアーティスト登録する
「中嶋朋子」をMyアーティスト登録する


>> ★堤真一 インタビュー掲載中!


>> バックナンバーへ
Copyright (C) 2007 PIA Corporation. All Rights Reserved.