【演劇・ミュージカル ≪舞台のツボ≫】

  (up 2004/08/31

「リンダ リンダ」

鴻上尚史が主宰するユニット、KOKAMI@networkの新作は、ロックバンド、ザ・ブルーハーツの曲を全編に使用する音楽劇。シンプルなメロディと歌詞でありながら、深く、エネルギーにあふれたザ・ブルーハーツの楽曲と、とあるアマチュアバンドの物語をシンクロさせ、生バンドも用意して“吠える!”舞台を展開する。発端は、鴻上がニューヨークでミュージカル『マンマ・ミーア』を観たこと。ABBAの曲だけで物語が進んでいくアイデアに目からウロコが落ち、「この手があったか!」と膝を打ったとか。そこで考えた「自分にとっての『マンマ・ミーア』がつくれるミュージシャン」がザ・ブルーハーツだったという。となれば、命綱となるのはキャスト。ロックテイストを持ち、なおかつ芝居として成り立つ歌が歌える人が必要になる。その点で、ドラマ『新撰組!』の前にミュージカル『RENT』や『オケピ!』が大好評だった山本耕史、ロックバンドSOPHIAの現役ボーカルである松岡充、こちらも現役シンガーのSILVAらに不足はなし。気になるストーリーは、すでに若くないロックバンドが、その主役。メインボーカルだけが引き抜かれた彼らが、起死回生のため、ある計画を立てるのだが……というもの。骨太なザ・ブルーハーツの楽曲に、鴻上作品はどう挑むのか?

≪この舞台のツボ [1] そもそも、ザ・ブルーハーツって?≫

解散から9年もたつのに、いまだCMやドラマに曲が使用され、ライブ映像などが次々とDVD化されるなど、高い人気を誇っているザ・ブルーハーツ。バンド、ミュージシャンは当然のこと、音楽に携わっていない人にまで範囲を広げると、影響を受けた人間は数知れない。彼らが単に“いいメロディ“や“格好いい音”を出していたのではなく、歌詞に映し出された世界観、バンドとしてのあり方そのものがいかに強力だったかがわかる。ボーカルの甲本ヒロト、ギターの真島昌利、ベースの河口純之助、ドラムの梶原徹也によって1985年に結成され、1987年「人にやさしく」でデビュー。若者の圧倒的な支持を得て、1988年の「Train−Train」のヒットで全国的にブレイク。その後は8枚のオリジナルアルバムを発表して1995年に解散した。ファッションや演奏のスタイルは、当時すでに下火だったパンクを継承しながら、4人が提示したのは、痛みや辛さを飲み込んだ上での前向きさ。破壊や断絶(パンク)のあとの創造やコミュニケーションだった。その点が多くの人の心をとらえ、鴻上もそのひとりというわけだ。鴻上は「これは、ザ・ブルーハーツへのオマージュであり、同時に、ザ・ブルーハーツの名曲に負けない音楽劇を作りたいという宣言でもあります」と語っている。

≪この舞台のツボ [2] ところで、音楽劇って!?≫

「なるほど、ザ・ブルーハーツの曲を使ったミュージカルということね」と納得した方、要注意。これはミュージカルではなく“音楽劇”なのだ。では、そのふたつの違いは? 音楽劇って何? 実はこの定義が難しい。それは、作品によってこの言葉の使い方が違うから。たとえを挙げよう。オーケストラなしで、出演者が楽器を演奏する。ひとつの歌をモチーフに作品をつくる。観客参加型(お客さんにも一緒に歌ってもらったり、手拍子をとってもらったりする)。歌は出てくるが、数が少ない。ミュージカルだとセリフがそのまま歌になるが、曲とセリフがはっきり分かれている(この「リンダ リンダ」は、このケースに当たると思われる)。近年は、音楽劇と称する舞台が増えており、今年3月に世田谷パブリックシアターで上演された「ファウスト」では、劇中にバイオリニストが“陰の狂言回し”とでも呼ぶべき重要な存在として登場。また昨年、PARCO劇場で上演された「兵士の物語」は、ひとつの戯曲を演技と音楽とバレエで表現するという形をとっていた。ミュージカルに抵抗のある人が多い日本で、音楽の力を借りながらもそのカテゴリーに収まらないという意味を持つ“音楽劇”は、これからも増えていくだろう。

≪この舞台のツボ [3] どうして、鴻上尚史が?≫

かつての第三舞台になじみのある人、鴻上をエッセイなどでしか知らない人は、「なぜ鴻上がザ・ブルーハーツで音楽劇を?」という疑問を持つかもしれない。本人にはバンド経験もなく、パンキッシュなルックスや作風ではないし、音楽大好きというイメージもない。しかしこのところの彼の作品は、かなり一途に音楽に傾倒している。昨年は、7月のミュージカル「シンデレラ・ストーリー」の脚本を手がけたあと、11月には自身の演出で、過去の戯曲「天使は瞳を閉じて」をミュージカル化して上演した。新しい作劇の可能性を、鴻上は音楽の中に見出しているのかもしれない。振り返れば第三舞台時代も、既存のヒット曲を使う形だったので音楽自体は話題にならなかったが、必ずダンスシーンを入れていた。もしかしたら本来の嗜好を、より素直に、より大胆に表現できるようになったということなのかもしれない。

「リンダ リンダ」 写真


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