いま作曲中のオペラ「マドルガーダ」は、児玉麻里さんのご主人、ケント・ナガノの指揮によって、今年8月19日、20日にドイツのシュレスヴィッヒ・ホルシュタイン音楽祭(キール市)で初演される。
この台本は、アメリカ人のバリー・ギフォードの手によるものだが、武満徹がアイディアを提供したといわれている。武満さんはしかし、この出来上がった台本に一音符も付けることなく、世を去ってしまった。残されたこの素晴らしい台本を、私に紹介してくれて、作曲しないかと薦めてくれたケントに大感謝。その山あり谷ありのストーリーを活かしきれるか、七転八倒の毎日である。
さて話しは変わるが、間宮芳生先生の後を継いで、この4月から静岡音楽館の芸術監督をやることになった。これは大変やりがいのある仕事で、一つ一つのコンサートを作ることは、ほとんど創作活動であると言っても過言ではない。
シーズンはまず雅楽のコンサートではじめることにしていたが、8日に無事にそれが終わったところだ。最近は、雅楽なども所謂「ブーム」で、いろいろなところで企画されている。しかし、ある程度のさわりを聴かせて、理解したような気持ちにさせるようなものも多いと聞く。誰でも知っている「越天楽」を少々とか、そんなことでは本当に雅楽を理解したことにはならないに違いない。
今はやりの言葉で言えば「耳にやさしい」コンサートは絶対やらないぞ、という決意で、休憩を含んでほとんど2時間半、雅楽と「対決する」コンサートを企画した。伝統のレパートリーからは50分以上かかる大作で、いままで数えるほどしか上演されていない名曲「春鶯囀」を。まず名前が良い。季節にふさわしいタイトルである(自画自賛)。演奏して下さった怜楽舎の人たち、特に各楽章のはじめにある龍笛のソロを吹く芝先生の素晴らしさも相まって、これを50分聴くと、やっとわれわれ日本人の過去の「たゆたう」ような時間感覚が理解できる。旋律もおおらかで、現代のせわしない時間に比べて何と優雅な時間の推移なのだろう。
さて企画をしたのは良いが、お客が入らなかったらどうしようと悩んだ。今や何でも効率で物事を推し量る時代だ。クラシックのためのホールも、お客さんが何パーセント入ったか気にする。もっとも、小泉政権を含めてそうした世の中の風潮に対して起こるべくして起こったのが、あのJR脱線事故だろう。あれは単に会社の利益優先の体質だけが問題だったのではない。
これを世の中で主流の考え方に対する警告であるととらえ、音楽に置き換えて考えてみると、すぐに「聴きやすい」「耳にやさしい」やり方を推進してホールが埋まれば良し、とする人たちへの警告だとは言えないだろうか。
さて、静岡ではふたを開けてみると、お客さんが多く集まり最後まで熱心に聴いてくれて、心配は杞憂に終わった。ホールだけではなく、音楽家自身や音楽に関わる人たちが、観客の持つキャパシティーをもっと信じていかなくてはならないのではないか、と思う今日この頃である。
さて、そんな静岡のホールで企画委員をお願いしているオペラ歌手の池田直樹さんにバトンタッチ。
≫次回は…オペラ歌手の池田直樹さんです。
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