原曲と編曲の狭間で
左手での室内楽演奏
クリスマスのヘルシンキは雪である。静かに降りつむ雪は、なんとはなしに優しく甘美なヴァイオリンの奏楽を連想させる。加藤知子さんからバトンを受けて、これを書いている。その加藤さんに頼まれて、一月末にご一緒に室内楽をすることになった。曲はフランツ・シュミットのピアノ五重奏である。実はこの作品、第一次世界大戦に従軍して右手を失ったピアニスト、パウル・ヴィットゲンシュタインの委嘱より作曲されたもの。彼はラヴェルに傑作「左手のためのピアノ協奏曲」を委嘱したことで音楽史に名を留めている。当然、シュミットの作品もピアノのパートは左手のために書かれている。
私は三年前に脳溢血で倒れ、以来右半身不随の身である。だが、一年ほど前から左手で奏でることを見出して、その世界の豊かさに魅せられ、ステージへの復帰も果たした。
左手だけで演奏というのは大方の人が思うように不自由で不便なものではない。両手による奏楽とまったく同じように、美しく溢れる史上を弾きあらわせるのである。また、強くダイナミックで劇的な表情にも富んでいる。それどころか、もしかしたら左手のみで演奏することによって得られる、無駄を排した強く深い表現が得られると思うことさえある。
だが、困ったこともある。たとえばこんど演奏する予定のシュミットの作品では、左手のために書かれたオリジナルの楽譜が見付らないことだ。それどころか、ドイツの出版社によると、オリジナルの譜は出版されたことさえないという。楽譜はある。左手用が両手用に編曲されたものである。私の手元にあるのがそれで、現在、両手用の編曲から左手用の元の姿を探り当てて、弾けるようにする作業を続けているが、かなり絶望的な気持ちに駆られるのを如何ともしがたい。
この曲のオリジナル版によりCD化されたものを聴いたことがある。素晴らしい作品、そして見事な演奏であった。もう一度問いたい。何故、それを両手用に編曲しなおす必要があったのかと。
≫次回は…ピアニストの志村泉さんです。 |
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