@ぴあTOPへ戻る @電子チケットぴあTOPへ戻る
@ぴあ特集コラム

クラシック
 第25小節 指揮者:広上淳一
広上淳一写真
Photo(C) K.Miura
クラシック・オーケストラ(国内)をMyアーティスト登録する



何といっても、尊敬するピアニスト小山実稚恵さんのバトンとあれば、たとえ私がコンピューター音痴でネットを使えない人間であっても、受けないわけにはいかないでしょう。それにしても今年の20周年記念、誠にお目出たい限りです。いよいよ熟年ピアニストとして、日本のピアノ界を引っ張ってくださることでしょう。

指揮者として早いもので、もう47才になってしまいました。それにしても、今まで一体何をやって来たのだろうと恥ずかしくなるばかりなのですが、今回は指揮者稼業とはちょっと異なる分野での、今、私がむしょうに楽しくやっている仕事を皆様に少しお話します。

実は、私は教員として後進を育てるというよりは一緒に勉強すべく、東京音大と芸大に足しげくかよっています。
自分が行なった遠回りを少しでも近道にしてあげたいという思いだけが、教員を始めた動機でしたが、はたして環境が良くなれば学生がどんどん優秀になるかどうかは、解りません。もしかしたら逆効果になるかもしれません……。ただ本質的なことを理解する力は私達の時代よりずっと進化していると思っています。これは実験かもしれません。

もう一つ、今年の4月から日本テレビのナビゲーターを河本アナと楽しくやらせていただいて居ます。因みにスタッフのすべてがALL女性で、真からクラシック音楽ファンを大事に考えて、少しでも多くの人達が番組を通して、コンサート会場に足を運んでくれる様にと常々願っている人達です。
私は彼らに敬愛と深い感謝の気持ちで、この仕事をお引き受けすることにしたのですが、何せ台詞が覚えられないので苦労しています。1分間をあれだけ長く感じた経験は、おそらくこれが初めてでしょう。
クラシックを好きになってくれる一般の方々が増えて、仲間達の演奏会に足を運んでくれることを切に願っているのです。

私の尊敬する指揮者、高関さんにバトンをどうぞよろしくお願いします。


▼広上さん出演のTV…日本テレビ「深夜の音楽会」

  
≫次回は…指揮者・高関健さんです。

■指揮者 広上淳一(ひろかみ じゅんいち) プロフィール

東京に生まれ、東京音大指揮科に学んだ広上淳一が「第1回キリル・コンドラシン国際青年指揮者コンクール」に優勝したのは1984年9月、26歳の時であった。その審査員の1人だったアシュケナージは広上を特に高く評価し、翌年ピアニストとしてN響と協演した際には彼を指揮者に指名(広上のN響初協演)したほどである。
86年以降、広上の世界への快進撃が始まり、フランス国立管やベルリン放送響、コンセルトヘボウ管、モントリオール響、イスラエル・フィル、ロンドン響、ウィーン響などメジャーなオーケストラへの客演が展開されていった。
91〜95年にはノールショピング響(スウェーデン)の、98〜2000年にリンブルク響(オランダ)の各首席指揮者を歴任、このうち前者とは94年に「来日」公演を実現している。この間、88年に日本フィル定期でマーラーの《交響曲第6番》を指揮し成功を収め、91〜2000年にはその正指揮者をつとめて、96年の欧州演奏旅行を指揮したほか、R.シュトラウスの《英雄の生涯》やハイドンの交響曲など、多くの瑞々しく壮大な快演を残した。
2004/05シーズンは、ヴァンクーヴァー響、ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ響、サンクトペテルブルク・フィル、ボルティモア響等に客演。オペラ指揮の分野でも89、90年のシドニー歌劇場におけるヴェルディの《仮面舞踏会》や《リゴレット》が高く評価されたのをはじめ、最近では藤原歌劇団公演《椿姫》、関西二期会公演《フィガロの結婚》、日生劇場《後宮からの逃走》が記憶に新しい。



前に戻る ページトップ

Copyright (C) 2007 PIA Corporation. All Rights Reserved.